無事に年が明け、短い冬休みもすぐに終わった。部活のない曜日に図書室に行くと、佑は必ずそこで待っていた。周囲に勘違いされると困るので、瑞希はさっさと廊下に出て、佑が急いで追いかける。そんな彼のことを、弥生はこっそり「ハチ公」と呼んだ。
「ねえねえ先輩、秘密基地行きましょうよ」
「嫌。寒いし」
「そう言うと思って、あったかい毛布持ってきたんですよ。ぬくぬくですよ」
 通学鞄とは別に、彼はやけに膨れたバッグを手にしていた。瑞希は訝しく思っていたが、まさか毛布が入っているとは想像しなかった。遠い道のりを、えっちらおっちら持ってきたのを思うと、そこまでするかと呆れてしまう。だが、彼が大荷物を抱えてすごすご帰る背を見送るのもやるせない。完全にペースに乗せられているのは悔しいが、しぶしぶ秘密基地に向かった。
 それでも最初に連れられてから、週に一度は訪れていた。静かな土手で本を読む時間は、思いのほか心地よく、当初ほど嫌な気はしなくなっていた。しかし寒風に耐えてまで居座る気にはなれず、寒くなった頃から足は遠のいていたのだ。
 ソファーにかけていた車用のシートを外し、クーラーボックスから取り出したタオルケットをかける。並んで座り、佑の持ってきたウールの毛布を膝に乗せた。
「お母さんが冬用の毛布買い替えてて、いらなくなったのを貰ったんですよ」
 彼の言う通り、白色の毛布はいくぶん色褪せているが、十分に温かい。今日は空気は冷たくとも風はなく、浮月川も静かに流れている。しょうがない、少しだけ過ごすかと本を取り出した。
「締切り、ちゃんと間に合いました?」
 話しかけたくてうずうずしていた佑は、我慢できなかったらしい。瑞希が五ページも読まないうちに口を開く。
「間に合ったよ」
「よかったー。じゃあ、しばらくお休みですね」
「そういうわけにもいかない。次のこと考えないと」
「ひえ、ストイックだなあ」大袈裟にのけ反る姿が視界の端に映る。「大まかな話は決めたんですか」
「まあね」
「どんなのです?」
 言わない、と本に視線を落としたまま呟く。「教えてくださいよー」尚も食い下がってくるが、無視をする。またオカルト巡りだ云々と言われたらかなわない。
 しかし彼は「ねえねえ」としつこく離れない。
「じゃあ当てますね。えっと、路線変えて動物系? それともファンタジーかな。孤島のミステリはありふれてるし……そこを敢えて密室で攻めてみるとか。SFなんかも良さそうですね。設定が難しいけど、先輩なら上手にまとめられますよ! どんなテーマにします? アポカリプスだったら……」
 思うがままに喋りまくる佑の額を、瑞希は文庫本の表紙で殴る。ようやく静かになった彼に、「誘拐」と短く告げた。
「私の体験で特殊なものっていえば、あの事件だから」
 誘拐事件を題材にすれば、ある程度被害者の気持ちはリアルに想像できる。実際には存在しない事件だったが、自分は確かに体験した。これは強みではないかと思ったのだ。
「誘拐……」
 佑は額を抑えて呟いた。ほんの一瞬顔が強張り、口の端が震えたが、本のカバーを直す瑞希は気付かなかった。
「面白そうですね」
 そしてすぐに笑ったから、その逡巡を瑞希が知ることは永遠になかった。