僕と月野の家は、そこそこ離れている。僕は地元の人間に会いたくないという理由で三駅離れたバイト先に通っていたのだが、月野も同じような理由でバイト先を選んでいた。

 アルバイト先のファミレスを中心にして、お互い三駅ほど離れたところに家がある。つまり、僕と月野の家は六駅ほど離れているのだ。

 八月も終盤に差し掛かったある日のことだ。

 その日は珍しくアルバイトが休みで、僕は暇を持て余していた。月野の元へ向かおうかどうか一瞬悩んだが、彼女は今頃必死になって勉強しているのだろう。邪魔をするのはかわいそうだ。

 そんなわけで、僕は近所の遊歩道にランニングをしに向かった。今まで僕は自分の外見に興味が無かったのだが、月野と出会って考え方が変わった。少しでも月野に似合う男になりたいと思うようになったのだ。だからその日も、少しでも体を絞ろうと遊歩道を走っていた。

 ここは少し高い丘のようなところにあって、見晴らしが良い。だから、月野の暮らす街もここからならよく見えた。僕は走りながら、月野の街へ視線を向ける。今頃、彼女も勉強を頑張っているのだろう。

 その時、異様な空気を感じた。ゴォォォォ、という怪獣の唸り声のような音が辺りに響いていたからだ。

 池で悠々と泳いでいた鴨達が一斉に飛び立ち、木々に止まっていたカラス達も騒々しく鳴き始める。

 僕は何も考えずに、飛び立った鴨を見た。そして、異変に気が付いた。

 空から、白い光が落ちていた。その光はまるで飛行機雲のように煙を噴き出しながらこちらに迫ってくる。体が凍った。人は本当にどうしようもない状況に直面した時、なにもできないんだな、なんてどうでも良いことを考えていた。

 それは紛れもなく隕石だった。隕石は轟々と音を立てながら、僕の上空を通り過ぎていく。

 そして次の瞬間、ハンマーで全身を殴られたような衝撃が走った。轟音と同時に爆風が巻き起こり、僕はその衝撃波に押され、近くの幹に背中を強く打ち付けた。身体中から酸素という酸素が無くなった気がした。上手に呼吸ができず、胸を押さえてしまう。

 地面に蹲りながら何とか顔を上げて、僕は絶望した。頭の中が真っ白になった。視界の遥か先、そこで、町が一つ消えていた。真っ黒な煙が上がり、爆発に似た光が見える。

 その消えた町は、月野ユキが暮らす街だった。

 彼女の住んでいる地域一帯が、隕石によって壊滅していた。呼吸が荒れる。脳の回線が焼き切れたみたいに、何も考えられない。

 とにかく、月野の安否を、確かめないといけない。それだけが頭の中にあった。スマホを取り出して、月野に電話をかける。だが、彼女は電話に出なかった。彼女に何度もメッセージを送ったが、既読が付くこともない。

 僕は居ても立っても居られず、走り出した。電車は既に止まっていて、電話でタクシーを呼ぼうにも、全て出払っているという。すぐに家に戻って、自転車に跨った。風を抜き去るくらいの気持ちで、自転車を飛ばしていく。

 月野の家に近づくにつれ、被害状況が悪化していた。ひび割れたアスファルト、電柱が突き刺さった家、倒壊した木々、駅前の崩れたビル。それらが、隕石の恐ろしさを物語っていた。その終わってしまった光景を横目に、彼女の元へ向かう。

 焦燥が、絶望が、沸き上がってくる。それらを無視して、ただ進む。

 隕石の爆心地付近は、火炎に包まれていた。炎が上がり、熱気が辺りを包んでいる。この火炎の奥に、月野の家がある。一刻も早く、彼女を助けないと。

 現場では既に警察や消防が、消火活動や逃げ遅れた人々の救助を行っていた。

 辺りには人だかりができており、僕は自転車から降りて、その人混みを掻き分けて進む。彼らは僕のことを訝しんだ目で見ていたが、そんなの気にしていられない。

 僕は人だかりの最前列に出て、走り出した。現場にいた警察が怒鳴り声をあげて僕を止めたが、無視して走った。そんなのに構っている余裕はなかった。

 月野の家まで、あと少しだ。煙を振り払って、走り続ける。辺りの家は完全に崩壊していた。でも、僕はそれらを見ないふりして、月野の家の方へ向かった。彼女が生きていることに賭けて、進むしかないんだ。

 彼女の無事を確認しないと、止まれない。何としてでも、月野を救わないと。

 そのまま走り続けて、僕の足は止まった。いや、止まらざるを得なかったと言った方が正しいだろう。

 そこから先に、道がなかったからだ。月野の住んでいる家が、その一帯が、隕石によって跡形もなくなっている。ただ、大きな窪地のように隕石のクレーターが広がっているだけだ。

 僕は膝から崩れ落ちた。何も考えることができない。目の前の現実を、受け入れることができなかった。そこには、死が香っていた。生存者がいるとは思えない。焼け野原のようだった。

 月野との約束を、叶えることができない。まだ、沢山やりたいことがあったのに。頼むから夢であって欲しいと、僕は願った。

 そんな僕の前に、あいつは現れたんだ。黒煙の中から、うっすらと人影が見える。
 
「やあ、初めまして」

 彼は右手をあげて、にこやかに笑った。異様な雰囲気を纏った人物だった。一目では男性か女性かも分からない。一番始めに目に入ってきたのは、銀糸のように艶やかな白髪。彼、もしくは彼女は宝石を思わせる赤い瞳を僕に向けて、薄い唇をほころばせた。

「僕の名前は星の骸。この隕石の魂が僕だ」

 彼はいきなり、そんなことを口走った。こいつは頭がイカれているのだろうか。でも、それも仕方ないと思った。だって、こんなにも深刻な被害を受けてしまったら、心の一つや二つ、壊れたとしてもおかしくない。

「君さ、今にも死にそうな顔してるね。何かあった?」

 星の骸と名乗ったそいつは、僕を覗き込んでいる。何かあった? じゃないだろう。

「大切な人が死んだかもしれないんだよ」

 歯軋りをしながら、吐き出すように呟いた。星の骸は「ほうほう」と頷いてから立ち上がる。

「大切な人か。君にとってその人は隕石の爆心地に近づいてしまうくらいには大切なんだね」

「ああ、その通りだ」

「なら、生き返らせてあげようか?」

 あまりにも普通に言うものだから、僕は思わず「お願いするよ」と言いそうになった。そんなに簡単に人が生き返ったら、誰も苦労しない。

「ふざけてるのか?」

 声を出してから気が付いたが、僕はどうやら怒っているらしい。こんな狂人になんか、怒る価値すらないのに。

「ふざけてなんかないさ。言ったろう? 僕は星の骸なんだよ」

 こいつは何を言っているんだろうと、本気で思った。

「星ってのは願いを叶えるものだろう?」

 彼は指を一つずつ立てていく。

「七夕や、流れ星、一番星、星に願いをっていう名曲もあるね」

「だからお前も願いを叶えられると、そう言うのかよ」

「そうだよ。でもね、僕は星の骸だ。星の死骸なんだよ。夜空で輝く星のように無条件で願いを叶えるわけじゃない」

 彼は僕の肩を叩いた。

「君の寿命五十年。五十年の寿命がないなら残りの寿命全て。それと引き換えに、君の大切な人を生き返らせてあげるよ」

 それはもう、売られたケンカを買うようなものだった。

「じゃあ、やってみろよ」

 五十年で月野が生き返るのなら、安いものだ。

「おっ。良いのかい。じゃあ、こっちに来てくれよ」

 星の骸は嬉しそうに笑い、僕の頭上に手をかざした。だが、すぐに彼の笑みが崩れる。

「どうしたんだ?」

 僕がそう聞くと、星の骸はつまらなそうに肩をすくめた。

「君の願いだけど、叶えることはできないみたいだね」

 ほらやっぱり、願いなんて叶えられるわけがない。一瞬でも期待してしまった僕が馬鹿だった。こいつは隕石によって狂ってしまった可哀想な人だったというわけだ。

「月野ユキちゃんだよね。彼女は生きてるよ。だから、君の願いは叶えられない」

 彼の言葉に、思わず震えた。

「なんで……」

 なんで月野の名前を知っているんだ。僕はまだ、彼に何も教えていない。

「だから言ったろう? 僕は星の骸なんだって、大抵のことは知ってる」

 意味が分からなかった。だが、こいつは月野の存在を当てて見せた。

「まあ、もしもまた叶えたい願いが見つかったら僕を頼ってよ。その時こそ、君の願いを叶えてあげるさ」

 待ってくれ、という僕の叫び声を無視して、星の骸は消えていった。その直後、後ろから僕を追いかけていた警察に、僕は取り押さえられた。