一息つく間もなく、次は学祭の準備が待ち受けていた。
 南浜高校の文芸部は、学祭の日に合わせて年に一度の部誌を発行する。だが例年になく人数の少ない部員で冊子を埋めるのは、なかなかに骨が折れる作業だった。
「日比野せんぱーい、何か書けないんですかー?」
 火曜日の活動中、弥生が部長の日比野に無茶ぶりをする。受験生の彼は部活に来てはいるものの、時間のほぼ全てを勉強に当てていた。引退が当然の時期だったが、今年の部誌が発行できるかも彼は心配しており、毎回出席してくれる。瑞希と弥生もせっせと執筆に励んでいるが、思うように進まないのが現状だった。適当に作った中身のない作品を部誌に残したくはない。弥生はつい部長に愚痴を垂れてしまう。
「無理言うなよ。俺、才能ないんだからさ」
「あたしだってないですよー。瑞希はどう、進んでる?」
 弥生の向かいでペンを走らせていた瑞希も、ふうと息を吐いて「あんまり」と返事をした。中途半端な作品を載せるわけにいかないが、使えそうなアイデアは焦っても浮かばない。空き教室で、無情に時間だけが過ぎていく。
「まあ、三人しかいないからなあ。今年は薄くなってもしょうがないんじゃないか」
「でも、年一なのにもったいないですよね」部長の言葉に瑞希は嘆息した。
 何とか例年通りの厚さに仕上げたいが、どう見積もってもあと三十枚分は足りない。かといって瑞希も弥生も手一杯で、受験生でありながら作品を提供してくれた部長に負担をかけるわけにもいかない。部員が七人いた去年と変わらぬ時期から手をつけたのが敗因だが、後悔しても仕方が無い。
「あと一週間で締め切りとか、マジヤバい。瑞希、なにか隠し玉とかないの?」
「そんなの、あるわけないじゃん。あったらとっくに出してるし」
「だよねえ」
 ため息を吐き合う二人の後輩を見ていた日比野が、「そういえば」と少し目を見開く。
「誰だっけ、ほら、茜さんのファン」
「私にそんなのいませんよ」
「いるじゃんか。あの、よく一緒にいる子」
 佑のことだと勘付いたが、瑞希はぐっと眉を寄せた。「一緒にいたいわけじゃないんですけど」
「確か、この前見せてくれたサークルの本にも作品載せてたよね。あの子」
 星の海で発行した本は、日比野と弥生にも見せていた。そこに佑の作品が載っていることも、そういえば教えた覚えがある。話題の彼の作品はどれだと、弥生がしつこく迫ってきたせいだが。
「先輩、それってよくないですよー」彼の言いたいことを察した弥生が、ボールペンを軽く振る。「部員じゃないんだし」
「緊急事態なんだから、そうは言ってられないだろ」
 日比野は、佑にも作品提供を頼んでみようというのだ。彼の作品は部長のお眼鏡にかなうものだったらしい。だが、あくまで部誌なのだから、部外者の作品は載せたくないと弥生は言う。
「部長のプライドってないんですか?」
「無事に部誌を出せるなら、俺は気にしないよ」
 むくれる弥生に、日比野は良い思い付きだと晴れやかな表情を見せる。
「ねえ、瑞希はどう思う?」
 らちが明かないことを悟り、弥生がこちらに話題を振った。シャープペンシルの頭を軽く顎に当て、瑞希は考える。どちらの言い分も理解できるので悩ましいが。
「そもそも、あいつが引き受けるかわかんないし」
「瑞希が頼めばやってくれるんじゃない?」
「やるのと出来るのとは違う問題でしょ。そもそも、一週間じゃ無理って言われるかもしれない」
 弥生と日比野は顔を合わせ、確かにと頷いた。部外者の作品を受け入れるか否か、それ以前の問題がある。
「その子、まだ学校にいるかな」
「わかんないけど、いるなら図書室だと思いますよ」
「オッケー。んじゃ、訊きに行ってみるか。……そんで、名前なんだっけ」
 日比野が立ち上がり、瑞希も返事をしながら腰を上げた。弥生は不承不承という顔でペンを置いた。

 佑がいつも瑞希に付きまとっているので、名前を知らなくとも顔は日比野も知っていた。運良く図書室で課題に取り掛かっていた佑を見つけ、日比野と瑞希は現状を説明した。佑は全く予期しない出来事に、目をぱちくりさせて聞いていた。
「えっと。部員じゃないのに、書いてもいいんですか」
「いいよ、寄稿ってちゃんと載せるから。とにかく、作品が足りないんだ」
 四人掛けの席で佑の横に座った日比野が手を合わせる。「じゃあ、書きます」それを見た佑は、考える間もなく承諾した。
「ほんとにいいの?」
 あまり嬉しそうではない様子で弥生が尋ねるが、彼は造作もなく頷いてみせた。あまりの余裕ぶりに、こいつはわかってるのかと、彼の向かいで瑞希は心配になる。隣では弥生も似た表情をしている。
「一週間以内に三十枚の短編、書ける?」
 瑞希が念を押すが、彼は「了解」と言ってノートの隅に「三十枚、一週間」と書きつけた。
「何でもいいんですか。ジャンルとか」
「あー、できればミステリ以外がありがたいけど」
 日比野の言葉に頷き、彼は左手に握ったペンで「ミステリ以外」とメモをする。垂れた小指がさらさらとノートを擦った。
「雰囲気知りたいんで、今までの部誌とか見せてもらえますか」
「わかった、持って帰っていいよ」
「あたし、取ってくる」
 弥生が立ち上がったので、「私も」と瑞希も腰を上げた。廊下に出ると、案の定、弥生は眉間に皺を寄せて、納得しきらない表情を見せた。
「そりゃあ確かに緊急事態だし、あたしも彼の作品、上手いなって思ったよ? でもさあ」
「わかってるって」渡り廊下を歩きながら、瑞希は大きく頷いてみせる。「これでいいのかなとは思う」
「なんか実力不足って言われてるみたいなんだよね。……まあ、そうなんだけど」
「人数が足りないだけだから、仕方ないよ。それに、日比野さんにも安心してほしいし」
「まあねえ……」
 弥生は胸の奥から息を吐き、空き教室のドアを開けた。