「だから他人の秘密を暴いて、脅したりなんて日常茶飯事ですよ」

「秘密、か」

「今のところ、美麗様が正妃として有力候補ですよ。あの方、他の姫君達を脅して、陛下の謁見は自分が一番最初になるようにしたって聞きました」

「よく知ってるわね、京」

 雪鈴と共にこの館へ移ってから、他の女官達との交流はなかったはずだ。

 すると京は、両手を腰に当てて胸を張る。

「そりゃあ、雪鈴様をお守りするために情報収集は大切ですからね。私だって、女官としての務めは果たしますよ」

「もしかして、自分のおやつを食べずに隠してたのって……その為だったの?」

「知ってらしたんですか。私も詰めが甘いですね。甘いナツメは人気があるから、下位の女官に賄賂として人気なんです」

「もうそんな事はしなくていいのよ。私は後宮内の争いも、陛下の渡りにも興味はないのだから。ちゃんとおやつは食べて」

「安心してください。藍様が沢山おやつを持ってきてくださるから、最近はちゃんと食べてますよ」

 慌てる雪鈴を宥めるように京が笑う。そして藍の方を向くと、深く頭を下げた。

「藍様も気をつけてくださいね。藍様は雪鈴様を助けてくださった恩人です。私にできる事があれば、なんなりとお申し付けください」

「ありがとう京」

 当然だが、京はまだ藍が男だとは知らない。

(京からしたら、私も藍様も後宮の内情を知らない世間知らずよね。……男性の藍様が、危害を加えられるようなことはないと思うけれど)

 何故彼が、毎日後宮に出入できるのか。そして明らかに国庫の品と思われる宝飾品を持っているのか。

 分からない事だらけで、雪鈴の頭は混乱してくる。

「どうしたんだい、雪鈴。疲れたのなら、今日はもう終わりにしよう」

「いえ、大丈夫です……ふえ?」

 素っ頓狂な声を上げてしまったのは、いきなり藍が砂糖菓子を摘まんで雪鈴の口に放り込んだからだ。

「味はどうだ? 異国の菓子を、うちの料理人に作らせてみたんだ」

「……んぐ、美味しいです……って、いきなり何するんですか!」

「悪い悪い」

 蕩けるような甘みと、花の香りが口の中いっぱいに広がる。

「もう、驚かせないでください」

「とか言いつつも、雪鈴様。頬が真っ赤ですよ」

「え!」

「あーあ、藍様が殿方でしたら雪鈴様に相応しい旦那様になると思うのですけど。残念です」

 心底がっかりしたふうに言う京に、藍はただ微笑んでいる。
 その隣で、雪鈴は藍と出会ってからずっと胸の中にあった感情を理解してしまった。


*****


 夕刻になると、藍は「また明日」と約束をして帰って行った。

「どちらの宮に住んでいらっしゃるのでしょうね?」

「京も知らないの?」

「実は一度だけ後をつけた事があるのですが、見失ったんです。後宮は入り組んでますし、町一つ分の広さがありますからね」

 実のところ、雪鈴もこの後宮の全貌はさっぱり分からない。自分の住む館が後宮の端にあると分かるのは、少し先に外界とを隔てる高い壁があるからだ。

 壁に近い住居を与えられるのは、下女か様々な理由で皇帝の目に入らないよう端に追いやられた姫だけ。
 ただ雪鈴としては、この場所は静かで居心地は悪くない。
 何より藍が手配して内部を改修してからは、宮にいた頃よりもずっと快適だ。


 京と共に夕餉を取り、湯浴みを済ませる。

 特にすることもないので、京にも休むよう告げてから自分の部屋に入った。寝台と書棚があるだけの、小さな部屋だ。

 雪鈴は窓辺に立つと、満月の輝く群青の空を見上げる。

(藍様とお話しをしていると、とても楽しい)

 声、仕草、抱きしめられたときの胸の高鳴りを思い出して、雪鈴は両手で頬を押さえた。
 本当はもっと早くに気付いていた気持ちだ。

 藍が女性だと思っていたから、恋ではなく強い彼女への憧れだと思っていた。
 でも藍が男性と気付いて、気持ちは変わってしまった。

「私、藍様がすき」

 けれど自分は、誰とも知らぬ相手に下げ渡される身。そもそも後宮へ入った時点で、雪鈴に自由はないのだ。
 帯から白露を出し、ずっと側にいてくれたこの小さな友に問いかける。

「白露、私どうしたらいい?」

『雪鈴は雪鈴のままでいいんだよ』

「私のまま?」

『素直に行動すればいい』

 月光を浴びても、白露は雪兎の姿には変化せず透明な石のままだ。

「でも、この気持ちをお伝えしても藍様を困らせるだけよ。……白露?」

 普段からあまり喋らない白露だけれど、今夜は特に口数が少ない。雪鈴がいくら話しかけても、白露が返答することはなかった。