私の人生に幸せは訪れるのだろうか。
机の上に置かれたノートの、最後のページを開く。そこには[十一日]という文字が刻まれていた。
「この数字がゼロになった時、私は死ぬ」
何もしなくても、勝手に。この世界から私という存在が消える。そう思うと、震えが止まらなかった。
「何それ。バカみたいだ」
私はノートをゴミ箱に投げ捨ててから、机に突っ伏した。口の中には、朝に無理やり食わされた鼠の死体の味が残っている。腹の中にそれが溜まっていると考えるだけで、鳥肌が消えてくれない。
どうして私はこんな世界を望んだのだろうか。寿命を五十年もかけて、こんな地獄みたいな世界を願ったのだろう。誰もが幸せで理想的な世界。それだけ聞けば、素晴らしく美しくて最高な世界だと思う。でも、その誰もがという所に、どうして自分が入っていないのか。
「私が五十年も寿命を使ったからこの世界ができたのに……」
悔しくて悔しくて仕方ない。寂しくて寂しくてどうしようもない。世界中の人が、愛する人と肩を並べて、欲求を満たして、夢を叶えて、幸せそうに笑っている。なのにどうして、私は実の父に虐げられて、妹に見下されているのだろう。
「どうして、私の前にあの人は現れてくれないの……」
記憶の奥底に眠っている名前も思い出せない男の子のことだ。前の世界で、彼は確かに私を支えてくれた。どうしようもないような暗闇の中で、彼だけが私と一緒に生きてくれた。
私にとって、その男の子は生きる理由そのものだった。彼がいなかったら、私はあっという間に死んでいたかもしれない。こんなクソみたいな世界で、生き抜こうと思えなかっただろう。
ノートには、彼と共にやりたかったことが沢山記入されている。
[夜の窓ガラスを壊して回りたい]「海辺で花火をしたい][夜中にお酒を飲みながら散歩したい][深夜に気が遠くなるまで歩き続けたい][隕石の跡地でお酒を飲みたい][水族館に行きたい]
どういうわけか、前の世界で私はこれらの願いを叶えることができなかったらしい。だからきっと、このノートに書き込んだのだ。そして最後だけ、少し変わった願いが記入されていた。
[■■と一緒にヴァイキングに乗りたい]
恐らく名前に当たるであろう部分は黒く塗りつぶされている。更には、その最後の願いだけ筆跡が違かった。どう見ても、私の筆跡ではない。
もしかすると、これは彼が書いたものなのかもしれない。そうなると、この黒く塗りつぶされた所には私の名前が入るのかもしれないな。
その一行を指でなぞって、少しだけ頬を緩ませた。これを彼が書いてくれたのだとしたら、私は嬉しい。
でも、彼はどこにもいない。私が死ぬまで残り十一日。それまでに、これらの願いを叶えられるだろうか。
この世界に来てからの一年間、私は彼が現れてくれるのをひたすら待っていた。この地獄みたいな生活から、また彼が救い出してくれるのをずっと待っていた。
でも、いくら待っても、いくら探しても、彼は現れてくれなかった。私はきっと、こんな世界を作ってしまうくらいには彼と一緒にこの願いを叶えたかったのだろう。
だけど、その願いは叶わなかった。私が死ぬその日まで、きっと彼は現れてくれない。そんな予感がしている。
時計を確認して、私は立ち上がった。妹は早い時には昼頃に男を家に連れ込む。奴らと鉢合わせたくないから、家を出るしかない。
夜には冬日になっているかもしれないから、コートも持っていかなくちゃ。身支度を整えてから、家を出た。やることは特にない。
このユートピア・ワンダーワールドは、私のような持たざる者には優しくない。外の光景を見ていると、あまりの眩しさに目がくらくらする。
だから、歩いている時は音楽の世界に逃げ込んだ。いつか、私の隣を歩いてくれる人に巡り会えることを信じて、願って、私はイヤホンをつける。
古ぼけたウォークマンの中からBUMP OF CHICKENの『ユグドラシル』を流す。どうやら途中まで聞いていたようで『ギルド』が終わったところだった。緩やかな前奏と共に『embrace』が流れ出す。
ああ、何回聴いても、この曲はあったかく感じる。暖かい曲を聴いていて、夏の日差しにも炙られている。なのに寒気が止まらないのはなぜだろう。
道行く人を見て思った。幸せそうだなあ。いいなあって。どうせなら今が冬日だったなら良かったのに。
この震えを寒さのせいにできたんだから。
私はそれからしばらく歩き続けて、神社の中に入っていった。この神社は林に囲まれていて日陰が多い。私は端っこにあるベンチに座って、夏の暑さから逃げた。
イヤホンをつけたまま、「ふーっ」と息をついてベンチに体を預ける。涼しい風が吹いて、火照った体を洗い流していった。
わしゃわしゃと音を当てて木々がしなり、木漏れ日が水面のように揺れた。
音楽は進み、今は『レム』が流れている。
私の人生は、後十一日で終わる。それまでずっと、こんな地獄みたいな生活を送ればいいのだろうか。いつ現れてくれるのかも分からない彼を待って、ずっと地獄の中にいればいいのか。
揺れる枝を見上げながら、どうせなら今すぐ死んでしまいたいと願った。あの枝にロープを結び付けて、首を吊ってしまおうか。
死んだ私を発見したこの世界の住民は何を思うだろう。「この理想的な世界で死ぬなんてどうして?」と頭を抱えるだろうか。そう考えると笑えてきた。馬鹿じゃないのかと思う。辛いから死ぬんだよ。生きてて楽しくないから死ぬんだ。
どうせ後十一日の命だ。このまま生き地獄のような毎日を送るなら、もう、死んでしまおう。
私が死ねば、この世界は無くなる。早く死んで、こいつらの理想の世界も奪ってやるんだ。
私はズボンのベルトを外して、両手で持ってみた。今からこれを太い枝に括り付けて、首を吊るんだ。やってやるんだ。
立ち上がって、神社の隅に転がっていたバケツを持った。林の奥に進んでいく。程よい高さにあって、それなりに太い枝を見つけた。バケツを台変わりにして、枝にベルトを括り付ける。
それを見て思った。案外簡単に命っていうものは失えるんだな。後はベルトの中に首を突っ込んで、バケツを蹴ったら終わりだ。
この最低最悪な世界からも、あのクソみたいな家族からも、全部、さよならだ。
そして、私の理想の人ともさよならだった。もう会えることはない。これから先、一生彼と会うことはない。あの願いも、一生叶わない。
一生、叶わない。
ドクドクと、心臓が暴れている。血管がはち切れそうなくらい、激しく脈打っている。
蝉の鳴き声が、酷くうるさかった。
「はあ、はあ、」
考えるな。何も考えるな。死ぬんだよ。死んでやるんだ。その方が、楽だって。諦めなって。私は良くやったって。頑張ったって。充分生きたって。だから、死のうよ。楽になろうよ。
その時だ。
イヤホンから流れる音楽に、心を奪われてしまった。
『生まれた事を恨むのならちゃんと生きてからにしろ』
気付けば動きは止まっていた。
「ふっ……うぅ……」
大粒の涙が頬を伝って汗と混ざり合い、ポタポタと落ちる。
「やっぱり、死ねない。あの人に、会いたいよ」
括ったベルトから頭を出して、私はへなへなと崩れ落ちた。
結局、私には死ぬ勇気がない。死にたくない。最後に、あの人に会いたい。あの人と夢を叶えたい。この世界にいる限り、いつか自分にもそんな奇跡がおこるんじゃないかって、期待してしまう。後たった十一日しか時間はないのに、そんな風に期待を抱かせるこの世界が、やっぱり大嫌いだった。
私はそのまま、赤く泣き腫らした目のまま、街中を歩いた。歩き続けた。
そのうち、日が暮れて寒くなってきた。後十一日で、彼が現れてくれるとは思えない。でもせめて、もう一つの願いは叶えたい。前の世界で、ノートに書くくらいには叶えたかったあの願いの数々。あれを、残りの十一日で叶えたい。
もう、誰でも良かった。私の隣を歩いてくれる人なら、誰だって良かった。あの人がいないのなら、あの人の代わりになってくれるような人に現れて欲しい。せめて、代用の人物でいい。その人と、最後に願いを叶えたい。
そんなことを考えながら、海辺を歩いていた時だった。
「ああ、こんな世界……滅んでしまえばいいのに」
そんなことを呟いている人を見つけた。
私の、仲間だ。
その時、じんわりと胸の中に暖かい何かが広がっていった。外は凍てつくほど寒いのに、どういうわけか、胸の中が暖かい。
今が冬日で良かったと、私は思った。この胸の暖かさが、気温のせいではないと分かったから。
彼となら、願いを叶えられる。そう思うことができた。
机の上に置かれたノートの、最後のページを開く。そこには[十一日]という文字が刻まれていた。
「この数字がゼロになった時、私は死ぬ」
何もしなくても、勝手に。この世界から私という存在が消える。そう思うと、震えが止まらなかった。
「何それ。バカみたいだ」
私はノートをゴミ箱に投げ捨ててから、机に突っ伏した。口の中には、朝に無理やり食わされた鼠の死体の味が残っている。腹の中にそれが溜まっていると考えるだけで、鳥肌が消えてくれない。
どうして私はこんな世界を望んだのだろうか。寿命を五十年もかけて、こんな地獄みたいな世界を願ったのだろう。誰もが幸せで理想的な世界。それだけ聞けば、素晴らしく美しくて最高な世界だと思う。でも、その誰もがという所に、どうして自分が入っていないのか。
「私が五十年も寿命を使ったからこの世界ができたのに……」
悔しくて悔しくて仕方ない。寂しくて寂しくてどうしようもない。世界中の人が、愛する人と肩を並べて、欲求を満たして、夢を叶えて、幸せそうに笑っている。なのにどうして、私は実の父に虐げられて、妹に見下されているのだろう。
「どうして、私の前にあの人は現れてくれないの……」
記憶の奥底に眠っている名前も思い出せない男の子のことだ。前の世界で、彼は確かに私を支えてくれた。どうしようもないような暗闇の中で、彼だけが私と一緒に生きてくれた。
私にとって、その男の子は生きる理由そのものだった。彼がいなかったら、私はあっという間に死んでいたかもしれない。こんなクソみたいな世界で、生き抜こうと思えなかっただろう。
ノートには、彼と共にやりたかったことが沢山記入されている。
[夜の窓ガラスを壊して回りたい]「海辺で花火をしたい][夜中にお酒を飲みながら散歩したい][深夜に気が遠くなるまで歩き続けたい][隕石の跡地でお酒を飲みたい][水族館に行きたい]
どういうわけか、前の世界で私はこれらの願いを叶えることができなかったらしい。だからきっと、このノートに書き込んだのだ。そして最後だけ、少し変わった願いが記入されていた。
[■■と一緒にヴァイキングに乗りたい]
恐らく名前に当たるであろう部分は黒く塗りつぶされている。更には、その最後の願いだけ筆跡が違かった。どう見ても、私の筆跡ではない。
もしかすると、これは彼が書いたものなのかもしれない。そうなると、この黒く塗りつぶされた所には私の名前が入るのかもしれないな。
その一行を指でなぞって、少しだけ頬を緩ませた。これを彼が書いてくれたのだとしたら、私は嬉しい。
でも、彼はどこにもいない。私が死ぬまで残り十一日。それまでに、これらの願いを叶えられるだろうか。
この世界に来てからの一年間、私は彼が現れてくれるのをひたすら待っていた。この地獄みたいな生活から、また彼が救い出してくれるのをずっと待っていた。
でも、いくら待っても、いくら探しても、彼は現れてくれなかった。私はきっと、こんな世界を作ってしまうくらいには彼と一緒にこの願いを叶えたかったのだろう。
だけど、その願いは叶わなかった。私が死ぬその日まで、きっと彼は現れてくれない。そんな予感がしている。
時計を確認して、私は立ち上がった。妹は早い時には昼頃に男を家に連れ込む。奴らと鉢合わせたくないから、家を出るしかない。
夜には冬日になっているかもしれないから、コートも持っていかなくちゃ。身支度を整えてから、家を出た。やることは特にない。
このユートピア・ワンダーワールドは、私のような持たざる者には優しくない。外の光景を見ていると、あまりの眩しさに目がくらくらする。
だから、歩いている時は音楽の世界に逃げ込んだ。いつか、私の隣を歩いてくれる人に巡り会えることを信じて、願って、私はイヤホンをつける。
古ぼけたウォークマンの中からBUMP OF CHICKENの『ユグドラシル』を流す。どうやら途中まで聞いていたようで『ギルド』が終わったところだった。緩やかな前奏と共に『embrace』が流れ出す。
ああ、何回聴いても、この曲はあったかく感じる。暖かい曲を聴いていて、夏の日差しにも炙られている。なのに寒気が止まらないのはなぜだろう。
道行く人を見て思った。幸せそうだなあ。いいなあって。どうせなら今が冬日だったなら良かったのに。
この震えを寒さのせいにできたんだから。
私はそれからしばらく歩き続けて、神社の中に入っていった。この神社は林に囲まれていて日陰が多い。私は端っこにあるベンチに座って、夏の暑さから逃げた。
イヤホンをつけたまま、「ふーっ」と息をついてベンチに体を預ける。涼しい風が吹いて、火照った体を洗い流していった。
わしゃわしゃと音を当てて木々がしなり、木漏れ日が水面のように揺れた。
音楽は進み、今は『レム』が流れている。
私の人生は、後十一日で終わる。それまでずっと、こんな地獄みたいな生活を送ればいいのだろうか。いつ現れてくれるのかも分からない彼を待って、ずっと地獄の中にいればいいのか。
揺れる枝を見上げながら、どうせなら今すぐ死んでしまいたいと願った。あの枝にロープを結び付けて、首を吊ってしまおうか。
死んだ私を発見したこの世界の住民は何を思うだろう。「この理想的な世界で死ぬなんてどうして?」と頭を抱えるだろうか。そう考えると笑えてきた。馬鹿じゃないのかと思う。辛いから死ぬんだよ。生きてて楽しくないから死ぬんだ。
どうせ後十一日の命だ。このまま生き地獄のような毎日を送るなら、もう、死んでしまおう。
私が死ねば、この世界は無くなる。早く死んで、こいつらの理想の世界も奪ってやるんだ。
私はズボンのベルトを外して、両手で持ってみた。今からこれを太い枝に括り付けて、首を吊るんだ。やってやるんだ。
立ち上がって、神社の隅に転がっていたバケツを持った。林の奥に進んでいく。程よい高さにあって、それなりに太い枝を見つけた。バケツを台変わりにして、枝にベルトを括り付ける。
それを見て思った。案外簡単に命っていうものは失えるんだな。後はベルトの中に首を突っ込んで、バケツを蹴ったら終わりだ。
この最低最悪な世界からも、あのクソみたいな家族からも、全部、さよならだ。
そして、私の理想の人ともさよならだった。もう会えることはない。これから先、一生彼と会うことはない。あの願いも、一生叶わない。
一生、叶わない。
ドクドクと、心臓が暴れている。血管がはち切れそうなくらい、激しく脈打っている。
蝉の鳴き声が、酷くうるさかった。
「はあ、はあ、」
考えるな。何も考えるな。死ぬんだよ。死んでやるんだ。その方が、楽だって。諦めなって。私は良くやったって。頑張ったって。充分生きたって。だから、死のうよ。楽になろうよ。
その時だ。
イヤホンから流れる音楽に、心を奪われてしまった。
『生まれた事を恨むのならちゃんと生きてからにしろ』
気付けば動きは止まっていた。
「ふっ……うぅ……」
大粒の涙が頬を伝って汗と混ざり合い、ポタポタと落ちる。
「やっぱり、死ねない。あの人に、会いたいよ」
括ったベルトから頭を出して、私はへなへなと崩れ落ちた。
結局、私には死ぬ勇気がない。死にたくない。最後に、あの人に会いたい。あの人と夢を叶えたい。この世界にいる限り、いつか自分にもそんな奇跡がおこるんじゃないかって、期待してしまう。後たった十一日しか時間はないのに、そんな風に期待を抱かせるこの世界が、やっぱり大嫌いだった。
私はそのまま、赤く泣き腫らした目のまま、街中を歩いた。歩き続けた。
そのうち、日が暮れて寒くなってきた。後十一日で、彼が現れてくれるとは思えない。でもせめて、もう一つの願いは叶えたい。前の世界で、ノートに書くくらいには叶えたかったあの願いの数々。あれを、残りの十一日で叶えたい。
もう、誰でも良かった。私の隣を歩いてくれる人なら、誰だって良かった。あの人がいないのなら、あの人の代わりになってくれるような人に現れて欲しい。せめて、代用の人物でいい。その人と、最後に願いを叶えたい。
そんなことを考えながら、海辺を歩いていた時だった。
「ああ、こんな世界……滅んでしまえばいいのに」
そんなことを呟いている人を見つけた。
私の、仲間だ。
その時、じんわりと胸の中に暖かい何かが広がっていった。外は凍てつくほど寒いのに、どういうわけか、胸の中が暖かい。
今が冬日で良かったと、私は思った。この胸の暖かさが、気温のせいではないと分かったから。
彼となら、願いを叶えられる。そう思うことができた。