しばらく歩き続けて、足の痛みがそれなりに強くなってきた頃、隕石の跡地が見えきた。

 まず初めに見えてきたのは、アスファルトを突き破って立っている桜の数々。その桜達は既に廃墟と化した住宅街を弔っているかのように、街中のいたるところに乱立していた。

 その住宅街の更に奥に、直径二Kmほどのクレーターがある。ここら一帯は、隕石の落下により終わってしまった街なのだ。

 隕石の跡地へと足を踏み入れて、月野は「はあー」と間延びした声を出した。彼女は窓ガラスの割れた家々を眺めている。

「サンタさんは、ここに隕石が落ちたのがいつなのか知っていますか?」

「いや、知らないな」

「ですよね。私も知りません」

 そこまで言って、彼女は持っていた缶チューハイをプシュりと開けた。酒はまだまだ残っていて、彼女のリュックの中でガチャガチャと音を立てている。

「何が言いたいんだよ……また何かの皮肉か?」

 残念ながら今回は何が言いたいのかよく分からない。

「違いますよ。サンタさんは私をなんだと思っているんですか」

 性格の終わってる女だと思っている――なんて口が裂けても言えなかった。

「おかしいと思ったんですよ。これだけの被害が出ているんです。誰か一人くらい詳しい事情を知っていてもいいじゃないですか」

 確かに、約二kmのクレーターがあるのだ。隕石落下の衝撃は計り知れなかっただろう。それを誰も知らないというのはおかしな話だ。

「確かに、どうしてなんだろうな」

 言いながら、僕もハイボールのプルタブを開けた。

「はい。どうしてなんでしょう」

 月野はグビグビとまるでジュースでも飲むように酒をあおる。

「考えても分かりませんね。今、頭働いてませんから。酔っ払い二人が真剣に考察したところで、ゴミみたいな結論が出るだけです」

 月野はけらけら笑いながら、今度はバックから瓶を取り出した。それはマンゴーのリキュールで、二十度もある。

「確かにその通りだ」

「ええ、私は天才ですから。今の自分がどれくらいアホになってるか分かるんです」

 既に酔っ払っているのだろう。月野は上機嫌になり始めていた。月野は瓶のキャップを外し、そのまま口に付けた。リキュールをラッパ飲みしていく。上品さのかけらもないし、最低の飲みっぷりだった。

「いやあ、美味しいですねえ」

「その飲み方だと美味そうには見えないけどな」

 氷があった方が百倍美味いだろと思ったが月野の機嫌が良さそうだったので黙っておく。

 この酒は度数の割には甘くて飲みやすく、すいすいと飲んでしまう。飲み方を知らない奴が飲めば気が付いた時には出来上がっているという頭の悪い酒だ。

 機嫌がよくなった月野はけらけらと笑いながら、住宅街の奥へとズンズン進んでいく。

 彼女は楽しそうだった。悲しみも苦しみも、全部酒が洗い流してくれたようだった。だから、気が緩んでいたのかもしれない。滑るように、彼女は口を開いた。

「やっぱり、私はこの世界が嫌いです」

「ああ、僕もそう思う」

「ええ、貴方なら理解してくれると思いました。だって――――」

 そこまで言って、彼女は口をつぐんだ。

「だって?」

「忘れました。今、私は酔っ払いですから」

 あからさまに言って、彼女は更に歩くスピードを上げた。

「逃げるなよ」

 後ろから声をかけても、彼女は振り返らなかった。

 それからしばらく、僕らは道を歩き続けた。道を進んでいくに連れて、被害状況が酷くなっていく。初めは窓ガラスだけが割れていたが、次第に半壊した家が見え始めた。

 そんな風に景色が悪くなっていくのに比例して、僕達の酔いも回っていった。

 月野に至っては既にリキュールを飲み干しており、新しい缶チューハイを飲んでいるようだった。前に呼び出された野外飲み会の時もこのような感じだったのだが、彼女は酒を飲み慣れていないのかもしれない。

「あー、疲れました。少し休みましょう」

 言いながら、月野はどかっと瓦礫の上に腰を下ろした。僕も近くの瓦礫に腰を下ろして、新しいお酒に口をつける。

 そこはちょうど真後ろに桜の木が立っていて、心地よい木陰になっていた。春の生ぬるい風が、服の間を泳いでいく。

「わあ、桜の吹雪ですよ」

 月野の声に顔をあげると、ちょうど僕の額に桜の花びらが落ちた。もう一度吹いた風に、その桜は簡単に攫われていった。枝がしなり、春の吹雪は狂ったように舞っている。

「ねえ、シャボン玉をやりましょ」

 ひらひらと舞い落ちる桜を見ながら、月野は言った。

「そうだね。そろそろやろうか」

 僕は袋からシャボン玉セットを二つ取り出して、一つを月野に渡した。

「わあ、なんだか懐かしいです」

 彼女は早速シャボン液のキャップを開け、緑色の筒を中に入れた。

「私のことばかり見てないでサンタさんも早く入れてください」

 彼女に指摘されて気が付いた。僕はどういうわけか彼女に見惚れていた。きっと何かの気の迷いだろう。軽く頭を振って「ああ、分かった」と答えた。

 それからすぐに僕も緑の筒をシャボン液につける。「せーの」と互いに声を合わせて、ふーっとシャボン玉を押し出した。ぶくぶくと沢山のシャボン玉が宙に向かって飛んでいく。

「わっ、なんだか凄いことになってますよ」

 ひらりと舞い落ちる桜の間を縫うようにして、シャボン玉がふわふわと浮かんでいく。

 舞い落ちる桜と、空へと登っていくシャボン玉、その二つが、なんだかとても美しく見えた。隣にいる月野に何か声をかけようと思って、彼女の方へ視線を向けた――その時、開きかけていた口が閉じた。

 空へと伸びていくシャボン玉を見て、月野が涙を流していたからだ。彼女の左頬に、涙が伝っている。

「サンタさん。今、眠いですか?」

 一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに彼女の言いたいことを察した。

「ああ、眠い。眠すぎてまぶたがくっつきそうだ」

「そうですか。ありがとうございます」

 僕は眠たそうに欠伸をして、まぶたを擦った。彼女も同じように欠伸をして、まぶたを擦った。

「サンタさん。私、今から独り言を喋ります。だから、寝ていてください」

 今度は質問の意図が読めず、一度固まってしまった。でも、すぐに僕は目を瞑った。

「さっき言いかけていたことです。それについて一人で喋りたくなりました」

 さっき言いかけていたこととはなんだろう。少し考えて、すぐに思いついた。

『ええ、貴方なら理解してくれると思いました。だって――――』

 きっと、あの言葉だ。なぜかは知らないが、恐らく彼女はあのシャボン玉を見てこれについて喋ろうと決心したのだろう。

 だから僕に眠ってくださいと頼んだ。独り言という体で、彼女はそれを喋ろうとしているのだ。

「私とサンタさんは同じなんですよ」

 彼女の独白は、その言葉から始まった。

「始めて会った時のことです。サンタさんは、向こうの世界に理想の人がいると言いました。あれ、実は私にもいるんですよ」

 彼女は一度そこで呼吸を落ち着かせ、続ける。

「症状はサンタさんとほとんど同じです。顔も名前も思い出せないんです。でも、私は彼のことが大好きでした。いや、今でも大好きです。会いたくて会いたくてどうにかなりそうなんです」

 それからしばらくの間沈黙があった。ちょっとしてから、シュボッとライターのつく音がした。

 おい。無理するな。心の中で言ったが、遅かった。案の定、月野はゲホゲホと咳き込んでいる。

「この煙草も、彼に近付きたい一心で彼の真似をして吸い始めたんです。馬鹿みたいですよね」

 彼女はいつも通り「あははっ」と、震えた声で笑った。

「シャボン玉を見て、少しだけ記憶が蘇りました。シャボン玉を吹く私を見て、彼が優しく笑いかけてくれているんです。それを思い出したら、なんだか涙が出てきて……」

 それから月野は消え入りそうな声で言った。

「せめて、死ぬ前にもう一度彼と会いたかった」

 その言葉に、思わず目を開けてしまった。

「約束は守ってくださいよ」

 彼女は赤く腫れた目で、諦めたように僕を見ていた。直後、彼女はふざけて買ったウィスキーのボトルを半分ほど一気に飲んだ。

「おい! 危ないぞ!」

 彼女からウィスキーを奪い取る。

「返してください! 飲んで全部忘れてやるんです!」

「馬鹿いうな。それ以上一気に飲んだら命に関わるぞ」

 月野は暴れて、僕からウィスキーを取り返そうとした。が、酔いが回った体が言うことを聞かなかったのだろう。体制を崩した月野は、僕に覆い被さるようにして倒れた。

 ガラガラとガラスの転がる音がして、ウィスキーのボトルが横滑りに転がっていった。幸い、割れることはなかった。

 僕に覆い被さったまま、月野は言った。

「いいですか。今のことは、忘れてください。貴方は私の奴隷なんですから。頼みますよ」

「分かったよ」

「はい。信じてますから」

 それから本当に力が抜けたのだろう。月野はぐったりとした様子で寝返りを打った。

 僕は彼女の背中をさすりながら、チェイサー用で買っていた水を彼女に飲ました。

 月野はしばらく苦しそうに唸っていたが、しばらくすると酔い潰れて眠ってしまった。僕は月野に回復体位を取らせてから彼女の煙草を拝借した。それから少しだけ迷って、煙草に火を付けた。今まで禁煙を続けていたが、なんだか吸ってもいいような気がした。

 久しぶりに吸った煙草は、物凄く美味しかった。