「剣ぃ……、さっきの古典のノート貸してぇ……」
 自己嫌悪に陥っていた僕は、対面で弁当をつつく剣によれよれと泣きついた。
「わはは。あれだろまーしー、サッカー張り切りすぎて眠くなっちゃったんだろ」
「ア、アハ、うん、そんなとこ……」
 皆本の一言に気を取られて授業どころじゃあなくなったなんて、いくら親友でも言えたもんじゃない。
 視線を逸らしつつ、僕も弁当箱をパカリ。手を合わせて「いただきます」。
[お行儀いいじ? マシンほんまオリコーさんやんなぁ]
 ええっ、そうかな。普通だと思うけど……。
[そゆのを普通て言える親に育てられたんは、幸せなこっちゃで]
 なんだかライナルトにこういうことを言われると、知り合いのおじいちゃんに褒められてる気分になる。
「ノート、忘れる前に食い終わったら渡すな」
「ありがとう、本当に助かる」
「持って帰る?」
「ううん、放課後ここで写すから今日中に返すよ」
「オッケーイ。じゃあ終わったら机ん中入れといてぇ」
「剣が部活終わるの待ってるよ。それまで図書室か教室で自習してる。今日も塾ないし」
「あー……俺が、今日終わるの遅いかも、だから、うん」
 えっ、と顔を上げる。剣は小さな咳払いを一回、二回。あ、なにか隠し事をしているときの剣の癖が出てる。
「……部活のミーティング?」
「えー……まあ、うん。夏合宿に向けて的な? そろそろ話詰めとかないとだしなー」
 うーん、誤魔化されてしまった。どうやらすぐに真意を話してもらえそうにはないな。あっけらかんと「そうなんだ」を返し、僕は見て見ぬフリをすることに。
 剣が僕に隠しておくと決めたことだ、わざわざ僕が踏み込んで荒らすべきではない。それに僕だって、剣にはライナルトのことを隠している。打ち明けさせるならフェアにすべきだろう。それが親友ってものだと僕は思うから。
「それよか、まーしーさぁ――」
 コロッケだかカツだか、衣がついた揚げ物を箸でつつきながら、剣が小さく訊ねる。
「――さっきのサッカー張り切ってたの、マジで自分変えるため?」
「え?」
 バチリとかち合った、剣と僕の視線。まるで突如氷塊を抱かされたような、すごく圧力(プレッシャー)のかかる真剣なまなざしだ。
 サッカーをやっていたのが僕ではない別の人物だったってことがバレてしまったかな。口の端にぎこちない笑みが浮かぶ。
「な、なんで?」
「昨日なんかあったのかなって思って。きっかけ、昨日しかなかったし……」
 きっかけ? なんのきっかけ? ライナルトがとり憑いたきっかけってこと?
「ベっ、別に、何もないよ! 昨日は皆本と剣からプレゼント貰って、学校から一人で帰って、家でそれぞれ開けて、それから剣がくれた図鑑読み耽ってたくらいだし!」
[後半ウソやねけ]
 だってライナルトのことを剣に言ったってしょうがないでしょ!
「え? まーしー、一人で帰ったの?」
「へ? う、うん」
 そこ、驚くところ? 剣は何に引っ掛かっているんだろう。僕は手にしていた箸を弁当箱の端に置く。
「どうしたの、剣? 僕、なんか剣に妙なことしてたかな……そ、そりゃさっきの体育は妙だったかもしれないけど! それ以外で、っていうか、なんというか」
「いや、違う。ゴメンまーしー。俺、勝手に焦ってただけ」
 焦ってただけ? 何に? 剣が僕の何かしらに焦ってしまうようなことが?
「出来ることなら、剣の疑問を解消するまで付き合いたいよ」
 言える範囲まででだけれど。
[ワシんこと言うてもええねんど?]
 言わないよ。ライナルトの調べものは、僕とライナルトで解決するんだから。
「んーん、ダイジョビダイジョビ。疑問でもなんでもねーの。くだらねーことつついてゴメン、マジで」
 ハテナばかりが増えて、僕が今度は釈然としない。
 剣はいつものように、爽やかな笑みと明るい冗談を交えながら瞼を伏せる。
「なんかさぁ。さっきのまーしーが今までと全然違うように見えたから、まーしーを変えた何かが昨日あったのかと思って」
 ぐっ……いいところ突く。さすが剣。
「けどまーしーはさ、なんか『いいこと』あったときは、きっと俺に共有してくれるじゃん?」
「そ、そりゃもちろん!」
「はは、もちろんかぁ」
「うんっ、『もちろん』だよ。だって剣がいっつも僕にいろんなことを共有してくれるから、僕も剣にそうするだけで。いや、だけって言うと語弊があるな……僕、剣から頼られたり親身になってもらえたりするの、ほんと、なんだろう。『救い』っていうか」
「まーしー……」
「小さい頃からずっと、剣がいてくれたから、僕も僕でいられるんだよね。いろんなことを楽しく過ごせたし、乗り越えられたりしたし、いつもその、ゆ、勇気をいっぱい貰ってて。それでっ」
[ツルギ相手やと、よう喋ンのう、マシン]
 本当だ。何をペラペラ喋っちゃってんだ、僕。途端に恥ずかしくなってきた。
 顔をカアッと赤くした僕は、その身がシュンシュンシュンと小さくなるように頭から下げて、肩を縮めて。
 これじゃあまるで告白じゃないか。別に僕たちはボーイズのラブをやってるわけじゃあないんだから!
[外野からしたらほぼそー見えとんで]
 うるさいな、茶々入れない――。
「まーしーっ!」
「うわっ?!」
 突如立ち上がる剣。掴まれる両肩。しかしやはりビリッとは来なくて、まばたきの間に静電気に関してのみホッとする僕。
「なっ、なっ?!」
 机をひとつ分挟んで、剣はその端整で爽やかな顔面を僕に近付ける。ギャア! いつものとおりイケメンが濃い!
「ありがとう、まーしー。俺、目ェ覚めた! やっぱりまーしーは、いつもと変わらない俺の大好きなまーしーのままだっ」
「大っ、好」
 目を白黒させる僕。やがてザワッとなる教室内。
 周囲など一切気にしていない様子の剣は、僕の肩をバンバンと叩いて満足そうに笑んだ。もちろんイケメンスマイルだから、光のエフェクトが舞い散るキラキラまでもが見えてしまう。
「食ったらノートね、古典のノート持ってくっから。あ、まーしーはゆっくり食えよ? 喉詰まらせたらヤバいから。な? いいか?」
「う、うんっ」
[過保護かいや]
 結局剣の疑念が何なのかはわからないままノートを受け取り、やがて昼休みを終えた。
 選択科目の五、六時間目は剣と離れていたためよくわからなかったけれど、剣の前でライナルトの片鱗を見せるのは、もしかしなくても一番良くないことなのだと考え至る。
 僕が『いつもの僕』ではないことが、剣のメンタルかなにかに良くないのかもしれない。ひと様の――それも、もっとも大切な友達の情緒を僕自身が乱すなんて望んじゃいない。だからこそ、ライナルトとはもっと仲良く、より平穏にやっていかなければ――なんて。
 このときの僕は、そんなぼんやりしたことしか考えていなかったんだ。