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 気づいたときには、幻夜の意識は体から離れてさまよっていた。
 下を向くと、自分の体がぴくりとも動かずに横たわっている。目はぴたりと閉じられ、唇には血の気がない。詰襟(つめえり)の服は、袖口が()れて糸がほつれている。

 鏡越しでもないのに、自分で自分の顔が見えている。
 意味がわからない。

『なんだよこれ! なんだよ、俺どうなってんだ!?』
『——お前は死ぬんだよ』

 どこからともなく声が響き、幻夜は見下ろしていた自分の体から目を離して、周囲を見回した。

 どこかの川原だった。
 水の流れは細く急で、両側を挟む山あいを縫うように流れている。川原には水の流れによって運ばれてきたのだろう、角の取れた石がごろごろと転がっている。
 しかし、人気(ひとけ)はない。

『あんたは誰だ? どこにいる』
『核がないのに、生きがいいね』
『いいから答えろ』
『死ねば嫌でもわかるよ。って、どうせもうすぐだし教えてあげよう。ここは冥府に続く道だよ』

 人を食った笑いが響いた。男とも女とも判別のつかない、中性的な声だった。

『冥府? なぜ俺は死ぬ? 核ってなんだ?』
『ああもう、うるさいね。お前はとある神に、魂の核を取られたんだよ。そして核がないからここにいる』
『なぜそんなことになった? 魂の核と魂は違うのか?』
『いちいち私に説明させようとしないで、思い出してごらんよ……って、核がないから無理か』

 そう言いながらも、その何者かは幻夜の現状については教える気があるらしかった。
 核とは、魂の中心にある芯のようなものらしい。その人間を形成する大元となる部分。

『核だけが取られるのは、異例中の異例だね。たいていの人間は、魂そのものが弱って死ぬわけだから』
『あんたがやったのか?』
『まさか。そんな低俗な遊び、神しかやらないよ』

 頭の中で誰か皮肉っぽく笑う。雰囲気からすると、声の主は冥府の何者かではないか。

『さあて、いくら生きがよくともそろそろ限界だろう。おいで』
『嫌だね、俺はまだ死にたくない。あんたの言いぶりからすると、核とやらが取られただけでは死なないのだろう? 核を返してもらう。どこにある?』
『さあね。興味がない』
『ならどうすりゃいいんだよ!?』
『ふむ、そうだね。では私とひとつ契約をしよう。お前が核を取り戻すまで、冥府の番人として働くのはどう? そのあいだ、私はお前が死ぬのは見逃してやる』
『冥府の番人? 死ぬのとおなじじゃないか』
『いいや、違うよ。人間として生きればいい。ただし少々制約はつくけれどね』
『……俺が核を取り戻せば、普通の人間に戻れるんだな?』
『そのときこそ死ぬんじゃないかな』
『話が違う!』

 幻夜が声を荒げると、声の主がすっと冷気をまとわせた。

『わかってないようだから、言ってあげよう。お前は核が取られただけでは死なないと思っているようだけれど、普通に死ぬよ? 勘違いだよ? 普通と異なるのは、死ぬまでに少しばかり冥府への道で迷うくらい。だから私が迎えにきてやったんだ』

 迎えにきたと言うわりに、声の主の姿は見えない。

『私が死ぬのを見逃すとはつまり、お前は終わりなき生を生きるということだよ。核を取り戻さない限り、お前は死ねない』
『卑劣だろうが……!』

 終わりなき生を、と言うからには、神から核を取り戻すのはほぼ不可能なのかもしれない。
 幻夜としても、ただの人間である自分が神と渡り合える自信はない。

 そもそも、なぜ神が一介の人間の魂の一部を取ったのかも不明だが。

『なら、このまま死ぬ? どっちでもいいよ』