その夜。寝台の上に座った雪鈴は、帯の間から白露(しらつゆ)を出して月明かりにかざす。

「白露、あの姫君は不思議な方だったわね」

 笑顔で語りかけると、石から兎のような耳がびょこりと生えた。
 色も透明から乳白色に変化しており、まるで小さな雪兎に見える。

「綺麗なだけじゃなくて、なんていうか……格好良くて。本当に素敵。あの方が姫君ではなかったら、きっと恋をしていたわ」

 今まで恋愛には全く興味もなく、周囲にも対象となる相手がいなかった。

「あの方を思い出すと、胸の奥がぎゅっとなるの。不思議よね、白露」

『姫君ではないよ』

「え? じゃあ女官なの?」

『ひみつ』

 白露は鈴のような笑い声を上げると、再び元の透明な石に戻ってしまう。

「もう、白露ってば意地悪なんだから」

 月光にかざしてみても、白露はうんともすんとも言わない。
 こうなっては会話は無理だと、経験で知っている。

「藍様の秘密は、私が暴けって事ね」

 幸い時間ならたっぷりあるのだ。

*****

 その頃、美麗(めいりー)の宮では騒ぎが起こっていた。

「失礼します」

「何時だと思っているの? 私が寝所へ入ったら、何があっても立ち入るなと言ったのを忘れたの?」

「申し訳ございません。美麗様に、至急お知らせしたいことがございまして」

 息を乱して駆け込んできた女官に、美麗は苛立ちを隠しもせず冷たい視線を向けた。
 女官はその場に平伏すると、思いもよらないことを口にする。

「新たな姫君が、後宮へと入られました」

「新しい寵姫候補?」

「恐らくは」

「後宮に入る寵姫の選別は終わっているでしょう。女官か侍女ではないの?」

「下女が見たと申しておりましたので……身なりからして、上級貴族だと」

 だが彼女の口から告げられるのは、どうにもはっきりとしない内容だけ。
 報告してきた女官は、女官長の信頼の厚い者だ。なのに彼女が新たに加わった姫に関しての情報を知らされていないのはおかしい。
 何より美麗を苛立たせたのは、自分に何の挨拶もなかったことだ。

(正妃候補のわたしに通達もなく、寵姫候補を増やすなんてあり得ない)

 薄衣を羽織り寝台から降りると、美麗は女官に近づく。

「その女、誰の茶会に招かれたのか分かる?」

「いえ……それが……」

「はっきり言いなさい!」

「後宮へ入るなり、真っ先に雪鈴の館を訪ねたようです」

「っ……」

 忘れれようとしていたその名を聞いて、胸の奥から怒りが湧いてくる。
 女官や取り巻き達の前で、恥をかかせた憎い女。

「……そういえば、あの白い化け物さんも挨拶に来なかったわね」

 寵姫候補ですらなくなった女のところへ行くなど、どうかしている。

「好奇心旺盛な姫のようね」

「背が高いので、西方貴族の出身だと思われます」

「ふうん」

 美麗からすれば、代々皇都で大臣職を与えられる貴族だけが、本物の貴族だというプライドがある。
 だから辺境や、異国の血が混じる姫など正直どうでもよかった。
 けれどよりにもよって、まず最初に雪鈴の館へ挨拶に行った事実が気に食わない。

「そういえば、雪鈴は北方から来た下級貴族でしたわね」

「下級貴族同士で、気が合うのだろう」

 分厚い天蓋の布で覆われた寝台から、低い声がする。
 女官はびくりと肩を震わせたが、平伏したまま動かない。

「ちょっとからかって差し上げましょう……あなた今夜見聞きしたことは、他言無用よ。もし約束を破ったらどうなるか。分かるわね」

「はい」

 消え入るような声で、女官が返答する。

「これからもあの女を見張りなさい。よい働きをすれば、特別に金をあげるわ」

「ありがとうございます。私は美麗様に誠心誠意、お仕えいたします」

 女官は媚びた声で礼を述べると、平伏したまま後じさり寝室を出ていく。

(正妃となるわたしを蔑ろにしたこと、後悔させてやるわ)

 美麗は羽織っていた単衣を脱ぎ捨て、男の待つ寝台へと戻った。