濡れ衣を着せられて後宮の端に追いやられた底辺姫。異能も容姿も気味悪がられてますが、これ巫女の証なんです

その夜。寝台の上に座った雪鈴は、帯の間から白露(しらつゆ)を出して月明かりにかざす。

「白露、あの姫君は不思議な方だったわね」

 笑顔で語りかけると、石から兎のような耳がびょこりと生えた。
 色も透明から乳白色に変化しており、まるで小さな雪兎に見える。

「綺麗なだけじゃなくて、なんていうか……格好良くて。本当に素敵。あの方が姫君ではなかったら、きっと恋をしていたわ」

 今まで恋愛には全く興味もなく、周囲にも対象となる相手がいなかった。

「あの方を思い出すと、胸の奥がぎゅっとなるの。不思議よね、白露」

『姫君ではないよ』

「え? じゃあ女官なの?」

『ひみつ』

 白露は鈴のような笑い声を上げると、再び元の透明な石に戻ってしまう。

「もう、白露ってば意地悪なんだから」

 月光にかざしてみても、白露はうんともすんとも言わない。
 こうなっては会話は無理だと、経験で知っている。

「藍様の秘密は、私が暴けって事ね」

 幸い時間ならたっぷりあるのだ。

*****

 その頃、美麗(めいりー)の宮では騒ぎが起こっていた。

「失礼します」

「何時だと思っているの? 私が寝所へ入ったら、何があっても立ち入るなと言ったのを忘れたの?」

「申し訳ございません。美麗様に、至急お知らせしたいことがございまして」

 息を乱して駆け込んできた女官に、美麗は苛立ちを隠しもせず冷たい視線を向けた。
 女官はその場に平伏すると、思いもよらないことを口にする。

「新たな姫君が、後宮へと入られました」

「新しい寵姫候補?」

「恐らくは」

「後宮に入る寵姫の選別は終わっているでしょう。女官か侍女ではないの?」

「下女が見たと申しておりましたので……身なりからして、上級貴族だと」

 だが彼女の口から告げられるのは、どうにもはっきりとしない内容だけ。
 報告してきた女官は、女官長の信頼の厚い者だ。なのに彼女が新たに加わった姫に関しての情報を知らされていないのはおかしい。
 何より美麗を苛立たせたのは、自分に何の挨拶もなかったことだ。

(正妃候補のわたしに通達もなく、寵姫候補を増やすなんてあり得ない)

 薄衣を羽織り寝台から降りると、美麗は女官に近づく。

「その女、誰の茶会に招かれたのか分かる?」

「いえ……それが……」

「はっきり言いなさい!」

「後宮へ入るなり、真っ先に雪鈴の館を訪ねたようです」

「っ……」

 忘れれようとしていたその名を聞いて、胸の奥から怒りが湧いてくる。
 女官や取り巻き達の前で、恥をかかせた憎い女。

「……そういえば、あの白い化け物さんも挨拶に来なかったわね」

 寵姫候補ですらなくなった女のところへ行くなど、どうかしている。

「好奇心旺盛な姫のようね」

「背が高いので、西方貴族の出身だと思われます」

「ふうん」

 美麗からすれば、代々皇都で大臣職を与えられる貴族だけが、本物の貴族だというプライドがある。
 だから辺境や、異国の血が混じる姫など正直どうでもよかった。
 けれどよりにもよって、まず最初に雪鈴の館へ挨拶に行った事実が気に食わない。

「そういえば、雪鈴は北方から来た下級貴族でしたわね」

「下級貴族同士で、気が合うのだろう」

 分厚い天蓋の布で覆われた寝台から、低い声がする。
 女官はびくりと肩を震わせたが、平伏したまま動かない。

「ちょっとからかって差し上げましょう……あなた今夜見聞きしたことは、他言無用よ。もし約束を破ったらどうなるか。分かるわね」

「はい」

 消え入るような声で、女官が返答する。

「これからもあの女を見張りなさい。よい働きをすれば、特別に金をあげるわ」

「ありがとうございます。私は美麗様に誠心誠意、お仕えいたします」

 女官は媚びた声で礼を述べると、平伏したまま後じさり寝室を出ていく。

(正妃となるわたしを蔑ろにしたこと、後悔させてやるわ)

 美麗は羽織っていた単衣を脱ぎ捨て、男の待つ寝台へと戻った。

 藍が訪れた翌日。厨房に青菜の余りを貰いに行った雪鈴(しゅえりん)は見知らぬ寵妃候補に呼び止められた。

 厨房から雪鈴の館までは後宮内でも人通りの殆どない廊下なので、誰かとすれ違った事もない。

「あなた、雪鈴ね?」

「ええ」

 確認するまでもなく、こんな白い髪の女は後宮で雪鈴ただ一人だ。
 頷くと寵妃候補の姫は意地の悪い笑みを浮かべる。

「気持ちの悪い髪ね」

 言うなり手にした桶の中身を、雪鈴に向けてぶちまけた。

「きゃあっ」

「さっさとここから出て行きなさいな」

「こんな人目につくような所を歩くんじゃないわよ」

 気が付けば雪鈴の前には、数人の寵姫候補達が立っていた。桶の中身は泥水で、彼女らはそれを柄杓ですくい罵声を浴びせながら雪鈴にかけ続ける。

「止めてください!」

「罪人のくせに、威勢がいいこと」

 少し離れた場所から、美麗の声が聞こえる。

「もっと罪人らしい姿にしてあげるわ。皆さんもそう思うでしょ」

「ええ、美麗様の仰るとおりですわ」

「気味の悪い女! 白い髪に紅い目なんて不吉だわ」

 美麗の取り巻き達は、逃げようとする雪鈴を囲み水をかける。

(こんな馬鹿な事をする方々だったなんて、思ってなかったわ)

 こんな騒ぎを起こせば皇帝の耳に入るだろう。

 相手が罪人だとしても、正妃候補が辱めるような行為を煽ったと知れば評価は下がる。

(青菜と着物は井戸水で洗えばいいんだから、気にしちゃ駄目よ)

 抗ったところで、多勢に無勢だ。
 今は彼女たちの気の済むようにさせればいい。箱入り育ちの姫がいくら嫌がらせをしようと、たかがしれている。
 雪鈴はできるだけ青菜が泥水を被らないよう、抱え込んで耐える。

「何をしている!」

 鋭い声が響き渡り、寵姫候補達の手が止まる。
 何が起こったのかと雪鈴が顔を上げると、そこには雪鈴を守るように藍が立っていた。

「一体何ごとか……雪鈴、怪我はないか?」

「私は大丈夫です。それより藍様! 失礼します!」

 雪鈴と寵姫候補達の間へ割って入る際に、藍の手元にも泥水がかかってしまったようだ。濡れた手元には、薄桃色の石が填め込まれた金の腕輪が鈍く光っている。

 それを見た瞬間、雪鈴は自らの着物の袖で蘭の手を取り石にかかった泥水を丁寧に拭き取った。

「この石は、水がかかると割れやすくなるのです。今も悲鳴を上げてます」

「石が悲鳴を上げるですって?」

「馬鹿みたい」

「おかしな事を言うのね」

 寵姫候補達は雪鈴の言葉を嗤うが、藍に睨まれて口を噤む。
 だが美麗は手を止めた取り巻き達を押しのけ、雪鈴と藍に近づいて来た。

「あなた、藍と言うの?」

「ああ」

「私は正妃候補の美麗。何か言うことはない?」

「初めまして、美麗」

 頭を下げることもなく平然としている藍に美麗は苛立ちを隠せないのか、手にした扇子で藍の腕を打つ。

「後宮に入ったら、まずは正妃候補挨拶をすると教わらなかったの?」

 しかし藍は何ごともなかったように、冷たい目で美麗を見つめている。

「……そんなしきたりは初めて聞きました」

「罪人は黙りなさい!」

 石から水気を取った雪鈴が反論すると、美麗が怒鳴った。だがふと何かを思いついたように、藍の手首を飾る石を見て微笑む。

「白い化け物さん、貴女はその石が喋ると言ったわね?」

「はい」

「じゃあその石は、化け物に取り付かれているのだわ。きっと白い化け物さんが、呪いをかけたのよ」

「まあ恐ろしい」

「雪鈴は本当に化け物だったのね」

 取り巻き達が口々に美麗に同意する。

「藍姫。その石を外して私に寄越しなさい。側仕えの巫女に命じて、化け物払いの儀式をしてさしあげるわ」

「これは家に代々伝わる品。他人に渡すことはできぬ」

 少しの逡巡もなく断った藍に、美麗が再び扇子を振り上げた。

「わたしは、あなたの為を思って言っているのよ……白い化け物! 藍姫から離れなさい!」

 美麗は雪鈴の方を向くと、顔を打とうとする。
 しかしその手は、藍に掴まれて止まった。

「雪鈴に危害を加えれば、私が許さぬ。これは警告だ、二度目はない」

 静かだが、怒りを露わにする藍に気圧されたのか美麗と取り巻きは言葉を失っている。

「行こう、雪鈴」

 打って変わって、優しく肩を抱かれた雪鈴はぽかんとしつつも藍に促されてその場を立ち去った。


「美麗の言っていた、「白い化け物」とは、君の事なのか?」

「ええ。あの方がつけたあだ名です。別に好きに呼べばいいんです。気にしてませんから」

 館に戻る道すがら、不機嫌そうな藍に雪鈴は笑顔で答える。

「大体、君はもう罪人ではないだろう。何故青菜の余りを貰いに行く必要がある? それに住まいは、宮に戻ったのではないのか?」

「藍様は私が嘘つきでないと信じてくださいましたけど、女官長からなんの沙汰もないので身分は罪人のままです」

 取り繕うことでもないので、雪鈴は現状をそのまま伝える。
 すると藍が、うーんと唸って考え込む。

「あやつらには、伝えたのだがな」

「私が盗んでいないと証言してくださったのですか? ありがとうございます」

 恐らく女官長か、あるいはそれに近い官吏に雪鈴の無実を伝えてくれたのだろう。
 石の言葉云々はともかく、美麗の簪を盗もうとした濡れ衣が誤りだと証言してくれたのは有り難い。

「そもそも状況からして、君が美麗の簪を盗み偽物と取り替えるなどできるはずがない」

 冷静に考えれば、美麗や女官達の証言も二転三転しており、不審な点が多いと藍が続ける。

「――今日は昨日仰っていたお仕事のことでいらしたのですよね? こんな事に巻き込んでしまってごめんなさい」

「いや、仕事もそうだが……君が元の宮に戻ったか確認するために来た。それと、美麗の簪に関して気になることが分かったので、それも伝えようと思ってね」

 こんな素敵な姫がわざわざ自分を気にかけてくれるなんて、雪鈴からすれば夢のようだ。

「あれから個人的に調べてみたんだ」

「調べたって……どうやって?」

「それは秘密だ」

 にやりと笑う藍だが、目は笑っていない。問い詰めたところで真実は話してくれないだろうと思い、雪鈴は藍の話を聞くことにする。

「町の質屋に美麗が持っていた簪と、そっくな品が預けられているそうだ」

「え?」

「恐らく、質屋の簪が本物だろう」

 確か美麗は、貴族の中でも位の高い一族の出身だ。

 そんな彼女の持ち物が質に入れられているという事も驚きだが、それ以上にどうしてそんな事まで調べることができたのか雪鈴にはさっぱり分からない。

 後宮に入れば、自由などないに等しい。当然町になど出られるはずもないし、一日程度で簪が質に入れられている事まで調べてくるなんて不可能だ。

 怪訝そうな雪鈴に気付いているのかいないのか、藍が言葉を続ける。

「美麗は良い家柄の娘だが、最近あの家は良くない噂が多い。噂話で判断するのはどうかと思っていたが、先程の件で考えを改めた」

 藍が真剣な面持ちで、雪鈴に忠告する。

「私の部下をそれとなく周囲に潜ませ護衛させるが、できるだけ美麗と接触はしないように気をつけなさい」

「分かりました」

 おそらくは嫌がらせ以上の事が起こりうると、藍は警戒しているのだ。ただいくら美麗が貴族の娘でも、ここは皇帝の後宮。
 流石にもう迂闊な真似はしないだろう。

(でも美麗様に簪の事を指摘したとき、態度がおかしかったし……藍様の仰るとおり、関わらないようにしよう)

 嘘だと思うなら笑い飛ばせばいいのに、美麗は雪鈴を怒鳴りつけて否定した。

(それにしても護衛って……藍様って何者?)
内心首を傾げつつ雪鈴(しゅえりん)(らん)と連れだって、住まいである寂れた館へと戻る。

 すると、二人の姿を見つけた(きょう)が慌てて中から出てきた。

「雪鈴様! 藍様……」

「どうしたの京?」

「洗濯をすると言って、美麗様付の女官達に着物を全て持って行かれました!」

 そこまでするのかと、雪鈴は呆れた。

「……! そのお姿は一体何があったのですか?」

「水をかけられただけよ」

「どうしましょう、換えの着物は一枚も残っていなくて……」

 青ざめて立ち尽くす京を、雪鈴は安心させるように微笑んでみせる。

「別にいいわ。替えの着物なら、奥の部屋にあるでしょ」

「あれは下女の着る麻の着物ですよ!」

「着られるなら問題ないわ。大丈夫よ京。怪我をしたわけでもないし、厨房から青菜も分けて貰ったわ。ご飯を食べてから、これからのことをゆっくり考えましょう」

 冷静な雪鈴の指示に、取り乱していた京もいくらか落ち着きを取り戻す。

「麻の着物を持って来てくれる?」

「はい」

 頷いて奥の部屋へと駆けていく京を見て、雪鈴は胸をなで下ろす。

「あの子はこういった嫌がらせが心の傷になっているから、主人である私が気を配らないと」

「君はどうなんだ?」

「私……ですか?」

 藍に問われて思い出すのは、親族から虐げられた記憶ばかりだ。

 娘の異形を嫌った両親は、雪鈴を使用人として扱った。暴力こそなかったけれど、家事は勿論、水くみや馬小屋の掃除も雪鈴の仕事だった。
 お陰で使用人達とは打ち解けられ、平民の暮らしぶりを知ることができたのは良かったと今でも思っている。

「――故郷では貴族とは名ばかりで、使用人として働いてましたし。一族からは気味の悪い娘だと、罵倒もされてました。だから慣れています」

「慣れているからといって、傷つかないわけではないだろう」

 はっとして藍を見上げると、彼女が羽織っていた着物を一枚脱いで雪鈴に渡す。

「これを着るといい」

 そして館に入り室内を見回して、深くため息をつく。

「このような事になるとは、予想外であった。あとで使いの者を寄越すから必要なものを伝えてくれ」

「そんな、お気遣いは無用です。それより、これ以上私に関わったら、藍様も美麗様から嫌がらせをされてしまいますよ」

「自分の事よりも他人を気遣えるなんて、君は本当に強いな」

 藍がびしょ濡れの雪鈴を抱き寄せる。

「藍様! お召し物が、濡れてしまいます」

「かまわないよ」

 腕から抜け出そうとしても藍の力は女性とは思えないほど強く、びくとも動かない。

「藍様……?」

 違和感に気付いた雪鈴は、思わず着物越しに藍の胸に触れた。

(胸……固い……?)

 怪訝そうにしている雪鈴の様子から悟ったのか、藍が何故か笑い出す。

「しまった。雪鈴が可愛らしくてつい……気持ちを抑えられなかった」

「え?」

「この通り、私は男だ」

 あまりにあっけらかんとした告白に、内容の重大さが頭に入ってこない。

 なんと答えればよいのか迷っていると、藍が雪鈴に顔を近づける。

 異性とこんな距離感で会話するのは初めてなので、雪鈴の頬は一瞬にして真っ赤に染まった。

「誰にも話してはならん。約束してくれるな?」

「もちろんです」

「君は本当に愛らしい。しかし、これ以上欲を出すと問題だからな。今のところは、我慢しよう」

 火照った頬を擽るみたいに、藍が優しく撫でる。

「雪鈴様、着物をお持ちしました」

「それでは今日のところは失礼するよ。また後日、伺おう」

 京に会釈をして、藍が館を出て行く。

「相変わらず、素敵な姫君ですね。……雪鈴様、いかがしましたか?」

「ううん。なんでもないの」

 まだ心臓がドキドキして、頬も熱い。

「裏の井戸で、体と青菜を洗ってくるわ」

(私、どうしちゃったのかしら?)

「あの白い化け物は、一体なにをしたの!」

 雪鈴の館に変化があったと報告を受けた美麗は、苛立った様子で叫んだ。

「詳しく話しなさい!」

「……はい。数日前から、見慣れぬ女官達が出入りするようになりまして……」

「館の窓や壁もあっという間に修理されて、室内は寵姫の宮と変わらないと聞きました」

「家具や服の入った行李が、幾つも届けられたそうです」

「誰が手配したのか、すぐに調べて!」

 癇癪を起こした美麗が、近くにあった花瓶を掴むと壁に投げつけた。
 花瓶の破片が飛び散り、控えてた女官達が身をすくめる。

(一体誰がそんなことを?)

 正直なところ、美麗は雪鈴の存在を忘れていた。
 何をしても平然としている雪鈴に苛立ったが、着物や装飾品は取り上げたから、あの汚れた服で過ごすしかない。
 身分も『事実を改めて確認する』という名目で保留されているので、寵姫候補に戻ることもないのだ。

 けれど美しい着物を纏い、何食わぬ顔で厨房に出入りしている姿を下女が見かけたと小耳に挟んだのが先日の事。
 不思議に思って女官に探らせたところ、館は様変わりしていたという訳だ。
 報告を聞いた取り巻き達も、そろって首を傾げている。

(陛下? まさかね……未だに正妃候補ですら目通りが叶っていないのに……)

「美麗様。あの化け物など放っておいて、今は陛下の謁見に備えるべきです」

「わたくしもそう思いますわ」

 口々にそう訴える取り巻き達の言い分は理解できる。

 今朝方そろそろ正妃の選定があると、やっと女官長からお触れが出されたのだ。散々待たされた姫達は、選定の儀式で着る着物や装飾品選びで慌ただしくしている。

 それは美麗も同じで、雪鈴などに構っている暇はない。

(ここまで順調に進めてきたわ。少しでも不穏な行動を取る女は、排除しないと)

 正妃候補達は、後宮に入ると足の引っ張り合いに勤しむ。美麗は周囲を順調に蹴落としてきたが、だからといって安泰というわけでもない。

(あの簪の事、どうして気付かれたのかしら?……雪鈴は何者?)

 お茶会で簪を「まがいもの」だと断じた雪鈴の目を、美麗は思い出して唇を噛む。

 簪の件は雪鈴が「嘘を言って美麗を貶めようとした」という事で、その場に居合わせた者達は納得している。
 事情を聞きに来た女官には、「雪鈴が簪ほしさに嘘をついた」と誤魔化した。その際、宝物の管理を任されている若い男が、簪の鑑定を行うという事で美麗の宮へ特別に入ることを許された。

 だがその官吏は美麗の美貌に溺れ、あっさり自分の手に落ちてくれた。今では宝物庫から宝石を持ち出し、美麗の用意した偽物とすり替えてくれる優秀な駒として働いてくれている。

(体一つで言う事を聞いてくれるなんて、安い男)

 ただその男も、町の質屋に入れてしまった簪を買い取るには難儀しているらしく、未だに美麗は偽物の簪を着けているのだ。

(あの簪さえ手元に戻れば……)

 美麗が後宮に上がると決まった頃、実家は放蕩に明け暮れた結果、かなりの資産を失っていた。最大の収入源だった官吏からの賄賂は、新しい皇帝が厳しい法律を作ったせいで、僅かな抜け道すらも塞がれてしまったのだ。
 貴族としての品格を保つために、両親は金目の物を質に入れ宝玉の類いは密かに模造品を作らせそれを美麗は身につけていた。

 正妃になってしまえば、国庫のお金は使い放題。質に入れた品も取り戻せるし、国庫の宝玉も全て美麗の物になる。
 しかしそれは、簪の嘘が気付かれず無事に美麗が正妃にならなければ実現しない。

(白い化け物が寵姫候補に返り咲きでもしたら危険だわ)

 美麗は苛立ちながらも、考えを巡らせる。
 正妃として認められるまでは気が抜けないのは、他の姫達も同じだ。
 互いに弱味を握ろうと必死になっている今、雪鈴の噂を聞きつけて簪で揉めた件を蒸し返そうとする正妃候補も出てくる可能性は高い。

 やっとここまで上り詰めたのに、簪のことが気付かれたらまずいのだ。

(石の声が聞こえるなんて、あり得ない。からくりがあるに決まってるわ)

 褥で官吏の男に尋ねたところ「その女は、恐らく宝玉に関して知識があるのだろう」と答えた。

 もしも簪が偽物だと証明されたら、雪鈴の指摘が正しかったと知られてしまう。そうなれば疑惑の目は美麗に向けられ、他の正妃候補達は嬉々として、あら探しを始めるに違いない。

(家の借金が知られたら、これまでの賄賂の件も探られる……そうなったら、正妃候補どころか、後宮にいられなくなる)

「誰か」

「はい」

「あの白い化け物を、早く後宮から追いはらって」

「雪鈴は正妃選定の日に、大臣の息子に下げ渡されると聞いてますが……」

 怯え震えた声で、女官の一人が答える。

「生ぬるいわ」

 大臣の子息と結婚すれば、正妃となった美麗と顔を合わせる機会も多くある。
 公の場でまた余計な事を言われたら面倒な事になるだろう。

「絶対に皇都に立ち入れない身分にしないと……あの藍という女も、片付けた方がいいわね」

 邪魔者は、徹底的に排除しなくてはならない。簪の事も賄賂の件も、決して露呈してはならないのだ。

(そうだ、よいことを思いついたわ)

 美麗は楽しげに口の端を上げた。

「少し疲れたわ。横になるから、皆は下がりなさい」

 取り巻きと女官達を下がらせた美麗は寝所に入ると、慣れた手つきで窓辺に置いてあった鈴を鳴らす。
 暫くすると、知らせを受けた一人の男が寝所に入ってきた。

「お呼びでしょうか、美麗様」

「あなたに頼みたいことがあるの。聞いてくれるわよね?」

 美麗は男の顔に手を寄せ、妖艶な笑みを浮かべた。

「遅くなって申し訳ございません、雪鈴様」

「いいのよ。誤解が解けただけで、十分ですから」

 館を訪れた女官長から、罪人の身分は解かれたと説明された雪鈴はほっと胸をなで下ろす。

「最近、後宮に関わる官吏達の仕事に遅れが出ておりまして。私どもも厳しく言っているのですが……」

 後宮を統括する女官長は、正殿で仕事をする官吏達よりも位は上だ。
 なのに後宮に関する仕事を後回しにされるのは、理由があるのだろうと察する。

「あまり無理をしないでくださいね」

 自分は後宮を去る身だけれど、彼女は今後も後宮で姫君達の生活を守らなくてはならない。

「労りのお言葉、ありがとうございます。せめて陛下が正妃を決めてくだされば、後宮が蔑ろにされることはなくなるのですが」

「そういえば、即位なさったのに渡りがありませんね」

「噂では正殿を抜け出して、どこぞへ遊びに出ているとか。政は真面目に取り組んでくださっているので、大臣達も強く苦言を呈せず困っているようですよ」

「……大変ですね」

 お茶を飲みながら半時ばかり、女官長は愚痴をこぼして帰っていった。

「偉い人でも、気苦労が絶えないのね」

 うーんと伸びをして、雪鈴は茶器を片付ける。
 結局、簪の件の真偽は有耶無耶となった。

 雪鈴の今後に関しても罪人でなくなったとはいえ、一度は疑われた身というのは色々と問題があるらしい。なので正妃選定の際に、皇帝が直接沙汰を下すとの事で、それまではこの館で暮らすように言われたのだ。

「とりあえず、そんなに悪いようにはならないみたいだし。良かったわ」

 その女官長と入れ替わりで、藍が尋ねてくる。

 手には三段の重箱が抱えられており、出迎えた雪鈴と京は目を輝かせた。

「お茶菓子!」

「こんなに沢山! よろしいのですか?」

「気にするな。二人で食べなさい」

「ありがとうございます」

 受け取った京が、何度も藍に頭を下げる。

「服や家具だけでも十分なのに、毎日の食事やおやつまで頂いてしまって。本当に助かります」

 ほぼ毎日、この館を訪れる藍は必ず手土産として茶菓子を持参してくれるのだ。

 食事に関しても厨房と掛け合ってくれて、今では温かい料理が三食届けてもらえるようになった。
 すぐに京がお茶の準備をして、三人で一番広い部屋に集まる。

「では、良いかな?」

「はい」

 お茶を飲みながら、藍が帯から下げていた袋を卓に置き中身を広げる。

(相変わらず、すごいとしか言い様がないわ)

 色とりどりの簪や帯留め、首飾りに腕飾り。まだ加工されていない玉などが、山のように出てくる。

「いつもより多いが、頼めるか?」

「大丈夫ですよ」

 藍の言っていた頼みたい仕事とは、宝石の鑑定だった。

 彼の持ち込む宝飾品は全て素晴らしい品ばかりだが、精巧な模造品が含まれていたのだ。
 雪鈴は一つ一つの品を手に取り、石達の言葉に耳を傾ける。

「……これもまがい物ですね」

「東の鉱山から採れた、稀少な品だが。違うのか?」

「この石は、高温で焼くと赤く変色するんです。本人も、東の出身ではないと言ってます。北の海岸で採れる、ごく普通の玉だそうです」

「そんな事まで分かるのか!」

「玉も石も、嘘を嫌います。本当の姿で愛でてもらえなければ、不満を持ちますよ」

「雪鈴は石の言葉が分かるのだったな。私も聞いてみたいものだ」

 紅玉の耳飾りを手にした藍に、雪鈴は声を聞くコツを伝える。

「石に耳を近づけて、意識を集中させるんです。呼吸は深く、ゆっくりと。そうです」

「微かに金属を弾くような音がするだけだ」

 首を傾げる藍に、雪鈴は笑顔になる。

「それです! 慣れれば次第に、音に言葉が混ざり始めて聞き取ることができますよ」

「ほう」

「前々から感じていたのですけど、藍様は素質があります!」

 雪鈴からすれば、自分以外に石の言葉を理解する人が現れたというのはとても嬉しいことなのだ。

「しかし、この石の言葉を理解する能力というのは、術とは違うのか?」

 王や貴族は魔術師を抱える者も少なくない。魔術師の仕事は、主に病の治癒や天候を占うなど生活に密着したものが多い。

「はい。私は宝玉の神の声を聞く、巫女なのだそうです」

「巫女?」

「亡くなった祖母が教えてくれました」

 雪鈴は自分の出自をかいつまんで話す。

「そうだったんですね。そんな高貴なご身分とは知らず、私とても失礼な態度を取ってしまって。もうしわけございません」

「気にしなくていいのよ。それにこっちこそ黙っててごめんね、京。私、あなたときさくにお喋りできて嬉しいの。これからも今まで通りに接してね」

「ありがとうございます雪鈴様。ですが、そういう大切な事は、無闇に話したらいけません。特に後宮では命取りになります」

 大真面目に忠告する京に、雪鈴は肩をすくめる。

「私はもう寵姫になれる身分ではないわよ」

「関係ありません。この間の泥水をかけられた時もそうですけど、雪鈴様はもっと警戒すべきですよ」

 言うと京は何かを警戒するように、周囲を見回して声を潜めた。

「全ての姫君は後宮に住んでるってだけで、十分標的にされます」

「命取りとは、随分と物騒だね。京、詳しく教えてくれるかな?」

 藍が興味深げに、京に問う。

「お話ししてあげて。私もくわしく知りたいわ」

 危機感を持ったからというより、明らかに好奇心が前面に出ている二人を前にして京が大きなため息をつく。

「雪鈴様も藍様も、呑気が過ぎますよ。みな陛下の寵愛を得ようと必死で、殺気立ってるじゃないですか」

「まだ渡りもないのに?」

「渡りの前が重要なんですよ。正妃候補達の足の引っ張り合いの内容を陛下が知ったら、絶対に結婚しようだなんて思いませんよ」

「そんなに凄まじいのかい? それにしても、京は詳しいのだね」

「京は元々、正妃候補の姫の元で働いていた女官なんです」

「実家は着物を扱っていたので、その経験を買われてお仕えしたのですが……」

 両親も京自身も、あくまで位の高いお客に対しての作法を学ぶために仕えただけだった。しかし運がいいのか悪いのか、主人である姫に気に入られ後宮にまでお供することになってしまったのだと続ける。

「他の女官の方々からは、出しゃばるなと叱られて。庭で鞭打ちをされそうになったところを、雪鈴に助けていただいたのです」

「酷い事をする」

「皆さま、必死なんですよ。後宮の女性は身分を問わず陛下の目に留まりさえすれば、夜伽の権利を得られますし……一度きりの奇跡に人生賭けてる女官なんて、腐るほどいますよ」

 仕える主人に気に入られ、できるだけ側にいれば陛下と接触する機会は増える。だから京のような商家出身の娘は、下級貴族から女官になった者からすれば目障りこの上ない。
 女官達でさえこうなのだから、正妃候補達の争いはとんでもなく恐ろしいのだと京は何かを思い出したのか身震いする。

「だから他人の秘密を暴いて、脅したりなんて日常茶飯事ですよ」

「秘密、か」

「今のところ、美麗様が正妃として有力候補ですよ。あの方、他の姫君達を脅して、陛下の謁見は自分が一番最初になるようにしたって聞きました」

「よく知ってるわね、京」

 雪鈴と共にこの館へ移ってから、他の女官達との交流はなかったはずだ。

 すると京は、両手を腰に当てて胸を張る。

「そりゃあ、雪鈴様をお守りするために情報収集は大切ですからね。私だって、女官としての務めは果たしますよ」

「もしかして、自分のおやつを食べずに隠してたのって……その為だったの?」

「知ってらしたんですか。私も詰めが甘いですね。甘いナツメは人気があるから、下位の女官に賄賂として人気なんです」

「もうそんな事はしなくていいのよ。私は後宮内の争いも、陛下の渡りにも興味はないのだから。ちゃんとおやつは食べて」

「安心してください。藍様が沢山おやつを持ってきてくださるから、最近はちゃんと食べてますよ」

 慌てる雪鈴を宥めるように京が笑う。そして藍の方を向くと、深く頭を下げた。

「藍様も気をつけてくださいね。藍様は雪鈴様を助けてくださった恩人です。私にできる事があれば、なんなりとお申し付けください」

「ありがとう京」

 当然だが、京はまだ藍が男だとは知らない。

(京からしたら、私も藍様も後宮の内情を知らない世間知らずよね。……男性の藍様が、危害を加えられるようなことはないと思うけれど)

 何故彼が、毎日後宮に出入できるのか。そして明らかに国庫の品と思われる宝飾品を持っているのか。

 分からない事だらけで、雪鈴の頭は混乱してくる。

「どうしたんだい、雪鈴。疲れたのなら、今日はもう終わりにしよう」

「いえ、大丈夫です……ふえ?」

 素っ頓狂な声を上げてしまったのは、いきなり藍が砂糖菓子を摘まんで雪鈴の口に放り込んだからだ。

「味はどうだ? 異国の菓子を、うちの料理人に作らせてみたんだ」

「……んぐ、美味しいです……って、いきなり何するんですか!」

「悪い悪い」

 蕩けるような甘みと、花の香りが口の中いっぱいに広がる。

「もう、驚かせないでください」

「とか言いつつも、雪鈴様。頬が真っ赤ですよ」

「え!」

「あーあ、藍様が殿方でしたら雪鈴様に相応しい旦那様になると思うのですけど。残念です」

 心底がっかりしたふうに言う京に、藍はただ微笑んでいる。
 その隣で、雪鈴は藍と出会ってからずっと胸の中にあった感情を理解してしまった。


*****


 夕刻になると、藍は「また明日」と約束をして帰って行った。

「どちらの宮に住んでいらっしゃるのでしょうね?」

「京も知らないの?」

「実は一度だけ後をつけた事があるのですが、見失ったんです。後宮は入り組んでますし、町一つ分の広さがありますからね」

 実のところ、雪鈴もこの後宮の全貌はさっぱり分からない。自分の住む館が後宮の端にあると分かるのは、少し先に外界とを隔てる高い壁があるからだ。

 壁に近い住居を与えられるのは、下女か様々な理由で皇帝の目に入らないよう端に追いやられた姫だけ。
 ただ雪鈴としては、この場所は静かで居心地は悪くない。
 何より藍が手配して内部を改修してからは、宮にいた頃よりもずっと快適だ。


 京と共に夕餉を取り、湯浴みを済ませる。

 特にすることもないので、京にも休むよう告げてから自分の部屋に入った。寝台と書棚があるだけの、小さな部屋だ。

 雪鈴は窓辺に立つと、満月の輝く群青の空を見上げる。

(藍様とお話しをしていると、とても楽しい)

 声、仕草、抱きしめられたときの胸の高鳴りを思い出して、雪鈴は両手で頬を押さえた。
 本当はもっと早くに気付いていた気持ちだ。

 藍が女性だと思っていたから、恋ではなく強い彼女への憧れだと思っていた。
 でも藍が男性と気付いて、気持ちは変わってしまった。

「私、藍様がすき」

 けれど自分は、誰とも知らぬ相手に下げ渡される身。そもそも後宮へ入った時点で、雪鈴に自由はないのだ。
 帯から白露を出し、ずっと側にいてくれたこの小さな友に問いかける。

「白露、私どうしたらいい?」

『雪鈴は雪鈴のままでいいんだよ』

「私のまま?」

『素直に行動すればいい』

 月光を浴びても、白露は雪兎の姿には変化せず透明な石のままだ。

「でも、この気持ちをお伝えしても藍様を困らせるだけよ。……白露?」

 普段からあまり喋らない白露だけれど、今夜は特に口数が少ない。雪鈴がいくら話しかけても、白露が返答することはなかった。

「申し訳ございません。藍姫には急用が入って、本日の訪問はできなくなってしまいまして……。約束を反故にして申し訳ないと、言付かって参った次第です」

(らん)様もお忙しいのでしょう? 私の事は、気になさらないでとお伝えください」

 お菓子の入った重箱を受け取りながら、雪鈴(しゅえりん)は藍の代理で来た女官に笑顔で答える。
 彼女は館に家具を運び込む際に指揮を執っていた女官なので、藍からの信頼の厚い人物であるのは間違いない。

「それでは失礼致します」

 何度も頭を下げて去って行く女官に、雪鈴も深く礼を返す。

 わざわざ言づてをくれるだけでもありがたいのに、藍はいつもの『重箱お菓子』まで女官に持たせてくれていた。

「京も喜ぶわ」

 重箱を卓に置くと、雪鈴は辺りを見回す。

(京も厨房に行っちゃったし。お花に水やりをしようかしら)

 藍が揃えてくれた本は読み終えてしまったので、たまには気分転換に庭いじりもいいだろう。雪鈴は汚れてもいいように下女の着る麻の作業着に着替えると庭へ出た。

「いいお天気」

「……あの女だわ」

「新しい着物を揃えて貰ったなんて、やっぱり嘘だったのよ」

 数名の女官が茂みの間から現れ、雪鈴を取り囲む。

「あなたたちは?」

「罪人の化け物、さっさとついてきなさい。美麗(めいりー)様がお呼びよ」

「美麗様が? どうして私なんかを?」

「知らないわよ。逆らったら、鞭を打つからね。さっさとしな」

 脅すように、一人が手にした馬用の鞭を軽く振る。
 庭の手入れをしていた雪鈴は、美麗の側仕えである女官達に囲まれ、そのまま彼女の宮へと強引に連れて行かれた。

 助けを求めようにも、すれ違う女官達は揃って雪鈴達から目を逸らす。

 みな面倒ごとに関わりたくないのだ。

 宮に入ると、雪鈴を連れてきた女官達は急いで部屋を出て行く。そして客間には、豪華な長椅子にしどけなく座る美麗と、床に跪かされた雪鈴が残された。

「白い化け物さん、その麻の着物はとても似合っているわね。ところで、お前を呼んだ理由は分かってる?」

「いえ……」

「気持ち悪いのよ! その姿も、声も!」

「お気に障ったのなら申し訳ございません。もう数日で私は後宮から出ますので、ご安心ください。貴族の方に下げ渡されると聞いております。ですので、もう二度と会うこともないかと」

 すると美麗がくすりと笑う。

「下げ渡される? お前を娶る男なんて、いるわけがないでしょう。お前は海を渡った遠い国に、奴隷として売られるのよ」

「奴隷……売られるって……?」

 美麗の言葉が暫く理解できず、雪鈴は戸惑った。

「異国でも白い髪は珍しいんですって。きっと高く売れるわ。あの藍という女も、今頃お前に関わったことを後悔してる頃だわ」

「藍様に何をしたの!」

 自分に悪意が向けられるのは仕方がないと諦めがつく。けれど藍は、美麗となんの関わりもない。

「後宮から出て行く手助けをしてやっただけよ。どれだけ美しくても、顔に傷があったら後宮にはいられないものね」

「どうしてそんな酷い事をするのです! 私が憎いなら、私だけを責めてください!」

 すると長椅子の背後から、一人の男が出てくる。服装からして、正殿に勤める地位の高い官吏だ。

「お前も汚してやりたかったけれど、誰も化け物には近寄りたくもないんですって」

 嗤う美麗の側で、男が雪鈴を一瞥して眉を顰めた。

「お前のような異形は、呪われている証だ。触れて汚れが移ったりしたら大変だからな」

 男は雪鈴が見ていることなど気にする様子もなく、美麗の髪に触れる。それはまるで、恋人が触れるような手つきだ。
 なのに美麗は官吏の手を払うこともなく、好きにさせている。
 思わず雪鈴は、視線を逸らす。

「美麗様、なぜそのような殿方を御側に……」

「この方はお友達なの。私の言う事はなんでも聞いてくれるのよ。お前の身分を貴族から奴隷に書き換えて、売り渡す手配までしてくださったの。そうそう、明日には奴隷商が来るから支度をしておきなさい」

 気分が悪くなり、雪鈴は無言で部屋を飛び出した。

 背後からは高笑いが響く。

(どうしてここまで憎まれなくちゃいけないの? あの簪は、美麗様にとってどういう意味がある品だったの?)

 分からない事だらけだが、一つ確定しているのは自分が恐ろしい窮地に追い込まれているという事実った。

濡れ衣を着せられて後宮の端に追いやられた底辺姫。異能も容姿も気味悪がられてますが、これ巫女の証なんです

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