「それにしても、なんでよりによって『卒業』なんでしょうね」
僕達は広場を抜け、真夜中の商店街を歩いていた。広場には丁度東西南北の位置に出入り口があり、その四つの道がそれぞれ別の商店街に繋がっている。
南口から外に出ると海へと繋がっており、東口から出ると僕の家の方へ繋がっている。
僕達は今、西口にある商店街を歩いている。
「『卒業』っていうと、尾崎豊のこと」
[夜の窓ガラスを壊して回りたい]というあの願望は、この『卒業』の歌詞から来ているという話だろう。
「ノートの作者は拗らせていたのかな」
「どうなんでしょう。でも、私は悪くないと思いますよ」
そう言って彼女は、尾崎豊の『卒業』を口ずさみ始めた。
「私達はこの世界ではお行儀よく真面目ではいられなかったんです」
「確かに僕達はこの世界に逆らって足掻いてるとも言える」
「はい。だからノートの作者は『卒業』を選んだのかもしれません」
そこで彼女は一度会話を区切り、思い出したように「そうだ」と呟いた。
「今更ですが、お名前を教えてもらってもいいですか?」
一緒に世界を壊そうと契約を結んだパートナーだというのに、僕は彼女のことを何も知らない。深入りするのは良くないだろうが、名前くらい知っていても良いだろう。
「そうだね。これから長い付き合いになるだろうし、ここらで自己紹介でもしておこうか」
「長い付き合いですか」彼女は一度沈黙してから「そうですね」と無表情に言った。それはなんだか、努めて無表情を作っているような、そんな顔に見えた。
「じゃあまずは私からいきましょう」
彼女は空へと視線を向け、満月を見てから
「私の名前は月野ユキといいます。漢字は満月の月に野原の野。ユキはカタカナです」
次は貴方の番ですとでも言いたげに、彼女は僕を見た。
「僕の名前は三田真白って言うんだ。三月の三に、田んぼの田。真実の真に、色の白だ。親が馬鹿でも書けるようにと、小学校低学年で習う漢字を使ったみたいだ。
「ほうほう」と彼女はまじまじと僕を見てから「漢字は三に田ですか。それで下の名前がマシロと」
「そうだよ」
「なんだか冬っぽいですね。決めました。今日から私は貴方のことをサンタさんと呼びます」
「サンタさん? なんでだ?」
「三田の読み方を変えただけです。ミタという名字がなんだか呼びづらくて気持ち悪いからです」
そんなに三田という名字は語感が悪いだろうか。だが、彼女の言いたいことは何となく分かった。
「サンタさんか。確かに凄く耳障りが良いな」
サンタさんという響きは心地よく僕の鼓膜を打った。まるで、これこそが僕の本当の名前だったと錯覚してしまうくらいには、僕はその呼ばれ方を気に入ってしまった。
「でしょう?」
月野は嬉しそうに口元を緩ませる。
「驚いた」
「何にですか?」
「君って、そんな風に笑えるんだな」
機嫌良く笑っていた彼女に殴られた。
「ここら辺でいいでしょう」
ふー、と息を吐きながら月野は満足そうに呟いた。時刻は午前二時を少し回ったところだ。辺りに人の気配は一切ない。
僕は未だに赤く腫れている頬を押さえながら、辺りを見渡した。
道はまだ先に続いており、花屋や服屋、居酒屋やファミレスなど多くの店が立ち並んでいる。
その光景を見て、思いつくことがあった。
「もし仮にノートの作者が尾崎に影響を受けていたとして、なんで夜の校舎を破壊場所に指定しなかったんだろうな」
「それは私も考えました。恐らくですが、窓ガラスを破壊するという行為そのものが重要なんだと思います」
「そういうもんか」
僕は思いつきで、どうせなら学校に行って夜の校舎の窓ガラスを壊して回らないかと提案した。
しかし、月野は「はあ」とため息をついて、こいつ何にも分かってないとでも言いたげに肩をすくめて見せた。
彼女は例のノートを取り出して、僕の前に差し出す。
「ここから歩いていけるような場所に窓ガラスを割れるような学校は有りませんよ」
なんだか妙な言い回しだなと訝しんでいると、彼女は地図のページを開き、とある場所を指さした。そこには[隕石の跡地]と書かれていた。
この世界の真ん中にある。隕石が落ちたと言われている場所だ。その中心部には大きなクレーターがあり、その周りは隕石による被害で崩壊した建物で埋め尽くされている。
「正確には、隕石の跡地にある廃校になら時間をかければ行けます。ですが、あそこにはもう割れる窓ガラスなんて一つも有りませんよ」
「確かにそうだろうな」
「ええ。なのでここの窓ガラスをぶち壊していきましょう」
月野は黒のケースから金属バットを取り出し、僕に手渡した。
僕は金属バットを掴んで、居酒屋の前に立った。
「じゃあ、やっちゃいましょうか」
「ああ、やっちまおうか」
その声を合図に、僕達はバットを振り上げた。そして、勢いよく窓ガラス目掛けて振り落ろす。
ガラスの弾ける心地良い音が夜の静寂を破壊した。この音に反応して誰かが観に来るだろうか。まあ、それはそれで面白いかもしれない。
この世界でお花畑に脳味噌を侵されてしまった連中が、今の僕達見をてどんな反応をするのか、興味がないといえば嘘になるからだ。
それから僕達はしばらくの間商店街の窓ガラスを壊して回った。
白い月明かりに照らされて、辺りに散らばったガラスの破片が光り輝いている。そのガラスを踏みつけながら進み、また新たなガラスを割る。その繰り返しだ。それはなんだか、この世界を壊す予行演習をしているみたいに思えた。
体が汗ばみ初めた頃、僕はとあるファミリーレストランの前に立っていた。道を挟んだ後ろでは、月野が本屋の窓ガラスを破壊している最中だった。
どうしてだろう。やけにこのファミリーレストランが気にかかる。脈が暴れていた。心臓が激しく胸を叩いているのが分かる。
このファミリーレストランに何かあるのだろうか。だが、なんの変哲もないただのファミレスだ。一瞬の気の迷いだろうと、バットを振り上げた――その時だった。
「やめてください!!!」
金切り声が響き渡った。咄嗟に手を止めてしまう。月野が、震える手で僕の腕を掴んだ。
「どうしたんだよ」
「ダメなんですよ……そのお店はダメです」
言いながら、彼女は店を守るように僕の前に立ちはだかった。
「どうして」
「このお店が壊れるのを見るのは、なんだか嫌なんです。やっちゃいけないって身体中が叫んでるみたいで……どうしても嫌なんです」
彼女は荒い呼吸を必死に整えながら、ゆっくりと話した。そう語る彼女の表情は本当に悲しそうで、僕は振り上げていたバットを下ろした。
「すみません」
「ああ、別に問題ないよ」
「よかっ……た、です」
そう言ったところで、月野は急にふらりと倒れた。
「は? おい!」
慌てて彼女の体を受け止めるが、返事はない。
「月野? どうしたんだよ。起きろって」
声をかけるが返事はない。彼女は荒い呼吸のまま、完全に意識を失ってしまったようだ。
ガラス片の散らばる夜の商店街に、僕はぽつりと一人取り残された。先程まで鳴り響いていた破壊的な音は、もうどこからも聞こえない。
聞こえるのは、月野の苦しそうな呼吸だけだ。
僕達は広場を抜け、真夜中の商店街を歩いていた。広場には丁度東西南北の位置に出入り口があり、その四つの道がそれぞれ別の商店街に繋がっている。
南口から外に出ると海へと繋がっており、東口から出ると僕の家の方へ繋がっている。
僕達は今、西口にある商店街を歩いている。
「『卒業』っていうと、尾崎豊のこと」
[夜の窓ガラスを壊して回りたい]というあの願望は、この『卒業』の歌詞から来ているという話だろう。
「ノートの作者は拗らせていたのかな」
「どうなんでしょう。でも、私は悪くないと思いますよ」
そう言って彼女は、尾崎豊の『卒業』を口ずさみ始めた。
「私達はこの世界ではお行儀よく真面目ではいられなかったんです」
「確かに僕達はこの世界に逆らって足掻いてるとも言える」
「はい。だからノートの作者は『卒業』を選んだのかもしれません」
そこで彼女は一度会話を区切り、思い出したように「そうだ」と呟いた。
「今更ですが、お名前を教えてもらってもいいですか?」
一緒に世界を壊そうと契約を結んだパートナーだというのに、僕は彼女のことを何も知らない。深入りするのは良くないだろうが、名前くらい知っていても良いだろう。
「そうだね。これから長い付き合いになるだろうし、ここらで自己紹介でもしておこうか」
「長い付き合いですか」彼女は一度沈黙してから「そうですね」と無表情に言った。それはなんだか、努めて無表情を作っているような、そんな顔に見えた。
「じゃあまずは私からいきましょう」
彼女は空へと視線を向け、満月を見てから
「私の名前は月野ユキといいます。漢字は満月の月に野原の野。ユキはカタカナです」
次は貴方の番ですとでも言いたげに、彼女は僕を見た。
「僕の名前は三田真白って言うんだ。三月の三に、田んぼの田。真実の真に、色の白だ。親が馬鹿でも書けるようにと、小学校低学年で習う漢字を使ったみたいだ。
「ほうほう」と彼女はまじまじと僕を見てから「漢字は三に田ですか。それで下の名前がマシロと」
「そうだよ」
「なんだか冬っぽいですね。決めました。今日から私は貴方のことをサンタさんと呼びます」
「サンタさん? なんでだ?」
「三田の読み方を変えただけです。ミタという名字がなんだか呼びづらくて気持ち悪いからです」
そんなに三田という名字は語感が悪いだろうか。だが、彼女の言いたいことは何となく分かった。
「サンタさんか。確かに凄く耳障りが良いな」
サンタさんという響きは心地よく僕の鼓膜を打った。まるで、これこそが僕の本当の名前だったと錯覚してしまうくらいには、僕はその呼ばれ方を気に入ってしまった。
「でしょう?」
月野は嬉しそうに口元を緩ませる。
「驚いた」
「何にですか?」
「君って、そんな風に笑えるんだな」
機嫌良く笑っていた彼女に殴られた。
「ここら辺でいいでしょう」
ふー、と息を吐きながら月野は満足そうに呟いた。時刻は午前二時を少し回ったところだ。辺りに人の気配は一切ない。
僕は未だに赤く腫れている頬を押さえながら、辺りを見渡した。
道はまだ先に続いており、花屋や服屋、居酒屋やファミレスなど多くの店が立ち並んでいる。
その光景を見て、思いつくことがあった。
「もし仮にノートの作者が尾崎に影響を受けていたとして、なんで夜の校舎を破壊場所に指定しなかったんだろうな」
「それは私も考えました。恐らくですが、窓ガラスを破壊するという行為そのものが重要なんだと思います」
「そういうもんか」
僕は思いつきで、どうせなら学校に行って夜の校舎の窓ガラスを壊して回らないかと提案した。
しかし、月野は「はあ」とため息をついて、こいつ何にも分かってないとでも言いたげに肩をすくめて見せた。
彼女は例のノートを取り出して、僕の前に差し出す。
「ここから歩いていけるような場所に窓ガラスを割れるような学校は有りませんよ」
なんだか妙な言い回しだなと訝しんでいると、彼女は地図のページを開き、とある場所を指さした。そこには[隕石の跡地]と書かれていた。
この世界の真ん中にある。隕石が落ちたと言われている場所だ。その中心部には大きなクレーターがあり、その周りは隕石による被害で崩壊した建物で埋め尽くされている。
「正確には、隕石の跡地にある廃校になら時間をかければ行けます。ですが、あそこにはもう割れる窓ガラスなんて一つも有りませんよ」
「確かにそうだろうな」
「ええ。なのでここの窓ガラスをぶち壊していきましょう」
月野は黒のケースから金属バットを取り出し、僕に手渡した。
僕は金属バットを掴んで、居酒屋の前に立った。
「じゃあ、やっちゃいましょうか」
「ああ、やっちまおうか」
その声を合図に、僕達はバットを振り上げた。そして、勢いよく窓ガラス目掛けて振り落ろす。
ガラスの弾ける心地良い音が夜の静寂を破壊した。この音に反応して誰かが観に来るだろうか。まあ、それはそれで面白いかもしれない。
この世界でお花畑に脳味噌を侵されてしまった連中が、今の僕達見をてどんな反応をするのか、興味がないといえば嘘になるからだ。
それから僕達はしばらくの間商店街の窓ガラスを壊して回った。
白い月明かりに照らされて、辺りに散らばったガラスの破片が光り輝いている。そのガラスを踏みつけながら進み、また新たなガラスを割る。その繰り返しだ。それはなんだか、この世界を壊す予行演習をしているみたいに思えた。
体が汗ばみ初めた頃、僕はとあるファミリーレストランの前に立っていた。道を挟んだ後ろでは、月野が本屋の窓ガラスを破壊している最中だった。
どうしてだろう。やけにこのファミリーレストランが気にかかる。脈が暴れていた。心臓が激しく胸を叩いているのが分かる。
このファミリーレストランに何かあるのだろうか。だが、なんの変哲もないただのファミレスだ。一瞬の気の迷いだろうと、バットを振り上げた――その時だった。
「やめてください!!!」
金切り声が響き渡った。咄嗟に手を止めてしまう。月野が、震える手で僕の腕を掴んだ。
「どうしたんだよ」
「ダメなんですよ……そのお店はダメです」
言いながら、彼女は店を守るように僕の前に立ちはだかった。
「どうして」
「このお店が壊れるのを見るのは、なんだか嫌なんです。やっちゃいけないって身体中が叫んでるみたいで……どうしても嫌なんです」
彼女は荒い呼吸を必死に整えながら、ゆっくりと話した。そう語る彼女の表情は本当に悲しそうで、僕は振り上げていたバットを下ろした。
「すみません」
「ああ、別に問題ないよ」
「よかっ……た、です」
そう言ったところで、月野は急にふらりと倒れた。
「は? おい!」
慌てて彼女の体を受け止めるが、返事はない。
「月野? どうしたんだよ。起きろって」
声をかけるが返事はない。彼女は荒い呼吸のまま、完全に意識を失ってしまったようだ。
ガラス片の散らばる夜の商店街に、僕はぽつりと一人取り残された。先程まで鳴り響いていた破壊的な音は、もうどこからも聞こえない。
聞こえるのは、月野の苦しそうな呼吸だけだ。