「頼む……絃の命は、俺がもらったんだ。もっと大事にしてくれ」

 懇願するように抱き竦められて、喉が震えた。
 誰より、なにより強い士琉の身体が震えていることに気がついた絃は、おずおずと彼の背中へ手を回す。
 躊躇いがちに撫でると、びくりと士琉の身体が震えた。けれどすぐに弛緩して、士琉は絃の肩口に顔を埋めてくる。吐息が皮膚を掠めて、絃は身じろぎした。

「あ、の……ごめんなさい。言い方がよくありませんでした、よね」

 なんと伝えたらいいのだろう。
 なんと言葉にしたら、正しく伝わるのだろう。
 考えたところで、このぐちゃぐちゃの頭では正解など導き出せそうもない。

「士琉さまが、あまりにも優しいから……。どうしてわたしなんかのためにこんなにもって思ってしまうのです。わたしは、あなたになにも返せていないのに」

「……そんなことはない。俺は、むしろずっと、絃に救われてるんだ。十年前の約束だって、俺にとっては生きる理由そのものになっていたんだから」

 深く息を吐きながら頭を上げた士琉は、絃と額を合わせた。
 こつん、と触れ合った部分から互いの熱が交わり溶け合っていく。

(ああ……温かい)

 間近で絡み合う瞳はどちらも濡れそぼっていた。寂然(じゃくねん)とした夜陰のなかで千桔梗の光を取り込み揺れるそれは、しかし決して哀しい色ではない。

「幼くして捨てられ、本当の両親の顔も憶えていない。そんな俺を拾ってくれた父上へ恩を返すため、冷泉の名を汚さぬように身を捧げてきた。だが、だからこそ……当時の俺は人を愛することができなかったんだ」

「士琉さまが……?」

「ああ。冷泉のためにならないことに興味はなく、常に孤独だった。いや……孤独であらなければならないとすら思っていたかもしれない」

 ふ、と士琉の声音にわずかな自嘲が交ざる。

「けれど、あの日……俺は生まれて初めて、誰かを心の底から救いたいと、護りたいと思った。俺と同じ孤独を纏う君だったから、君とならその孤独を分かち合えるんじゃないかと……。今思えば、たいそう身勝手な話だが」

 そうして士琉は、絃が捨てようとしていた命をもらったのだという。

(まさか、あのとき……そんなことが)

 だが、迎えに行くという約束を果たすためには、さまざまな条件が必要だった。五大名家の者同士、ふたりが繋がるにはあまりにも障害が多かったらしい。
 とりわけ月代は閉鎖的な一族で、外界を極力受けつけない環境にある。
 絃は千桔梗の悪夢後すぐに結界にこもってしまったし、士琉も多忙な継叉特務隊に入隊が決まったりと、容易に迎えに行くことができない状況ができてしまっていた。
 それゆえ、士琉は考えた。
 己の立場を鑑みたうえで導き出せる、絃を救う方法の最適解を。
 結果、辿り着いたのがこの政略結婚だったそうだ。

「初めて父上にわがままを言ったんだ。自分の想いを伝えて、双方における利点を並べて力説し、この政略結婚がどれだけ可能性のあるものか訴えた。結局父上にはすべて見抜かれていたようだが、まあだからこそ俺の提案を受け入れてくれたんだろう」

「で、では、この結婚を先に切り出したのは、桂樹さまではなく」

「ああ、俺だ。……俺が望んで、周囲が納得する政略結婚の形に仕立て上げた。うまくいかなければ(さら)ってしまおうと思っていたから、僥倖だったな」

 衝撃の事実を打ち明けられた絃は、返す言葉もなく絶句する。
 てっきり桂樹が冷泉の未来を思って提案した縁談だと思い込んでいたのに、最初から士琉によって図られ運ばれたものであったなんて。