「まず、私が帝位を継いだ直後からの話をしよう――」

 先帝、つまり天藍(てんらん)の父は良くも悪くも事なかれ主義で、政にも関心が薄かった。無闇に税を上げたり、厳しい法をつくったりはしなかったが、民の幸せを第一に考える事もしなかった。

 特に妃である天藍の母が亡くなってからは、後宮で暮らすようになってしまう。
 そんな父が病で亡くなり、第一子であった天藍が順当に後を継ぐ。

 混乱が起きなかったのは葬儀が終わるなり、寵妃達が我が子を連れて行方を眩ませたからだ。何故そんなことをしたのか理由が分かったのは、後宮が空になってからのこと。

 寵姫達は貴族から賄賂をもらい、私腹を肥やしていた事を暴かれるのを恐れたのだ。

「我が父の代で賄賂が横行してしまい、一部の貴族は私腹を肥やし手の着けようがなかったのだ」

「そのような事になっていたのですね」

 太子の時代から父に代わり政を取り仕切っていた天藍は、すぐ国庫の状況を調べさせた。破綻こそしていないが早急に立て直さなくてはならず、色々と調べるうちに美麗一族の噂話や、宝物庫の問題が浮かび上がったのだと続ける。

「以前から正妃候補の一族には妙な噂があったが、それだけでは裁くことはできない。確固たる証拠を得るために内密に探りを入れていた矢先に、簪の騒ぎが起こったんだ」

 皇帝である天藍でも迂闊に手が出せないとはどういうことかと、雪鈴(しゅえりん)は首を傾げた。

美麗(めいりー)様の一族は、国内でも屈指の大貴族ですしね。こういうことは、しっかり証拠固めをしないといけません」

「そうなのね。私、都の事情には詳しくなくて……」

「昔は正妃も出した名家ですよ。後宮には美麗を筆頭に、一族の娘が何人もいらっしゃいました」

 こそりと(きょう)が雪鈴に耳打ちしてくれる。

「宝物庫の贋作は巧妙に作られていて、専門の鑑定士でもすぐには見分けがつかない。そこで君に白羽の矢が立った」

「石の声が聞けるからですか?」

「ああ、そうだ」

「……何故陛下は、そのような話を信じてくださったのですか?」

 石の声が分かると言ったせいで、自分は寵姫候補の位を剥奪され後宮の端へと追いやられた。故郷での仕打ちを思い返せば、気味悪がられて当然だと思う。

「正直に言えば、最初は疑った。だから直接会って確かめようと思ったんだよ。君に双子水晶を見せただろう? あれは鑑定士の最終試験にも使われる品だ。普通なら三日かける所を、君は一目で見破った。術も使わずにだ」

「でしたら尚更、陛下の行動が分かりません。女装をしていても、皇帝が後宮に出入りしていると気付かれれば騒ぎになるのは分かっていましたよね?」

「私が君に会いたかった。理由はそれだけだ」

 天藍が雪鈴の白い髪を一房指に絡め取り、そっと口づける。

「石の声を聞くと話す罪人が、どのような姫かと思えば……後宮へ入る際に窓辺から僅かに見えた君だとは思わなかった。これはもう運命だと確信したよ」

 人前で堂々と口説かれ、雪鈴はどうしたらいいのか分からなくなるが、この場で天藍を止めてくれる人などいない。

「改めて君に問いたい。私の妻になってくれるか?」

 昨日、彼の言葉に頷いたけれど、まさか相手が皇帝だなどと思ってもいなかった。

(一応、確認した方がいいわよね)

「……あの……それってつまり、正妃になれってことでしょうか?」

「堅苦しい身分が嫌なら、私は皇帝の地位を捨てるよ。雪鈴が外の国に行きたいというなら、私も同行しよう」

 にこにこしてる天藍だが、目は笑っていない。

 思わず周囲を見回すと、泣きそうな顔で見ている大臣達と目が合ってしまう。

(これ、私の返答次第で大事になるわ)

 天藍のことは嫌いではないし、むしろ好いている。しかし雪鈴としては素直に頷けない理由があった。

「嫌ではありません。昨日お伝えした気持ちは、本心です。……ですが、このような私で陛下はよろしいのですか? それに後宮には、正妃候補の方々もいらっしゃいますよ」

「このような、とはどういう意味だい?」

「髪と目の事です」

 正妃となれば、公の場に出なくてはならない。自分のような異形が皇帝の隣に立てば、天藍の評判が落ちるのではと雪鈴は危惧したのだ。

「白い髪と紅い瞳は、わが一族では吉兆の証だ。何より故郷で巫女であったというのなら、なにも問題はない」

 そう言って、天藍は大臣と女官を見回す。

「国中を探しても、雪鈴様ほど正妃に相応しい方はいらっしゃいません」

「どうか陛下を。そして国を支えてくださいませ」

 口々に頼まれ、雪鈴は慌てながらも天藍の問いに頷きかけた。

「あ、あの……私でよいのでしたら――」

 とその時、扉を隔てた外廊下から女達の金切り声が聞こえてきた。

「早く陛下に会わせて!」

「いつまで待たせるつもり? 全く正殿の女官はなってないわ!」

「正妃になったら、お前達をむち打ちしてやるからね!」

 どうやら室内に皇帝がいるとは知らないらしい。
 正殿に仕える女官を怒鳴りつける声が、途切れることなく聞こえてくる。

「ああ、正妃候補たちも呼んでいたのだったな」

 呆れと僅かな怒りを含んだ天藍声に、室内の空気が凍る。

 一瞬にして悪い意味で『厳かな』雰囲気に包まれた謁見の間で、天藍だけが微笑んでいた。

「さっさと済ませよう、入れてやれ」