「何よこれ!まだ埃が残っているじゃない!」
 近くに置いてあった水汲み桶の中身をかけられた千冬は小さくうめき声をあげた。
 廊下の隅に残る埃を見て美しく華やかな妹が眉を吊り上げながら、雑巾を持ち貧相な身体を震わせる姉を睨みつける。
 帝都に構える大きな純和風の屋敷中に朝から甲高い怒号が響き渡る。
 鼓膜が揺れるような声に千冬は思わず耳を塞ぎたくなるが必死に耐える。
 塞いだらまた目の前にいる妹の怒りを買い、叩かれるのがわかっているからだ。
 「申し訳ありません……」
 額を床につけ土下座をして謝罪しているのは嶺木千冬《みねき ちふゆ》。
 千冬の家は帝都の中でも名家中の名家。
 元々は普通の家柄だったが曾祖父が起こした事業が成功し、現在の地位まで上り詰めた。
 嶺木の人間は所有する莫大な資産で贅沢な暮らしをしていた。
 ただ一人、千冬を除いて。
 「本当、掃除すらまともにできないなんて恥ずかしくないのかしら。みっともない」
 千冬を目の前で見下しているのは妹の依鈴《いすず》、そして近くでその様子を眺めていたのは継母の依里恵《いりえ》。
 土下座をしていても二人が蔑んだ瞳でこちらを見ているのが漂う空気でわかる。
 このまま下手に動かない方が良いと知っている千冬は静かに次の言葉を待つ。
 何も話さない千冬に依鈴は苛ついたようにため息をついた。
 「また始まった、お姉さまお得意のだんまり」
 「あの女の娘ですもの。できるなら声も聞きたくないわ」
 依里恵は手を伸ばし、下げている千冬の頭を床に押しつける。
 「……っ」
 息が苦しくなりもがいた時、襖が開かれる音がした。
 「またか」
 騒ぎを聞きつけたのか嶺木家の当主で父親の宗一が呆れたような顔をして奥の部屋から出てくる。
 廊下に広がる光景を見て話を聞かなくてもいつものことかと状況を全て理解したようだった。
 「あまり千冬に近づくな。不幸になるぞ」
 「ええ。さあ依鈴、祟られる前にもう離れましょう」
 「はい、お母さま。……掃除やり直しといて」
 三人は髪先から水を滴らせている千冬を一瞥するとその場をあとにした。

 千冬は幼い頃から継母と妹に虐げられていた。
 原因は実の母親への恨みと紫紺色の瞳。
 宗一と依里恵は元々恋仲だったが千冬の実の母親である千鶴との政略結婚が決まり仕方なく別れることになった。
 そんな愛のない夫婦に生まれたのが千冬。
 政略結婚だったが生まれる前までは宗一もお腹の中にいる千冬を愛おしく思っていたと幼少期に聞いたことがある。
 しかし千冬の瞳が紫紺色だということがわかると性格が一変した。
 何故ならこの國に古来から伝わる言い伝えに祟り神と同じ紫紺色の瞳をもつ者は呪われていると残されているから。
 宗一や使用人が恐れる中、ただ千鶴だけが娘を愛し続けた。
 そんな千鶴だったが身体が弱かったため、千冬が五歳の時に病死した。
 亡くなってすぐにこの家にやって来たのが依里恵。
 愛していた恋人を奪われた依里恵は千鶴を恨み、その思いを娘である千冬にぶつけていた。
 宗一も想い合っていた女性の方が良かったのだろう。
 笑顔が戻り、再婚をしてすぐに継母に依鈴を身籠もった。
 依鈴が生まれ成長して物心がついた頃、母親が千冬を虐めているのを見て倣うようになったのは、そう遅くはなかった。