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汗まみれになりながら坂道を転げ落ちるように下り、変な目で敬遠されながら高校の正門前を通過して港までやって来た。
展望台からここまで下り坂とはいえ、馬鹿みたいに全速力で駆けてきたから、まだ息が荒いし、汗でシャツが張りついて気持ち悪い。
フェリー乗り場へ向かう本土組の連中を横目に断崖を見上げる。
絶壁に立てかけた梯子みたいな角度で七十段の石段が待ち受け、遙か彼方で森の木々に囲まれた赤い鳥居が俺たちを見下ろしている。
小学生の頃はちびりそうだったけど、大きくなった今でも膝が震えてしまう。
「こんなところまで来て、コクる前の神頼みか?」
さっさとここで手を合わせて帰りたいよ。
なのに、昇平の返事は予想もしないものだった。
「俺とおまえ、どっちがコクるか、階段ダッシュで決めようぜ」
「なんで俺が?」
「踏ん切りつけさせてくれよ」
「やなこった」
そんなのに協力させられてたまるか。
「なんだよ、冷てえな」
おまえが熱すぎるんだよ。
「仮に俺が勝ったらおまえはどうするんだよ」
「おまえに横取りされないように、先にコクりに行く。どっちにしろ、自分を追い詰められるだろ」
「おまえにしちゃあ、いい考えだな」
馬鹿馬鹿しいけど。
「だろ、じゃあ、行くぞ。先に鳥居をくぐった方がコクる。よしっ、スタート!」
やつは階段脇に鞄を投げ捨てると、勝手に競争を始めてしまった。
「ずるいぞ、待てよ」
俺も鞄を投げつけ、逃げる相手を本能的に追いかけていた。
とはいえ、感覚的にほぼ垂直に近い石段だから、二十段も上がると疲れて足が動かなくなってくる。
リードしていた昇平もすっかりへばって膝に手をついて休憩している。
俺は一気に距離を詰め、気合いで追い抜いた。
手を出そうとする昇平を、蹴落とす仕草で牽制する。
「ズルすんなよ」
「なんだよ、拓海、おまえだって、やっぱり本気なんじゃねえかよ」
「うるせえ、負けたらあきらめろよ」
「チックショー、裏切りやがって」
悔しそうでも、口調に笑いがこもっている。
「ざまあみろ。おまえが勝手に始めたんだからな」
「負けてたまるかよ」と、やつは石段に手をつきながら体を引き起こして必死に追い上げてくる。
とっくに周囲の民家の二階屋根は遙か下にある。
俺はなるべく足元を見ないようにしながら上を目指していた。
なんでこんなことしてんだろうな。
馬鹿馬鹿しさやあほらしさは消しゴムでこすられたようにかすれ、愛や恋だのといった感情は吹き飛び、負けてたまるかと奮い立たせる気力も汗の波にさらわれていく。
とにかくもはや登るしかないのだ。
登れば登るほど修行僧のように心が研ぎ澄まされていく。
なんでこんなことしてたんだっけ。
同じ質問ばかり思い浮かぶけど、答えが見つかる前に足が一歩また一段と高みへ俺を押し上げていく。
なんで、なんのためにこんなことをしてるんだっけ。
俺にしてみればただのお遊びのはずだったのにな。
二人とも四つん這いになって、今出したのがもはや足なのか手なのかすらも分からない。
地を這うムカデになったような気分だ。
なんで……なんでなんだよ。
ようやく鳥居が近づいてきた。
もうすぐ階段が終わる。
と、その時だった。
「行かせるかよ」
何かが俺の脚にしがみついた。
反射的に振りほどこうとした瞬間、自分の置かれた状況を思い出す。
――しまった!
階段、傾斜、高度、筋肉、痙攣、疲労。
振り向いたときにはもうすでにやつの上体は空中に放り出されていた。
――昇平!
手を伸ばした瞬間、時が止まったように、俺たちは見つめ合っていた。
見開いたやつの目には絶望の色が浮かんでいた。
重力よりも先に自分の体を投げ出してやつのシャツをつかみ、なりふり構わず引っ張り下ろす。
もがいていた昇平は足を滑らせつつも、手をついてなんとか石段にしがみついた。
「あっぶねえ……」と、肩を上下させながらやつは今にも吐きそうな勢いで嗚咽を繰り返していた。「わりい。焦って、つい……つかんじまった」
――まったくだよ。
なんでそんなに必死なんだよ。
「俺まで落ちるところだったじゃねえかよ」
蹴っ飛ばした自分のことを棚に上げて抗議した俺に、やつは素直だった。
「マジですまない」
「こんなところから落ちたら怪我じゃ済まねえぞ」
俺は顔色の悪い昇平を引っ張り上げ、そして、背中を押して先に行かせた。
こんな勝負、勝ったところで、いいことなんか何もない。
冷静になってみれば、意味なんかないんだ。
――こんなのただの遊びだろ。
俺は最初から美緒にコクるつもりなんかないし、横取りするつもりもない。
チャンスがゼロだってことを知ってるんだからな。
一緒に鳥居をくぐったぐらいで、奇跡なんか起こるはずがねえんだよ。