濡れ衣を着せられて後宮の端に追いやられた底辺姫。異能も容姿も気味悪がられてますが、これ巫女の証なんです

翌日、いつもと変わりない様子で、藍が雪鈴の館を訪れた。

「やあ、おはよう雪鈴。昨日はすまなかったね、外せない仕事があって……」

「藍様! ご無事だったんですね。よかった」

 抱きつく雪鈴を藍が優しく抱きしめ返す。

「私はいつでも無事だよ。そんな不安げな顔をして、なにかあったのかい?」

「あの、美麗様が……藍様に人を使って、襲わせるって言ってたから」

 言い淀む雪鈴に、藍が何か察したらしい。

 苦笑しながら肩をすくめる。

「あの馬鹿どもは、追いはらってやったさ」

「藍様が? お一人で?」

「そうだよ。それにこう見えても、喧嘩は強いんだ」

 得意げな藍に、雪鈴は改めて男の人だったと思い出す。

「しかし、厄介な事になったな。証拠集めに、時間をかけすぎたかもしれない」

「?」

 小首を傾げる雪鈴に、藍が笑ってみせる。

「そうだ明日、私の宮へ招待しよう」

「それは、嬉しいですけど……叶いません……私は奴隷として売られるんです」

「奴隷?」

 怪訝そうに藍が聞き返す。彼が尽力して罪人の疑いを晴らしてくれたのに、突然「奴隷として売られる」などと聞かされれば疑うのも無理はない。

「美麗様が――」

 雪鈴は美麗から聞いた話を、藍に伝えた。

「脅しではないと思います。あの方は、私が簪の件で無礼を働いたことに酷くお怒りで。……誤解を解くために尽力してくださった藍様も巻き込んでしまって、本当にすみません」

 二人の間に沈黙が落ちる。

(私のせいで色々と巻き込んでしまったのだもの。叱られても仕方ないわ)

 いくら藍が男で腕が立つといっても、人を使って襲われるとまでは想定していなかっただろう。
 幸い今回は無事だったが、藍は自分と関わったことで美麗に名前を覚えられてしまっている。

「後で美麗様には、藍様は関係がないと手紙を書きます。ですからもうお帰りください」

「雪鈴」

「はい」

 顔を上げて藍を見ようとしたが、何故か強く抱きしめられてしまう。彼の胸に顔を埋める形となった雪鈴は、どうしていいのか分からずじたばたと藻掻く。

「あ、あの。京に見られたら、その……」

「ごめん。今、君に顔を見られたくないんだ。きっと恐ろしい顔をしていて、怖がらせてしまうからね」

 言葉は優しいのに、その声音は怒りの感情を押さえ込んでいると、聞いただけで分かってしまう。無意識に雪鈴が身を強張らせると、背に回された藍の手が優しく撫でさすってくれる。

「怯えないで、雪鈴。君に怒っているのではないよ。美麗とその甘言に操られた官吏に怒っているんだ」

「藍様……」

「君を抱きしめていると、不思議と心が落ち着く。できるなら、一日中でも抱きしめていたいな」

「冗談はやめてください!」

 軽く藍の胸を押すと、雪鈴を閉じ込めていた腕はあっさりと離れた。
 見れば藍はいつものにこやかな藍で、怒っているようには思えない。
 ほっとしつつ、雪鈴は改めて藍に向き合う。

「藍様。私、ずっと友達がいなかったんです。この髪と目のせいで、故郷でも家族から気味が悪いと叱られてばかりいました。だから少しの間でも、美しいあなたとお話しできて嬉しかった」

 祖母が死んでから、雪鈴は孤独だった。巫女の伝説を信じてくれる使用人達もいたけれど、彼らからすれば雪鈴は敬うべき存在で、対等な会話は望めない。

 両親を含めた親族は雪鈴の容姿こそ「美しい」と認めていたが、白い髪と紅い瞳を「気味が悪い」と罵り続けた。
 何より周囲との溝となったのは、「石の声を聞く」巫女としての能力だった。
「――藍様と京は、こんな私と普通にお話ししてくださいました。生涯忘れません」

「売られることを受け入れるような物言いはしないでくれ。私は君が奴隷になるなど認めない。すぐに官吏を呼んで訂正させる――」

「私なら大丈夫です。いっそ異国に行った方が、道が開けるかもしれませんし」

「雪鈴。後宮にいた女性が奴隷となれば、どんな扱いを受けるか……君は理解しているのか?」

「そのくらい分かりますよ」

 温室育ちの箱入り姫君ではない。後宮に入ったにもかかわらず皇帝の手つきではないとなれば、好事家に高値で売られるだろう。

 だがそれは、あくまで『普通の姫』の場合だ。

「けど考えてみてください。こんな気味の悪い女を抱きたいなんて思う殿方が、いる筈ありません」

「いや、いるだろう!」

「いません!」

「ここにいる!」

 即答され、呆気に取られる雪鈴の手を、藍が強く握る。

「私は君を」

 だが雪鈴は、強い眼差しを向けることで藍の言葉を遮った。

「……ありがとうございます。そのお気持ちだけで、十分です。後宮に入れたのだって、美姫ばかりの後宮で一人くらい珍しい容姿の者がいれば、陛下も飽きないだろうという女官長の判断のお陰なんです」

「っ……」

「まあ、殿方並みの力仕事は無理ですし。良くて家政婦。檻に入れられて、見世物になる可能性の方が高いかしら」

 さりげなく藍の手を振りほどき、雪鈴はにこりと笑う。

「この姿と異能を持って生まれた以上、穏やかに生きられるとは思っていません。覚悟はできています」

「雪鈴、君はどうして落ち着いていられるんだ」

「怖いですよ。でも一人じゃありませんから」

 首を横に振り、帯に挟んである白露を出して見せた。

「この子が一緒にいてくれます」

「美しい玉石だね」

「白露と言って、代々巫女に受け継がれる守り石なんです。これまてもこの子と一緒に、乗り越えてきました。元に戻るだけです」

 どれだけ辛くて苦しいときも、白露は雪鈴を励まし見守ってくれた。
 これからもきっと、雪鈴によき助言をしてくれるだろう。

「そうだ、京を藍様にお預けします。彼女に罪はありませんから」

 自分が奴隷となれば、京は新たな主人を探さなくてはならない。また傍若無人な姫の側仕えになるより、藍の元で働ければ彼女も安心だろう。

「奴隷から商人にのし上がった人もいるって、聞いた事があります。だからどうか、私の心配しないでください」

「君は前向きだな」

「ここにいても、後宮の姫は渡りがなければ悲惨ですし。下げ渡された先で、どういった扱いを受けるかも分かりませんし」

 正直なところ、女官長から「下げ渡し」の沙汰の件を聞いたときの方が不安は強かった。皇帝の命である以上、乱暴な扱いこそされないだろうけど、こんな異形の姫を公の場に出す貴族はいないだろう。
 屋敷の奥に閉じ込められ、死ぬまで孤独に暮らす事も雪鈴は覚悟していたのだ。

「渡りがなければ、確かに辛い思いをさせてしまうことになるな……」

 藍は雪鈴の言葉に思うところがあるのか考え込む。

「雪鈴は、夫が側室を持つことには反対か?」

「そりゃまあ。っていうか、誰だってそうですよ。夫だって、妻が側室持ってたら嫌でしょう?」

「それもそうだな」

 納得してくれたのか、藍が頷く。
 そしてもう一度雪鈴の手を取ると、徐に指先に口づけた。

「藍様っ?」

「雪鈴。君はその髪と瞳を気にしているが、私は初めて君を見たときこんなにも美しい姫がいるのかと驚いたんだ」

「へ?」

「仙女が現れたと……本気で思った。友人に話したら、一目惚れだと指摘されたよ」

 信じられない褒め言葉を浴びて、雪鈴は真っ赤になって固まってしまう。
 そんな雪鈴を見て、藍が困ったように微笑む。

「私が求婚したら、受けてくれるか?」

「ですから、私は――」

 奴隷として売られるのだと言おうとしたが、藍が唇を重ねて雪鈴の言葉を封じてしまう。

「君の気持ちが知りたい」

 呆然としていると、白露の言葉が雪鈴の脳裏を過った。

『素直に行動すればいい』

(この事なの? 白露……でも私は……)

 正しく行動するならば、彼の求婚に頷くべきではない。けれど雪鈴は感情のままに彼の胸に飛び込む。

「お受けします」

 今度は頬に手が添えられ、深く口づけられる。

「……私の紅が移ったな。この桃色は、雪鈴の方がよく似合う」

 唇が離れると、そう言って藍が優しく雪鈴の口元を撫でた。

「どれだけ離れても、私の心はあなたのものです。藍様」

「ありがとう、雪鈴」

 優しく抱きしめてくれる藍の腕の中で、雪鈴は生まれて初めて声を上げて泣いた。
(いよいよね)

 覚悟を決めて迎えた翌朝。雪鈴はいつも通り京と共に朝食を取り、恥ずかしくないように身支度を調える。
 後宮を出るまでは、まだ身分は下級貴族の姫となっている。

「京、短い間だったけれどありがとう。あなたのことは、藍様に頼んであるから大丈夫よ」

「雪鈴様。私もご一緒させてください!」

「何を馬鹿な事を言っているの」

 互いに手を取りあい別れを惜しんでいると、扉が開き数名の女官達が入ってきた。

「お迎えに上がりました」

 やってきたのは後宮を統括する女官長ではなく、藍の側仕えをしている見知った女官だった。

「お着物はこちらで用意しましたので、お着替えを」

「着替え?」

 女官達が捧げ持っているのは、どう見ても奴隷の着るような粗末な服ではない。

 というか、まるで皇后が纏うような立派な着物だ。桃色の地に金糸銀糸をふんだんに使って、鳳凰が刺繍されている。

「何かの間違いじゃないですか? 私は……身分を剥奪されて、売られるのだと……」

「いいえ。さあ、早くお着替えを」

 にこにこしている女官達に、雪鈴も京も呆気に取られて動けない。

「京、あなたもですよ」

「わ、私もですか?」

 何がなにやら分からないまま、二人は女官達に取り囲まれる。そして恥ずかしいと思う間もなく服を剥ぎ取られ、上着どころか下着から靴まで全てを新しいものに着替えさせられた。

「雪鈴様……私が着ているこれ、正殿で仕事をする女官の着物なんですが……」

「私もこんな豪華な着物、初めて着たわ」

「藍様がお待ちでございます」

 女官の案内で、二人は有無を言わせず連れ出されてしまう。
 正妃候補達の住む宮を通るが、みな忙しくしているようでこちら見向きもしない。

「えっと、あの。勝手に出てもよろしいのですか?」

 後宮と正殿を繋ぐ扉の前まで来て、流石に雪鈴も戸惑いを隠せない。美麗の言葉通りなら、ここで自分は罪状を告げられ奴隷として出る手続きを行うのだ。
 けれど女官達は微笑むばかりで、雪鈴を急かす。

「よく分かりませんけど、言うとおりにした方がいいんじゃないでしょうか? 私達、こんな立派な服を着せて貰ったんですから、それなりの扱いをしてもらえると思います」

「そうね」

 京に励まされて、雪鈴も頷く。
 そして二人は、皇帝の住まいである正殿へと足を踏み入れた。後宮とはまた趣の違う立派な廊下を通り、中心に近いと思われる部屋の前に通される。

 龍の描かれた扉の前で案内してきた女官が振り返り、厳しい表情で二人に釘を刺す。

「こちらは陛下の私的な謁見の間になります。見聞きしたことは、他言無用でお願い致します」

(やっぱり、厳しい沙汰が下るんだわ)

 わざわざ着替えさせたのは、皇帝の前に出るには二人の着物が余りにみすぼらしいと判断したからだろう。
 左右に控えた女官が扉を開け、雪鈴と京は中へと入る。

「雪鈴と、側仕えの京でございます」

 頭を下げ数歩進んでから、雪鈴と京は床に額ずく。

「初めてお目にかかります……」

「初めてではないのだかな。そんな堅苦しい挨拶は止めてくれ。君達と私の仲じゃないか」

「え?」

「二人とも顔を上げて」

 衣擦れと足音が近づき、誰かが雪鈴の手を取って顔を上げるよう促した。

「……藍様!」

「正しい名は天藍(てんらん)だ。隠していてすまなかった」

 目の前にいるのは、紛れもない藍その人だった。
 しかし雪鈴の知る女装姿ではなく、男性の正装を纏っている。

 正確には、皇帝の装いだとすぐに雪鈴は気が付いた。


「後宮は私のものだが、手続きもせず立ち入れば騒ぎになるからな」

 皇帝とはいえ、正式に婚礼を迎えていない今は後宮への立ち入りが制限されるのだと、天藍が面倒くさそうに肩をすくめる。

「だから女装したのだ。なかなかのものだっただろう?」

 楽しげな天藍とは反対に、控えている女官や大臣らしき老人達は青ざめて項垂れている。

「どうした、雪鈴」

「いえ……」

「さあ、こんなところで跪く必要はない。君の座る部場所はあちらだ」

 満面の笑顔で天藍が指さすのは、正面の数段高くなっている場所。つまり玉座だった。
 ただ本来の玉座と少し違い、二人がけの長椅子が置かれている。それも金の台座に緋毛氈をふんだんにあしらった、豪華な長椅子だ。

 天藍は雪鈴の手を取ると、玉座代わりの長椅子に向かって歩き出す。

「さあ雪鈴、隣に座ってくれ。京は雪鈴の側に控えてくれ」

 先に腰掛けた天藍が雪鈴を隣に座るよう促し、京には雪鈴の側に控えるよう長椅子の斜め後ろを指さす。
 いくら私的な部屋だとしても、これは流石に無作法ではないかと女官に視線を送るが、彼女は諦めた様子で首を横に振る。

「陛下の言うとおりにしてやってください。正式な場ではこんな馬鹿な真似はしないので、大目に見ていたのですが……」

「女官長殿、あなたの責任ではない。陛下を甘やかした私どもが悪い」

「喧嘩なら外でやってくれ。ほら雪鈴、早くおいで」

 目頭を押さえる大臣や女官達に構わず、天藍が長椅子を叩く。

(見聞きしたことは他言無用って……こういう事なのね)

 雪鈴はため息をつくと、青ざめて動けずにいる京を手招く。

「京いらっしゃい。叱られたりしないわ」

「顔色が悪いな。京、お前にも椅子を用意させよう」

「いえ、大丈夫です! 私、とても元気ですから!」

 引きつった笑顔で固辞した京が、慌てて駆け寄り雪鈴の少し後ろに立つ。そこは、主人が一番信頼を置く側仕えの立ち位置だ。

(京、大丈夫かしら。後で甘いものを出してやれないか、女官の方に聞いてみよう。とはいえ、私も気をしっかり持たなくちゃ)

 真っ青になって震えている京を気遣いたいが、雪鈴とてこの状況に理解が追いつかない。

(それにしても、藍様が皇帝だったなんて……私とても、失礼な事言ってなかったっけ?)

 訳ありの人だとは思っていたが、まさか皇帝本人とは考えたこともなかった。
 そもそも皇帝であれば、正式に廊下を通って渡ってくれば良い。身分を隠し、女装までして罪人に会いに来るなど、誰が予想しただろう。

「不安にさせてすまなかったね。今日まで隠しておかなくてはならない理由があったんだ」

 考え込んでいる雪鈴に、天藍が声を落とした。

「実は宝物庫から盗難が相次いでいてね。犯人を捕らえる為に偽物を見分けなくてはならなかったのだが、思いのほか手間取ってしまった。困り果てていた時、後宮に忍ばせていた手のものが君の話を聞きつけて伝えてくれたんだよ」

「噂って、美麗様の簪をまがい物と指摘した件でしょうか?」

 頷く天藍が、苦い顔になる。

「まず、私が帝位を継いだ直後からの話をしよう――」

 先帝、つまり天藍(てんらん)の父は良くも悪くも事なかれ主義で、政にも関心が薄かった。無闇に税を上げたり、厳しい法をつくったりはしなかったが、民の幸せを第一に考える事もしなかった。

 特に妃である天藍の母が亡くなってからは、後宮で暮らすようになってしまう。
 そんな父が病で亡くなり、第一子であった天藍が順当に後を継ぐ。

 混乱が起きなかったのは葬儀が終わるなり、寵妃達が我が子を連れて行方を眩ませたからだ。何故そんなことをしたのか理由が分かったのは、後宮が空になってからのこと。

 寵姫達は貴族から賄賂をもらい、私腹を肥やしていた事を暴かれるのを恐れたのだ。

「我が父の代で賄賂が横行してしまい、一部の貴族は私腹を肥やし手の着けようがなかったのだ」

「そのような事になっていたのですね」

 太子の時代から父に代わり政を取り仕切っていた天藍は、すぐ国庫の状況を調べさせた。破綻こそしていないが早急に立て直さなくてはならず、色々と調べるうちに美麗一族の噂話や、宝物庫の問題が浮かび上がったのだと続ける。

「以前から正妃候補の一族には妙な噂があったが、それだけでは裁くことはできない。確固たる証拠を得るために内密に探りを入れていた矢先に、簪の騒ぎが起こったんだ」

 皇帝である天藍でも迂闊に手が出せないとはどういうことかと、雪鈴(しゅえりん)は首を傾げた。

美麗(めいりー)様の一族は、国内でも屈指の大貴族ですしね。こういうことは、しっかり証拠固めをしないといけません」

「そうなのね。私、都の事情には詳しくなくて……」

「昔は正妃も出した名家ですよ。後宮には美麗を筆頭に、一族の娘が何人もいらっしゃいました」

 こそりと(きょう)が雪鈴に耳打ちしてくれる。

「宝物庫の贋作は巧妙に作られていて、専門の鑑定士でもすぐには見分けがつかない。そこで君に白羽の矢が立った」

「石の声が聞けるからですか?」

「ああ、そうだ」

「……何故陛下は、そのような話を信じてくださったのですか?」

 石の声が分かると言ったせいで、自分は寵姫候補の位を剥奪され後宮の端へと追いやられた。故郷での仕打ちを思い返せば、気味悪がられて当然だと思う。

「正直に言えば、最初は疑った。だから直接会って確かめようと思ったんだよ。君に双子水晶を見せただろう? あれは鑑定士の最終試験にも使われる品だ。普通なら三日かける所を、君は一目で見破った。術も使わずにだ」

「でしたら尚更、陛下の行動が分かりません。女装をしていても、皇帝が後宮に出入りしていると気付かれれば騒ぎになるのは分かっていましたよね?」

「私が君に会いたかった。理由はそれだけだ」

 天藍が雪鈴の白い髪を一房指に絡め取り、そっと口づける。

「石の声を聞くと話す罪人が、どのような姫かと思えば……後宮へ入る際に窓辺から僅かに見えた君だとは思わなかった。これはもう運命だと確信したよ」

 人前で堂々と口説かれ、雪鈴はどうしたらいいのか分からなくなるが、この場で天藍を止めてくれる人などいない。

「改めて君に問いたい。私の妻になってくれるか?」

 昨日、彼の言葉に頷いたけれど、まさか相手が皇帝だなどと思ってもいなかった。

(一応、確認した方がいいわよね)

「……あの……それってつまり、正妃になれってことでしょうか?」

「堅苦しい身分が嫌なら、私は皇帝の地位を捨てるよ。雪鈴が外の国に行きたいというなら、私も同行しよう」

 にこにこしてる天藍だが、目は笑っていない。

 思わず周囲を見回すと、泣きそうな顔で見ている大臣達と目が合ってしまう。

(これ、私の返答次第で大事になるわ)

 天藍のことは嫌いではないし、むしろ好いている。しかし雪鈴としては素直に頷けない理由があった。

「嫌ではありません。昨日お伝えした気持ちは、本心です。……ですが、このような私で陛下はよろしいのですか? それに後宮には、正妃候補の方々もいらっしゃいますよ」

「このような、とはどういう意味だい?」

「髪と目の事です」

 正妃となれば、公の場に出なくてはならない。自分のような異形が皇帝の隣に立てば、天藍の評判が落ちるのではと雪鈴は危惧したのだ。

「白い髪と紅い瞳は、わが一族では吉兆の証だ。何より故郷で巫女であったというのなら、なにも問題はない」

 そう言って、天藍は大臣と女官を見回す。

「国中を探しても、雪鈴様ほど正妃に相応しい方はいらっしゃいません」

「どうか陛下を。そして国を支えてくださいませ」

 口々に頼まれ、雪鈴は慌てながらも天藍の問いに頷きかけた。

「あ、あの……私でよいのでしたら――」

 とその時、扉を隔てた外廊下から女達の金切り声が聞こえてきた。

「早く陛下に会わせて!」

「いつまで待たせるつもり? 全く正殿の女官はなってないわ!」

「正妃になったら、お前達をむち打ちしてやるからね!」

 どうやら室内に皇帝がいるとは知らないらしい。
 正殿に仕える女官を怒鳴りつける声が、途切れることなく聞こえてくる。

「ああ、正妃候補たちも呼んでいたのだったな」

 呆れと僅かな怒りを含んだ天藍声に、室内の空気が凍る。

 一瞬にして悪い意味で『厳かな』雰囲気に包まれた謁見の間で、天藍だけが微笑んでいた。

「さっさと済ませよう、入れてやれ」
扉が開くと、それまで騒ぎ立てていたのが嘘のように、正妃候補の姫達が静かに入ってきた。

 女官に促され、さっきまで雪鈴が跪いた位置に同じように五人が並んで頭を下げる。
 正妃の地位に最も近いとされる美麗が中央、その隣には京の元主人が跪いていた。

「顔を上げよ」

 天藍ではなく大臣が告げると、彼女たちは一斉に顔を上げた。そして一番美しく見えるよう練習した笑顔を天藍に向ける。
 だがすぐに隣に座る雪鈴に気付き目を丸くする。

 一体何が起こったのか理解できず、彼女たちはぽかんとしていたが、美麗が一番最初に我に返ったようだ。
 雪鈴を睨み付けると、雪鈴を指さして怒鳴った。

「何故罪人がこのような場にいるのですか? 陛下の御側に侍らせるなど、危険でございます。早く追いはらってください!」

「陛下の前であるぞ。口を慎め」

 大臣に窘められ、美麗が唇を噛む。
 並んで跪く姫達は当然だが、雪鈴に対しても膝をつかなくてはならない。
 美麗のように口には出さないけれど、苛立ちは伝わってくる。

「さて、詳しい話をする前に幾つか確認したい事がある」

 やけにのんびりとした調子で、天藍が左端に座る姫を見遣る。

「雪鈴、あの姫君の髪飾りはなんという石か教えてくれないか?」

「海岸で採れる丸石で、珍しいものではありません。磨くと光沢が出るので、宝玉と勘違いされる方もいます」

「ふざけないで! これは宝典山から採れる特別な宝玉なのよ!」

 指摘された姫が頭から簪を引き抜いて、雪鈴に突きつける。

「大変申し訳ないのですが、美麗様の側仕えの方が偽物とすり替えたそうです。本物は質に入れられたみたいですね」

 大きな翡翠に似たそれは、雪鈴にだけ聞こえる声で訴えてくる。声の聞こえる雪鈴にしてみれば、石も宝玉もそれぞれ自尊心を持っているので、間違えられるのは嫌なのだ。

 だから石達は持ち主に『真実を知ってほしい』と訴えるのだと、できるだけ丁寧に説明をする。

「と言うわけだ。他にもすり替えられたり、売られた石があれば教えてくれるか?」

「はい――」

 雪鈴は天藍に乞われるまま、彼女たちの身につけている宝飾品の半分ほどが、まがい物だと指摘する。
 商人に騙されて買ってしまった品もあったが、殆どは美麗がすり替えた偽物だった。

 最初は雪鈴を睨んでいた姫達も、次第にその視線を美麗へと変える。

「みなさん、こんな気味の悪い女の戯れ言を信じるの? 私は大貴族の娘よ。すり替えるだなんて、泥棒のような真似はしないわ」

「では、共犯者を呼ぼう」

 天藍が手を叩くと、縄で縛られた官吏と、美麗の側仕えをしている女官が数人連れて来られた。

 縄を持つ兵士の隣で、秋官と思われる男が問う。

「お前達、何か言うべきことはあるか?」

「私は美麗様に言われて、仕方なく盗みをさせられたのです」

「質に入れるよう指示したのは、美麗様です。俺は悪くありません」

 官吏と女官の裏切りにも関わらず、美麗は平然としている。

「全てこの者達の妄言でございます。第一、何故私が宝物庫から盗んだ品を、質に入れなくてはならないのでしょうか?」

「宝物庫と言ったな。姫達から盗んだのではないのか?」

 指摘にはっとした様子で、美麗が口元を抑えたがもう遅い。
 言い訳を考えてる美麗に、雪鈴はおずおずと告げる。

「美麗様、こんな時に大変申し訳ないのですが。胸元に飾られているその青い石は、偽物ですよ。宝物庫を管理する方が見れば、すぐに分かります」

「宝物庫の奥で保管されている、皇妃だけが身につける首飾りと似ているな」

 真っ青になって震えている美麗に女官が近づき、その首飾りを外す。そして控えていた宝物庫の役人に渡した。

「確かに、これは宝玉ではありますが。宝物庫に入れる程の価値はございません。首飾りの形も、宝物とは細部が違っております」

「本物は商人に買い取らせたようですね。旅の商人らしいので、早く追いかけた方が良いと思います」

 雪鈴の言葉を聞いて、扉の近くにいた官吏の一人が慌てて部屋を出て行く。恐らく買い取った商人を探しに行ったのだろう。

「あなた! 私まで騙したのね!」

 それまで震えていた美麗が急に顔を上げ、縄で縛られた官吏の男を怒鳴りつけた。

「君が金が欲しいと騒いだから用立てただけだ。宝物庫の宝石も金も両方欲しいなんて、無理に決まってる。どうせ偽物と見分けがつかなかったんだから、別にいいだろう!」

「私は本物だと思って、身につけたのよ! 酷いわ! 陛下、私は騙されたのです……」

 鬼のような顔で叫んだかと思えば、縋るように天藍を涙目で見つめる美麗に、その場に居る全員が呆れ返っていた。
 だが本人だけは、悲劇に見舞われた姫という立場を疑ってはいないらしい。

「ちょっとした出来心なんです。私は陛下の妻となる身なのですから、皇妃の首飾りを身につけてもおかしくはありませんよね?」

「正気で言っているのか?」

「え……? だって私は、大貴族の娘で……」

 美麗は天藍から慰めの言葉をもらえると、本気で思っていたらしい。
 冷たい声と周囲から向けられる侮蔑の視線に、やっと自分の置かれた状況を理解し始めたようだ。



「お前のような思慮の浅い者を、私は伴侶にするつもりはない」

 愕然としている美麗(めいりー)に、天藍(てんらん)が容赦なく続ける。

「美麗。お前はその官吏と随分仲が良いそうだな」

「陛下それは何かの勘違いです。雪鈴が嘘を吹聴したのです」

「そうなのか? しかし私は、その男がお前の宮から出てくるところを見たぞ」

 焦る美麗の側で青ざめている官吏に、天藍が問いかけた。

「腕が痛むだろう? 私に襲いかかった時、腕を思い切り捻ってやったからな」

「あの女は……まさか陛下……っ?」

「今頃気付いたのか」

 自分がとんでもない事を仕出かしたと知った男の顔色は、青を通り越して蒼白になっている。

「秋官長」

 大臣に促されて秋官が進み出る。
 そして手にした書簡を読み上げた。

「お前達の行いは、どれ一つ取っても死罪に値する。多額の賄賂の遣り取り、売り払われ行方知れずとなった宝玉の数々。家財、領地を売り払っても足りはしないだろう」

 一度言葉を切り、秋官長が天藍を見た。それに対して、天藍が頷く。

「だが心からの反省を示せば、生きる道もある」

「反省してます! ですから、どうか慈悲を……」

「その言葉が真実としても、刑罰は逃れられない。お前達に与えられるもう一つの選択は、位を返上しそして夫婦となり生涯働いて借金を返すことだ。どちらを選ぶ」

「そんな、酷いわ! 働くなんて、貧乏人のすることでしょう? 陛下、どうか許してください……」

 事ここに至っても、美麗は納得がいかないのか涙声で訴える。
 しかし秋官長は、凜とした声で遮った。

「これは自身で罰を選ばせよという、陛下の慈悲である。反論は陛下の沙汰に不服を申し立てたと理解するが、それでよいか?」

 そんなことをすれば、それこそ問答無用で死罪だ。
 すると官吏の男が憎々しげに美麗を睨む。

「こんな強欲な女と、添い遂げるしか生きる道がないなんて……最悪だ」

「貴族でもないあんたと夫婦なんて、絶対に嫌よ! 一族の名が汚れるわ!」

 噛み付かんばかりの勢いで言い返す美麗に、官吏の男が「ひっ」と悲鳴を上げて尻餅をつく。
 二人の遣り取りをただ傍観しているだけの雪鈴でも恐ろしいと感じるのだから、男は更なる恐怖を覚えたのだろう。

雪鈴(しゅえりん)。すまないが、もう少しだけ耐えてくれ」

 雪鈴にだけ聞こえるように、天藍が囁く。そして安心させるように、そっと手を握ってくれる。

「では二人とも、死罪を受け入れるのだな?」

 天藍の問いに、二人は同時に項垂れる。

「お前達の親族は、働くことを選んだぞ」

 しばしの沈黙の後、美麗が口を開く。

「……働きます……」

 消え入るような声で美麗が答える。流石にもう天藍に縋れないと悟ったのか、俯いたまま顔を上げようとしない。
 その場で美麗も罪人として縛られ、彼女の夫となった元官吏と共に兵士の手で何処かへ連れて行かれた。

 罪人達が謁見の間から出て行くと、残った姫達がクスクスと笑い出す。

「何がおかしい?」

 静かな天藍の声に、姫達がぴたりと笑うのを止めた。

「お前達も官吏を宮に引き込んだり、賄賂を渡していただろう。全ての証拠は揃っている」

 先帝が後宮で色事に耽った数年の間に、美麗の一族だけでなく多くの貴族が賄賂に手を染めた。

 幼い頃から親の悪行を当然として見聞きしていた姫達も、自然とそういった行為をするようになるのは時間の問題だった。
 中には後宮での退屈しのぎとして、女官から夜の遊びを教えられ数人の男を引き入れていた姫がいることも、名前こそ出さないが天藍の口から暴露される。

「他にも後宮に出入りしている間に、くだらない争いを幾つも見かけた。本来は手本となる正妃候補が乱れているのだから、寵姫候補が荒れるのも当然だろうな」

 寵姫の座を巡って嫌がらせや、理不尽な虐めの数々を「藍」として後宮に入った天藍は目撃しているのだ。いくら言い訳をしようと、皇帝本人が証人である以上、姫達は黙るしかない。

「お前達は仕えてくれる者に、主人であるというだけで理不尽な行いをした事も全て知っている。こんな争いが起きるなら、後宮など廃止するべきだろう」

「お待ちください陛下! それは余りにむごい仕打ちでございます! 私は陛下の子が産めるなら、愛などいりません!」

「正妃の座は雪鈴様にお譲りします。ですのでどうか、寵妃として置いてくださいませ」

 寵妃であれば、皇帝の子を授かる可能性はある。もし雪鈴より早く第一子を産めば、立場は逆転し一族も栄えるのだ。
 けれど天藍は、きっぱりと彼女たちの訴えを退ける。

「私はこの雪鈴を唯一の妻とする。後宮に集めた姫は、全員実家へと戻す。ああ、全員私が指一本触れていないと証書を持たせるから、安心して帰るがいい」

 とはいえ、男を宮に呼び込んでいた者に関しては庇い立てはできぬ。と、天藍が続ける。
 先程の美麗と同様に俯いて動けなくなった姫達を無視して、天藍が立ち上がった。

「さてと、ここは空気が悪いな。私と雪鈴は暫し休む。後は任せた」

「天藍様?」

 横抱きに抱え上げられ、雪鈴が慌てる。けれど天藍は阿鼻叫喚となった広間の騒ぎなど見向きもせず、雪鈴を抱いたまま玉座の裏にある扉へと向かった。

「あの、どちらへ?」

「もう少し先だよ」

 しんと静まりかえった廊下を、雪鈴は天藍に抱えられたまま進む。

(あれ? ここは……)

 覚えがある場所に、雪鈴は天藍を見遣る。

「気が付いたようだね」

「はい。後宮へ入る際に、女官長の面接を受ける場所ですよね」

 正確には、その部屋へ向かう専用の門が少し先に立っている。雪鈴は天藍の腕から降りると、大きな窓から外を眺めた。
 門の先には後宮へ入る際に姫が身支度を調える部屋があり、更にその先の門をくぐると後宮となる。そして入った女は、貴族でも下働きでも二度と出られない。

「君が後宮へ入る日、偶然私も通りかかったんだ」

 雪鈴は見られているとは知らず、天藍は名前も分からないまま二人は出会っていた。

「元々の後宮は、ここまでの規模ではなかったと聞いている――」

 天藍の先祖がこの国を築き各地の乱を平定すると、地方の貴族から貢ぎ物や娘が送られてくるようになった。
 それがいつの間にか、皇帝が代替わりすると美しい娘を献上するのが習わしのように広まり、今の後宮の形になったらしい。

「私はどうでもよかったのだが、情けない先帝だと分かっているが亡き父の愛した後宮だ。残すべきか悩んだが、やはり手に余る」

 苦笑する天藍に、雪鈴は疑問を投げかける。

「天藍様になら、皆様喜んでお仕えすると思いますけど」

 きっと天藍ならば、くせ者揃いの寵姫達を上手く公平に愛することができるはずだ。
 しかし天藍は首を横に振る。

「私は君がいればいい」

 どう答えればいいのか迷っていると、天藍に抱きしめられる。あっという間に唇を奪われ、雪鈴は耳まで真っ赤になった。
「いけません。このような場所で、はしたないです」

「では今日はこのまま、閨へ行こうか」

「お疲れなのですか? まだ夕方にもなっていませんよ」

「雪鈴がほしいんだ」

「?」

 小首をかしげる雪鈴を再び天藍が抱き上げようとしたその時、金属を叩いたような音が廊下に響き渡る。

「あら?」

「今のは、石の声か?」

白露(しらつゆ)が天藍様に、お伝えしたいことがあるそうです」

 慌てて帯から白露を出して、天藍の耳元に近づけた。

『雪鈴を泣かせたら、神罰が下るからな! 皇帝であっても、容赦はしないぞ!』

 ここまで大声で喋る白露は見たことがなかったし、天藍もまさか怒鳴られると思っていなかったらしく、こめかみを押さえている。

「泣かせたりしないよ。約束します。白露様」

 少し涙目になりながらも、天藍が白露に向かい丁寧におじぎをする。

「納得してくれたかな?」

「多分、大丈夫だと思います」

 透明な宝玉に戻った白露を胸に抱き、雪鈴は微笑む。

(こんなことになるなんて、故郷を出たときは思いもしなかったわ)

 親からも気味悪がられ、家族の一員として扱われなかった自分の隣には、深い愛をくれる人が立っている。

「愛してるよ、雪鈴」

「はい。私も天藍様を愛しています」

 二人は手を取りあい、いつまでも互いを見つめていた。

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