震えながら細く訊ねる僕の声は、想像よりも低かった。こんな怖い声色、僕自身でさえ聞いたことがない。
 止めさせなくちゃ。いまここでライナルトを阻止しないといけない。
 彼にどんな理由があるにせよ、それは絶対に皆本の命を狩りとっていいわけがないんだ。そもそも命絡みの事象なんて、まっとうな理由なんかじゃないに決まってる。
 ずんずん睨むように眉間にシワを刻んでいたら、ライナルトはニッタアと粘着質に笑んで孔雀石(マラカイト)を細めた。
「お前、さっきから何言うとんが? ワッケわからんがやけど」
「は……えっ?」
 な、何? わけわからん、だって?
「なんや勘違いしとるみたいやけどォんね、ワシにヒト様のお命をどうこうなんてできるわけないやろ、ダラボケ!」
 ぶわっハハハハ、と豪快な高笑いが辺りを埋める。ポカンと置いてけぼりになっている僕は、冗談みたいに首をかくんと横倒しした。
「だ、だってライナルト、死神なんでしょ?」
「そーやじィ? だって死神いうんは、死んで神さまに近いモンなったァっちゅうこっちゃろ?」
 わあ、得意気に笑っておられる。
 僕は首を元どおりに戻したあとで、視線を逸らしながらまばたきをふたつ重ねた。
「ち、違いますけど」
「えっ?!」
 正確には『え』に濁点をつけたような濁った一声が跳ね返ってきた。身を乗り出すようにして、ライナルトは僕の左腕をふん掴まえる。
「なっ、なに言うとんがけ? 死神わいや! ワシ、死神やんなぁ?!」
「や、そういうの、一般的には幽霊って言うんです」
「ユーレー?! 幽霊(ユーレー)なんてダッサい呼び方今更できるかァ! な? ワシ死神でええなァ、マシン?」
 ブンブンと振られて強く揺すられる僕の左腕。抵抗するように身を仰け反っていく、苦笑いの僕。
「よ、よくないですっ。いや、ほんとは心底どうでもいいことだけど」
「オイコラ、聴こえとんじゃい。どうでもいいってなんなん?! ワシ真剣なんやぜ?!」
「っていうか離して、ちょっ、ねっ」
「いやや! ワシ死神て呼ばれたい! ていうか日本に来てからいままでずっと死神やて名乗っとったんに急にここで今更幽霊(ユーレー)て! おかしいやろがい!」
「いままで誰にも指摘されなかったことの方がおかしいよ! 大体、関西の人ならそっ、そういうボケは、ちゃんと拾いそうなもんだと、素人なりに、思うけど?!」
 ブンッとようやく振りほどけた僕の左腕。あー危ない。皆本から貰ったブレスレットがすっぽ抜けるかと思った。
「カンサイやないぜ?」
 キョトンとしたように、ライナルトがそうして僕の発言を否定する。怪訝(けげん)に思って、僕はライナルトの表情を覗く。
「ワシが前までとり憑いとったん、ホクリクジンやぜ」
「ホ、ホクリクジン……北陸?」
 あぁ、だからちょっと端々で聞き慣れない言葉なのか?
「北陸弁ってこと? ライナルトのその言葉、北陸弁なの?」
「別に完璧なホクリクベンやないけどな。やって、日本語、チョームツカシー。ワタシニホンゴワッカリマセェーン!」
 なんだそれ、と小さな溜め息の僕。軽い調子で、ライナルトの話は続く。
「ワシ、始めは故郷で静電気(セーデンキ)使こて移動しとったんね」
「って、オーストリア?」
「ん。そンうちに古い雑貨にとり憑いてしまって、気付いたら誰にも触れられんままンなったから、そこから出られんくなったんよ」
 この『始め』っていうのは、どのくらい昔なんだろう。
「そっからどんくらい経ったかわからん。次にバチィってなったときに、ワシは日本におったん。それも、ホクリクベン話す日本人にとり憑いてしまったらしいんや」
「なるほど……」
 恐らくライナルトは覚えている限りを語ってくれた。やっぱり幽霊生活が長い分、どんどん記憶が曖昧になっていったんだろうと推察する。
「ホクリクベンやなくたって、マジに日本語なんざいっこもわからんだし。たった(とても)苦労したんやァ、マジで。しゃーないからテキトーに服かなんかにとり憑き直してェンね、まずは言葉覚えよ思たが。偉いやろ? 勤勉やんなァ、ワシ?」
「まぁ、そうだね。リスニングだけでよく異国の言葉を喋れるまで習得したと思うよ、うん」
「な、なにけェ、急にそう素直に褒められると、困るやん……」
 うろたえている。ふむ、ライナルトにアドリブ力は無し、と。
 意地悪のお詫びに「それで?」と続きを促してあげる。
「で、えーっと、そやなァ。大体言葉がわかったとこで適当な人にとり憑いてんなァ。そっからは実際に日本語で話しながら調べもんしとったん」
「調べもの? ライナルト、なにかを調べるために幽霊やってるってこと?」
「いやー、どーも幽霊(ユーレー)て慣れんなぁ。なぁ、やっぱ死神言うてくれん?」
「ライナルトは何を調べてるの? ていうか、まだこうやって移動してるってことは、調べものが解決してないんだね?」
「オイ無視すんなま、ボケェ」
「ライナルトこそ、聞いてる?」
 しばしの睨み合い。でもライナルトの負け。ポキンと縦長の背を折って、ライナルトは肩を大きく(すく)めた。
「よーやっと見つけたんが、お前のブレスレット買うたネーちゃんやったん」
 それは皆本のことだ。皆本が、ライナルトの調べてることにまつわる何かを握っている?
 ソワソワと波立ち逸る気持ちを抑え込むように、ムキュと生唾を呑む。
「彼女に、何を見つけたの?」
「そりゃ――」
 ひとつ吸い込んだライナルト。緊張の一瞬。
 皆本の『命が』狙われているわけではないらしいとわかったけれど、結局『皆本が標的である』という点は解決に至っていない。
 ライナルトの曖昧に開いた口元から目が離せない。知らず知らずのうちに僕は奥歯をきつく噛み締めていて。
「――忘れてもた」
 ズル、と右肩がコケる。ベッタベタな『ズッコケ』を自然(ナチュラル)にやってしまった……恥ずかしい。
「わ、忘れたってなに? 本来の目的忘れちゃったの?」
「しゃーないやんけェ。ワシ死んでから何年経っとると思とんがん?」
「……何年経ってるの?」
「あん? あー。んー? えぇ、っとォ」
「…………」
「…………」
「忘れちゃったの?」
「忘れっちまったみたいやのぅ」
 僕は目を瞑ってガクンと天を仰いだ。もうっ、話にならない!
「わかった! あのネーちゃんに訊いたらええのんやない?」
「何て訊くのっ」
 わくわくとした声色で言うから、ピシャリと遮断してやった。ライナルトの高い鼻先に僕の度のキツいメガネが近付く。
「金髪碧眼のガイコクジンに調べられるようなことありますかって?! ダメダメ、本当にダメ。絶対にダメっ」
「な、なんなん、その剣幕。あのネーちゃん、お前の女かいな」
「そぼっ、そ、そういうんじゃないけどっ。と、とにかく、ダメなものはダメ!」
「ちょぉっと質問するだけやんけ。なんもマシンに不都合ないわいね」
 なぁ? と同意を求められるも、眉間を寄せる僕は頑なに首を振り続けて「ダメ」を連呼する。
「大体どうやって訊くの。僕が訊くしかないだろ、ムリ」
「えー、訊いてくれてもええやんけェ。ワシには今、マシンしかおらんねんぞ」
「彼女に『僕が』変な目で見られるだろ! やだ」
「じゃあワシがネーちゃんにバチィってするしかねーやんけ」
「彼女に害悪があるのは、いっっっっち番ダメ!」
「害悪てなんや害悪て! 失礼なやっちゃな?!」
「害悪でしょ、ひとの精神世界に入り込んで思考や感情読み放題。知られたくないことまでライナルトに読まれる危険性があるのに、それをこともあろうか思春期の女の子に味わわせるなんて、絶対に認められないっ、見て見ぬふりはできないっ!」
「なんでお前の許可が必要ねん! 関係ねーやろがい!」
「あるよっ、あるある、おおありだよ。彼女は大事な、その……」
「あん? なんけェ」
「その、あっと……と、友達、なんだから」
 そう、友達なんだから。うん。
 言い淀んでしまった僕を、ライナルトは細めた双眸で「ほぉーん?」と眺めた。
「まぁええわ。あのネーちゃん、マシンの『と、も、だ、ち』ねんろ?」
 ぐっ、ゆっくりねっとりと言われた。嫌味な奴。仕方がなさそうに、僕は「そうだけど」と小さく首肯する。
「ちゅーことは、いつでも近付くことはできるっちゅーこっちゃしな」
「…………」
「あー、楽しみやんなぁ! あン(あの)ネーちゃんに会ったときのマシンのリアクション!」
「笑い者にしないでくんない」
「うっさいわ。対価や対価。こんくらい許容しんなんやぜ」
 鼻歌混じりのライナルトは、僕にくるりと背を向ける。それを睨みながら歯噛みしていると、再び意識がパッと切り替わった。
「ん?!」
 視界いっぱいの景色を上手く認識できない。混乱の中で感じるのは、頬に当たっているこれの感触。これはなんだ? 硬い。あ、もしかして床……かな。
[目ェ醒めたけェ]
「へ?」
 頭の中で声がする。どうやら精神世界から現実世界へと意識が戻されたらしい。
 ということは、本当にライナルトは僕にとり憑いていて、しかも僕の精神世界に居座っているってことだ。更に良くないことに、僕の意識を精神世界に引き込んだり戻したりする操縦権(ハンドル)は、ライナルトにきっちり握られてしまっているらしい。
[ほーん、ほんまに察しいいじ? 正解や正解や。マシンの意識はワシの掌の中やでな]
 そっか。意識が外にある……つまり『ライナルトと対面していない』ときは、僕の思考はライナルトに筒抜けなんだった。
[ほーやねんて。やし、観念してワシの言うこと聞いとかれ。な?]
 嬉々として何か言ってるけど、一旦無視。腹這いからそっと身を起こしていく。
「うっ。イテテ……」
 きちんと起き上がってすぐ、頭にズキンとした痛みが走る。反射的に痛みを感じたひたいの右側に指先を寄せると、そこがほんの少しだけ隆起していた。
「ぶつけたかな」
 ちょっとたんこぶ気味だ。もしかすると……というよりも十中八九、床にゴチンと打ち付けたのだろう。メガネは無事だ、よかった。視界良好。
[気ィ付けられよォ? 急にバターンなること増えよるでェ?]
「それは完全にライナルトの匙加減でしょ」
 メガネをかけ直しながら吐き捨てる。
「頼むから、今みたいにところ構わず気絶させるのはやめてね。普通に危ないし」
[ヘンッ。知らんわいや]
「知らなくない。僕が倒れることで周りに不審がられたら、ライナルトの調べものができなくなるよ」
[そんなんマシンの努力次第やん!]
「なんで。ていうか僕が不審がられたら、彼女にだって近付くの難しくなるよ。それでもいいの?」
[それは困る!]
 なんか、言った僕が虚しくなってしまうな……。とんだブーメラン発言だった気がする。
 僕の一言に少し思うところがあったようで、ライナルトは「まぁ、そーやな」と一人で納得しながらその声から意地悪を取り除いた。
[じゃ、お前引っ張り込むときは、ワシが一言声かけたらいいっちゅーこっちゃな?]
「いや、そもそもこの部屋以外で絶対に引っ張り込まないでほしいって話」
[なんけぇ、つまらん]
 面白いか面白くないかで、僕の意識をどうこうしないでほしいんだけど。
[へーん! じゃあのォ。ワシはしばらく作戦練るわいね]
 そう言い残して、ライナルトはそれから朝になるまですっかり喋らなくなってしまった。
 そうとなれば、僕も心を決めるしかない。今日はせっかく僕の誕生日なのだから、昨日までの僕とは心機一転。大人虎変(たいじんこへん)! ……と言ってしまうと過大評価な気もするけれど、それくらいの心持ちで変わっていかなければ。
 僕は、絶対にライナルトのことを僕の中に引き留め続けてやろうと決めた。そして僕が誰にも迷惑をかけずに、ライナルトの調べてるものを解決させて、さっさと成仏させてやるんだ。
 こんな誰も得しない面倒なスパイラルは、僕で絶対に終わりにさせなくちゃ。