あまりに急いで出てきたから、防寒具などを一切付けずに出てきてしまった。真冬の凍てついた空気が、容赦なく体力を奪っていく。それでも、一刻も早く月野の元に行きたかった。

 一分一秒でも早く、彼女と一緒になりたい。この世界が終わるまで、彼女の隣にいたい。それだけだった。

 月野は今、どこで何をしているのだろう。僕から「早く行けよ」と言われた時、彼女は何を思ったのだろう。僕が「一目見たら気が変わったんだよ」と言った時、どんな気持ちだったのだろう。

 早く、彼女に会いにいかないといけない。ごめんって、謝らないといけない。本当の気持ちを伝えないといけない。

 がむしゃらに走って、まずは遊園地に向かった。「月野!」と叫びながら、遊園地内を走り回る。まわりにいた人たちが、僕のことをすごい目で見ている。頭のおかしな奴だとでも思っているのだろう。でも、そんなの気にしていられない。

 迷子センターに行って「月野ユキという子が迷子になってまして」と伝え、放送してもらった。結局、彼女は現れなかった。

 それからダメ元で彼女の家に行ってみた。彼女の家は「keep out」と書かれた黄色いテープで封鎖されていて、そこに誰もいないことは明らかだった。

 次に向かったのは僕がいつも理想の人を待っていた広場だ。あそこは、月野と初めて待ち合わせた場所でもある。そこにも結局、月野はいなかった。

 広場は美しくライトアップされていて、広場を練り歩く人達はみんな笑顔だった。これから世界が終わることを知らないで、みんな楽しそうに笑っている。

 時計を見ると、時刻は既に二十二時を回っていた。世界が終わるまで、後二時間もない。

 僕の体は既に冷え切っていて、体中がガチガチと震えていた。ずっと走っているから、足もボロボロだった。でも、止まっていられなかった。体力はとっくに底をついていたが、不思議と疲れがない。まだ、どこまでもいける気がした。

 僕はタクシーを捕まえて「隕石の跡地に向かってください」と伝えた。結局、彼女はいなかった。

 もう一度タクシーに乗って、いつもの広場で下ろしてもらう。

 その時にはもう二十三時になっており、島中に一日の終わりを告げるクリフ・エドワーズの『When You Wish Upon a Star』が静かに流れていた。

 ああ、もう、世界が終わってしまう。

 月野と始めてあった時のことを思い出す。あの日も僕は、こうやってこの世界に打ちのめされて、鬱々とした気持ちで海辺に向かったんだ。

 あの日と同じ気持ちで、おもちゃ箱みたいな商店街を歩いて行く。しばらく歩き、浜辺に出た。

 ザブンと音を立てている波の音を、ただ聞いていた。どうせならこの冷え切った体で海に飛び込んでやろうか。そうしたら、死ねるだろうか。月野を一人きりにさせたくなかった。現実で会えないなら、向こう側で一緒になれればいい。

 そんなことを考えていると、頬に冷たいものが触れた。反射的に頬を確認すると、それは小さな雫だった。視線を上空に向けると、さらさらとした雪が海風にあおられて狂ったように舞っている。

 そこで僕はもう一度見た。白く燃えるような満月を背に、夜空を駆けるサンタクロースを。

 ああ、こんなにも幻想的な光景を見ているというのに、心が全く躍らない。

 隣に、月野がいないからだ。きっと、彼女が隣にいてくれれば、この光景は何倍にも何万倍にも美しく見えるのだろう。

 そんなことを考えていたからかもしれない。だから、僕は思わず、言ってしまった。

「この世界が、壊れなければいいのに」

 ずっと、月野と一緒にいられれば良かったのに。

 僕はもう、諦めかけていた。月野と再会することは叶わないんだろうと、思っていた。

 だから、声が聞こえた時は胸の奥に何か熱いものが込み上げてきた。

「遅い。遅すぎますよ」

 その声を、忘れるわけがない。声の方に振り向くと、そこには月野がいた。彼女は泣き腫らした目で僕を見つめている。

 僕はもう、無意識のうちに彼女を抱きしめていた。それはほとんど本能的な動きで、押さえ込むことなんて出来なかった。

「ごめん。ごめんな月野」

 彼女の体は氷のように冷たくて、少しでも暖めてあげたいと思った。

「サンタさん、冷たすぎますよ。どれだけ探し回ってたんですか」

 その言葉を、そっくりそのままお返ししてやりたい。

「ああ、それはもう、死ぬほど探したよ」

「ええ、分かってます。私も、色んなところを回ったんですから。でも、どこにもサンタさんはいなかった」

 月野は僕よりも先に理想の人の元を離れて、各場所を探し回ってくれていた。僕の家にも行ったらしいが、その時僕はまだあの人の家にいた。スマホに何度も連絡を入れてくれたみたいだけど、僕が彼女の連絡先を消去したせいで連絡が取れなかった。

 全部、僕が悪い。僕は本当に、大馬鹿野郎だった。

「ごめん。本当に、ごめん」

「はい。謝ってください。薄情です。もう、世界が終わってしまうんですよ」

 もう、これから先、一生彼女を離したくない。そう思い、彼女を強く抱きしめた。

「うわぁ。サンタさん、上を見てください」

 月野が、うっとりとした声を出した。彼女の声につられて、僕も上空を見る。そこには、闇の彼方へと溶けていくサンタクロースがいた。

「綺麗だね」

 見ている景色は変わらないはずなのに、さっきとは比べ物にならないくらい美しく、その光景は僕の目に映った。

「サンタさん」

 彼女が僕の名前を呼んだ。

「なに?」

「私、こうやって最後の瞬間に一人じゃなくて良かったです」

 彼女の体は小刻みに震えている。

「世界の終わりに、サンタさんがいてくれて良かった」

 本当に、そう思っているんです。彼女は消え入りそうな声で、そう言った。彼女の震えを止めようと、更に力強く抱き寄せる。

 確かに、僕達の世界の終わりはもう目の前にまで迫っていた。

 水平線の向こう。微かに見えるあの大きな壁から、薄っすらと光が空へ昇っている。あの壁が、白い光となって霧散し始めていた。

 ああ、あの白い光に全てが包まれる時、月野の命は終わりを迎えてしまう。その最後までのささやかな時間を彼女と共に過ごせて良かった。少しでも長い間、彼女の顔を見ていたい。そう思い、彼女へ視線を向ける。そこで、気が付いた。彼女が、その目を見開いていることに。

「サンタさん。私……思い出しました」

 月野がそう言った時と、壁が光となって消え去ったのはほとんど同時だった。

 この世界が、消えかかっている。だが、僕の胸の中には何か暖かいものが込み上げてきていた。

「私は、いや、私とサンタさんは……」

 月野の瞳が、揺れている。

「ああ、そうみたいだね」

 世界の効果が、薄まっていく。失っていた過去の出来事が、僕の脳内に浮かび上がってくる。

 いつも想像していた理想の人の顔から、靄が晴れる。その顔は、黄瀬百合子のものじゃなかった。

 特徴的な髪型の女の子だ。

 前髪を右に流していて、決して右目を見せようとしない。とろんと垂れた眠たそうな目が特徴的な、あの子だった。

「僕達は、今までずっと一緒にいたんだね」

 うっすらと、消えていた記憶が形作られていく。僕達は大切なことを忘れていた。いや、忘れるようになっていた。月野の書いたノートのせいで。

 僕が心の底から探していたのは黄瀬百合子なんていう女性じゃない。本当にずっと待ち望んでいだのは、月野ユキだった。目の前の、月野だった。

 彼女は、ずっと僕の隣にいた。

「ええ、そうみたいですね、サンタさん」

 世界が崩れていく。

 今まで封印されていた記憶が、完全に甦った。

 それは、僕と月野との間に起こった、最悪で、けれども暖かな物語だった。