翌日、いつもと変わりない様子で、藍が雪鈴の館を訪れた。

「やあ、おはよう雪鈴。昨日はすまなかったね、外せない仕事があって……」

「藍様! ご無事だったんですね。よかった」

 抱きつく雪鈴を藍が優しく抱きしめ返す。

「私はいつでも無事だよ。そんな不安げな顔をして、なにかあったのかい?」

「あの、美麗様が……藍様に人を使って、襲わせるって言ってたから」

 言い淀む雪鈴に、藍が何か察したらしい。

 苦笑しながら肩をすくめる。

「あの馬鹿どもは、追いはらってやったさ」

「藍様が? お一人で?」

「そうだよ。それにこう見えても、喧嘩は強いんだ」

 得意げな藍に、雪鈴は改めて男の人だったと思い出す。

「しかし、厄介な事になったな。証拠集めに、時間をかけすぎたかもしれない」

「?」

 小首を傾げる雪鈴に、藍が笑ってみせる。

「そうだ明日、私の宮へ招待しよう」

「それは、嬉しいですけど……叶いません……私は奴隷として売られるんです」

「奴隷?」

 怪訝そうに藍が聞き返す。彼が尽力して罪人の疑いを晴らしてくれたのに、突然「奴隷として売られる」などと聞かされれば疑うのも無理はない。

「美麗様が――」

 雪鈴は美麗から聞いた話を、藍に伝えた。

「脅しではないと思います。あの方は、私が簪の件で無礼を働いたことに酷くお怒りで。……誤解を解くために尽力してくださった藍様も巻き込んでしまって、本当にすみません」

 二人の間に沈黙が落ちる。

(私のせいで色々と巻き込んでしまったのだもの。叱られても仕方ないわ)

 いくら藍が男で腕が立つといっても、人を使って襲われるとまでは想定していなかっただろう。
 幸い今回は無事だったが、藍は自分と関わったことで美麗に名前を覚えられてしまっている。

「後で美麗様には、藍様は関係がないと手紙を書きます。ですからもうお帰りください」

「雪鈴」

「はい」

 顔を上げて藍を見ようとしたが、何故か強く抱きしめられてしまう。彼の胸に顔を埋める形となった雪鈴は、どうしていいのか分からずじたばたと藻掻く。

「あ、あの。京に見られたら、その……」

「ごめん。今、君に顔を見られたくないんだ。きっと恐ろしい顔をしていて、怖がらせてしまうからね」

 言葉は優しいのに、その声音は怒りの感情を押さえ込んでいると、聞いただけで分かってしまう。無意識に雪鈴が身を強張らせると、背に回された藍の手が優しく撫でさすってくれる。

「怯えないで、雪鈴。君に怒っているのではないよ。美麗とその甘言に操られた官吏に怒っているんだ」

「藍様……」

「君を抱きしめていると、不思議と心が落ち着く。できるなら、一日中でも抱きしめていたいな」

「冗談はやめてください!」

 軽く藍の胸を押すと、雪鈴を閉じ込めていた腕はあっさりと離れた。
 見れば藍はいつものにこやかな藍で、怒っているようには思えない。
 ほっとしつつ、雪鈴は改めて藍に向き合う。

「藍様。私、ずっと友達がいなかったんです。この髪と目のせいで、故郷でも家族から気味が悪いと叱られてばかりいました。だから少しの間でも、美しいあなたとお話しできて嬉しかった」

 祖母が死んでから、雪鈴は孤独だった。巫女の伝説を信じてくれる使用人達もいたけれど、彼らからすれば雪鈴は敬うべき存在で、対等な会話は望めない。

 両親を含めた親族は雪鈴の容姿こそ「美しい」と認めていたが、白い髪と紅い瞳を「気味が悪い」と罵り続けた。
 何より周囲との溝となったのは、「石の声を聞く」巫女としての能力だった。