あれから僕と月野は最後の一日の過ごし方を考えた。それで結局、遊園地に行くことになった。

 星の骸と話していた時、月野が『私はまだヴァイキングに乗っていない』と言っていたからだ。それに、彼女の持つノートにも記入されている。

 僕達は家を出た後、近所の服屋に寄ってから遊園地へ向かった。ジャージ姿で遊園地に行くのは流石に恥ずかしかったらしい。

「ここに来たって、別にヴァイキングに乗れるわけじゃないぞ」

 遊園地について、エントランスの前で月野に確認をとった。この遊園地のヴァイキングは稼働停止になっている。月野の最後の願いが叶うわけではない。

「分かってますよ。でも、別にいいです。もう、サンタさんと一緒に遊園地を回れればそれでいいですから」

 言ってから、彼女はすいっとゲートを潜る。僕も慌てて彼女を追った。

 なんだか僕は、こういう日常を望んでいた気がする。こうやって、健康的な月野に振り回されて、走る彼女を追いかけるようなことを、望んでいたような気がする。だけど、健康的な月野ってなんだ? なんでそんなことを思ったのか分からなかった。

「ほら、サンタさんも早く来てくださいよ。私にはもう時間が残されてないんですよ」 

「そんな洒落にならない自虐はやめろよ」

 色々考えてみたが、結局、分からなかった。もしかすると、この世界が終わった時に全て分かるのかもしれない。月野の命と引き換えに、この世界で感じた違和感の正体が顔を出すのかもしれない。でも、そんなの知りたくないと思った。一生このまま、月野が生きてくれていた方が何倍だって嬉しい。

 ゲートを潜ると、大きな噴水広場が広がっており、その奥にはレンガ造りのお土産屋さんが立ち並んでいる。そこを進んで行くと、お姫様が暮らすような大きなお城が見えてくる。

 月野はそんな遊園地の様子を目を輝かせながら見ている。彼女は僕の方に振り返り、手を伸ばした。

「サンタさん。行きましょう」

「ああ、そうだね」

 月野の方へ一歩二歩と近づいていって、彼女の手を握った。僕が手を握ると、彼女は満足したように笑って、僕の手を引いて走り出す。

「まずはあのお店に行きましょうよ」

 そう言って向かったのは、一番奥にあるお土産屋さんだ。彼女はそこでピンク色をしたネズミの耳のカチューシャを買った。僕には同じデザインの青いカチューシャを渡してくる。

「ええ、これをつけるの?」

「つけるんです」

 彼女は無邪気に笑っている。

「楽しんでやりましょう。最後の一日くらい、恥も外聞も捨てて遊び抜いてやるんです」

 月野と一緒だったら、こんな風に我も忘れてはっちゃけるのも悪くないと思えた。

 それから僕達は、まず初めにコーヒーカップに乗ってみた。

 月野は「あははっ」と笑顔で真ん中のハンドルを勢いよく回している。僕も負けじとハンドルを握って何回も何回もハンドルを回転させた。

 コーヒーカップの速度が上がって「ぎゃー」と彼女が倒れ込んでくる。僕は彼女を受け止めて、更にハンドルを回した。

 コーヒーカップから降りた僕達はふらふらと千鳥足のようになりながら「いやー、目まわっちゃいましたね」と笑いあった。

「次はあれに行きましょう」

 月野がゴーカートの方へ僕を連れていく。彼女は芸術的な運転スキルで壁に何度も車をぶつけていた。むくれている月野は彼女らしい表情をしていた。

「次はあれに行きたいです」

 手を引かれていった先には、お化け屋敷があった。月野は「うぎゃー!」と半べそをかいて迫りくるお化けから逃げていく。まけじと僕も叫んで、彼女の後を追っていった。

「今度はあれをやりたいです」

 移動式のシューティングアトラクションの前で彼女が指さした。ギリギリのところで僕が勝って、月野が恨めしそうに僕を睨んでいる。

「あれ食べたいですね」 

 甘い匂いにつられていったところに、ポップコーンの屋台があった。彼女はバケットを抱えて手のひらいっぱいに掴んだポップコーンを幸せそうに食べている。

 ふと、僕は周りの人達を見てみた。

「次は何を食べよっか」

 家族連れの親子が、小さな子どもに喋りかけている。お城の前のベンチには、高校生くらいのカップルが肩を寄せ合って座っていた。みんな、幸せそうだった。みんな、楽しそうだった。

 でも、僕も幸せだった。楽しかった。幸せで幸せで、楽しくて楽しくて仕方がなかった。この景色を見ていても、眩しいなんて思わない。羨ましいなんて思わない。隣に、月野がいるからだ。月野と一緒にいるからだ。

「次はスイーツでも食べましょっか」

「いいね。僕、クレープが食べたいかな」

 僕はこの世界が終わる日になってようやく、この世界を受け入れることができたらしい。

 前を歩く月野を見て思う。彼女に会えて良かった。たった十一日の間だけだったけれど、僕は月野と一緒にいられて楽しかった。この世界のことは正直言って今でも大嫌いだけど、それでも、月野と僕を出会わせてくれた。そう思うと、ちょっとは好きになれたのかもしれない。

 僕にとって、月野は宝物のようなものだから。そう思えるくらいの存在に、月野はなっているから。その宝物は、今日でいなくなってしまうけれど。

 そう思うと、胸の奥がズキズキと痛んだ。でも、僕の中には月野との思い出が残っている。彼女がくれたものが、僕の心を満たしてくれている。これからはきっと、それが僕の宝物になってくれるんだ。

 その時ちょうど、僕達はお城の前を通っていた。だから僕は、思い出に残しておきたいと思った。

「月野」

 彼女の名前を呼ぶ。

「なんですか?」と振り返る彼女を、待ち構えていたスマホで撮った。

「な、何するんですか」

 月野はあたふたと慌てて、頬を赤くする。

「消してください」

「嫌だ」

 世界が壊れた後もこの写真が残るかどうかは分からない。だけど、僕はこの写真を一生大切にしようと思う。今のうちに、目に焼き付けておこう。

「ふん。まあ、いいでしょう」

 彼女はつん、とそっぽを向いてから陽気な足取りで歩き出した。なんならスキップまでしそうなくらい楽しそうだった。

「ほら、早く行きましょう」

 彼女は振り返って、手を伸ばす。

「うん。行こうか」

 彼女に近づいていって、手を握る。ああ、少しでも長くこの時間が続けばいいのに。お城を背にして歩いていく彼女の姿はなんだかとっても美しくて、綺麗で、この世の光景だとは思えなかった。この瞬間を切り取ったら絵画にでもなりそうなくらい、彼女の姿は儚く美しく見えた。

 だからこっそり、もう一枚だけ写真を撮った。こうやって、最後の一日を安らかに幸せに過ごせて良かった。最後の最後で、この世界が僕達に優しくて良かった。


 そう、思っていたのに。


 やっぱりこの世界は、どこまでもどこまでも、僕達にとって――いや、この場合は僕にとってだろうな――冷たかったらしい。 

 二人同時に「「あ」」と驚いたような声を出した。

 月野は左側を、僕は右側を見てそれぞれ声を上げている。二人とも、違うものを見て声を上げたようだった。

 月野が何に対して驚いたのかは分からない。それを確認しようか。一瞬そう思ったものの、僕の視線はその人物に釘付けにされてそれどころではなかった。

「なんで……なんで今なんだ……」 

 見間違えるはずがない。胸あたりまで伸びた髪に、くっきりとした二重瞼と涙袋。色素の薄い唇に少し面長な顔。服の袖から見えた彼女の肌は驚くほど白くて、儚さを纏っている。

 そこにいたのは、僕が今まで恋焦がれていた、あの女性だった。間違いなく、理想のあの人だった。心臓がドクドクと脈打っている。血管が暴れていて、息が止まりそうだった。

 僕は落ちつこうと一度深呼吸してみたが、息は整わない。それどころか、更に鼓動がうるさくなるだけだった。口の中がカラカラに乾いていくのが分かる。唾が喉につっかえて、うまく流れていかない。

 夢にまで見たあの人が、目の前にいる。ずっと、僕が待ち望んでいたあの子が、僕の前を歩いていた。

 ああ、と僕は思わず頭を抱えそうになった。なんでよりにもよって、月野の命が終わる最後の一日に彼女が現れたんだ。

 つくづく、この世界は僕のことが嫌いらしい。最後の最後まで、この世界は僕に牙を向いている。

 理想のあの人は何か焦っているようだった。きょろきょろと辺りを見渡して、美しい目元を歪めている。 

 そこで僕は、明け方の出来事を思い出した。

『君達はあの邪魔な男を殺してくれた。だからご褒美をあげるよ』

 星の骸が言っていた言葉だ。

 このご褒美というのが、これのことか。理想のあの人と再会させるという。

 ふざけやがって。初めて会った時には、会わせて欲しいという願いを断ったくせに。 

 引き返せないくらい月野のことが好きになってから、理想のあの子と再会させるなんて。

 星の骸は、僕を試そうとしているのだろうか。月野との最後の時間と、今まで散々追い求めてきた女の子。僕がそのどちらを選ぶのか、見極めようとしているのだろうか。

 舐めるなよ、と思った。

 月野はあの時泣いていた。自分が死ぬ最後の瞬間に、僕が笑っているのが悲しいと、僕に祝福されながら死んでいくのが悲しくて仕方ないと、涙を流していた。そんな彼女に向かって、僕は言ったんだ。

『ねえ、それは違うんだよ』

 あの言葉を嘘にしてたまるものか。そう決意して、僕は理想のあの子から目を離した。そして、月野の方へ視線を向ける。

 そこで、僕は全てを悟ってしまった。彼女の視線が釘で止められたみたいに一点に集中していたからだ。

 月野は荒い呼吸のまま、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 僕は恐る恐る、彼女の視線の先を追っていく。

 ああ、やっぱり。 

 そこには一人の男がいる。緩くパーマがかった髪に、優しそうに垂れた瞳。すらりと伸びた身長に、ほっそりとした体。

 確かに、月野が憧れて煙草を吸い出すくらいには、煙草が似合いそうな男だった。全部、僕なんかよりも上回っていた。 

 彼を見つめる月野の表情を見て、確信した。ああ、彼女もきっと、大切な人に会えたんだろうなと。

 星の骸は僕にだけ褒美をやると言ったわけではない。僕達に褒美をやると言ったのだから。月野の方にだって、理想の人が現れていないとおかしいに決まってる。

 ああ、なんだよ。結局、この世界はクソじゃないか。僕にとことん、優しくないじゃないか。 

 月野のこれまでの発言を思い出す。

『せめて、死ぬ前にもう一度彼と会いたかった』

 隕石の跡地でシャボン玉をした時、月野はそう漏らしていた。

『やっぱり、死ねない。あの人に、会いたいよ』

 神社で自殺を図ろうとした月野は、彼に会いたい一心で生きることを決意した。

 そこまで考えて、僕は一度目を瞑った。こうなってしまった以上、月野の隣にいるべきなのは僕じゃない。僕よりもよっぽどふさわしい人物が、たった今、現れたんだ。 

 良かったじゃないか。月野は、願いを叶えられたんだ。死ぬ前に彼に会いたかったっていうその願いを叶えられたんだよ。僕なんかが隣にいるよりも、そっちの方がよっぽど嬉しいに決まってる。この世界は最後の最後に月野に微笑んでくれた。この世界を作った月野の、願いを叶えてくれた。それでいいじゃないか。ハッピーエンドだろ。だから、これでいいんだよ。良かったんだよ。受け入れるしかないんだ。それが、月野の幸せなんだから。

 僕は目を開けて、月野の背中に手を触れた。

「行っていいよ」

 それは自分でも笑っちゃうくらい小さな声で、情けないにも程があった。でも、そう言うしかないじゃないか。 

 彼女は驚いたように僕を見た。何で分かったのか分からないという顔をしている。

「どうやら星の骸が言っていた褒美っていうのはこのことらしい」

 僕は視線を理想の人へ向ける。それで気が付いたのだろう、月野は納得したように目を細めた。

「だから、行きなよ」

「え、でも……」

「僕のことはどうだっていいから。それが君の願っていたことじゃないか」

 それこそ、泣いてしまうくらいに願っていたじゃないか。だから、早く行けよ。行ってくれよ。

「だって、サンタさんは最後まで私の隣にいてくれるって言ってたじゃないですか」

 月野は、僕を見上げている。そんな風に見ないで欲しい。僕は思わず、彼女から目線をそらす。

「僕なんかよりも、彼と最後を迎えた方がいいに決まってるだろ」

 ずっと、月野が言ってきたことじゃないか。死ぬ前に彼と会いたかった。それが叶うんだ。なんで今すぐ彼の元に行かないんだ。もしかすると、月野は僕に気を使っているのかもしれない。僕が今朝、彼女に告白してしまったから。
『僕は君が好きなんだよ』って、言ってしまったから。

 僕なんかの言葉のせいで、月野と彼の最後の時間を邪魔するわけにはいかない。月野の背中を、軽く押す。

「ほら、行きなよ。彼だって君を待ってるはずだ」 

 それでも、月野は動かなかった。彼女は迷ったように僕と彼とを交互に見ている。

 だったらもう、最後の手段に出るしかなかった。心を殺すんだ。言うんだよ。それを、言うしかないんだ。

「早く行けって」

 僕は、わざと鋭い声を出した。その声に「え?」と月野が肩を弾ませる。

「察してくれよ」

 そう言ってから、僕は僕の理想の人へと視線を向ける。月野はもう一度「え?」と声を上げる。その声は少しだけ、震えていた。

「な、なんでですか……だって、サンタさんは今日の朝、言ってくれたじゃないですか……」

 彼女は眉間に皺を寄せて、顔を歪めていった。

 やめて欲しい。そんな表情をしないで欲しい。でも、こうするしかないだろ。仕方ないんだ。月野が本当の幸せを手に入れるには、こうするしかない。 

 やるしかないんだよ。

「だから、一目見たら気が変わったんだよ。仕方ないだろ。ずっと、待ってたんだから、待ち望んでいたんだから」

 言って、しまった。

 月野は目を少しだけ充血させて、僕を睨んでいた。

「分かりました……分かりましたよ……」

 彼女はそう言って、僕に背を向けた。そして、ゆっくりとした足取りで彼の元に向かっていく。その足取りはもう、陽気なものではない。鉛のように重い足取りだった。 

 月野の背中が、遠くに行ってしまう。彼女とはもう、二度と、会えない。

 行かないで。

 開きかけた口を、なんとか閉じる。伸ばしかけた手を、なんとか抑える。

 これが僕と月野の、永遠のさよならだ。

 でも、これでいいんだよ。今は少しだけショックかもしれないけど、それが月野にとっての幸せなんだ。そうに違いないんだ。

 そう、信じて。