最悪の場合、常田の家に押しかけなくちゃいけないと思っていたが、幸いにも水族館内で彼を見つけることができた。彼は水族館に設置された喫煙所で、死んだ目をしていた。

「よう」

 喫煙所に入りながら声をかけると、彼は顔を上げた。蒸気機関のように吐き出した紫煙が、常田の周りにまとわりつくように揺れた。

「相変わらずDHAの高そうな目をしてるじゃないか」

 彼は僕の軽口をものともせずに「悪かったな」と返す。

「それで、何の用だよ?」

「水族館でたまたま見かけた友達に声をかけちゃ悪いか?」

「いいや、悪くないな」

「だろ? 回りくどいことをするのは嫌だから直接言う。お前が恋をしている相手っていうのは、あの人魚のことだろ」

 わずかな沈黙が流れた。常田は一度煙草を吸い、ため息でもつくように煙を吐き出した。

「なんだ。バレちまったのか。そうだよ」

 彼は隠す素振りも見せず、頷いた。それから、僕の隣に立つ月野に視線を向ける。

「それで? もう一度聞くがなんの用だよ。お前ら二人揃って俺を馬鹿にしに来たのか? 身の程も弁えない恋だって笑い者にするつもりかよ」

 彼は少し苛ついているようだった。頭をガシガシと掻きむしっている。身体にこびりついたヤニの匂いがした。

「まさか、そんなわけないじゃないですか。だから、ここに来たんです」

「ああ、この子の言う通りだよ」

「あんな風にずっとガラスに閉じ込められてて……一生檻の中なんて、そんなのあんまりじゃないですか。きっと、あの人魚さんにとって常田さんは救いなんですよ」

 まるで自分のことのように、人魚について語る月野の表情には熱がこもっていた。

 救い、という言葉に常田は反応したようだった。落ち窪んだその目が救いを求めてるように見えたのは錯覚だろうか。

 だから、彼は続く月野の発言に驚いてしまったのだろう。

「ねえ常田さん。私達は今から寝ます」

「は?」

 月野の意味不明な言葉に、常田が声を出した。彼は顔をしかめている。

 僕は思わず笑ってしまった。

「サンタさんも眠いですよね?」 

「ああ、僕もすごく眠い。場所などお構いなしに眠っちまいそうだよ」

 月野のやりたいことを察した僕は、彼女の案にのることにした。

「サンタさんも眠いそうです。というわけで、私達は今から寝ます」

 僕がその話に乗ったことにより、ますます混乱した常田は「おい三田。どういうことだ」と問いかけてくる。

「だから私達は、今から常田さんが何を言っても聞こえません。何を吐き出したとしても、私達は夢の中です」

 常田はようやく理解したようだ。

 彼女は常田の様子を伺ってから、喫煙所のベンチに座った。僕もその隣に腰を下ろして、目を閉じる。

 しばらくの間、常田は黙っていた。目を瞑っていても、彼の葛藤が手に取るように分かる。常田はしばらく悩んでから、喋り出した。それはどこにでも有りそうな、平凡な男の恋の物語だった。