直人はさりげなくすずのコートの襟を正した。

「もうすずの用事は終わった?
 じゃ、出発しようか、すずが疲れないうちに」

 直人はそう言うと、すずの荷物を持って歩き出した。
 すずの心の奥に閉じ込めたはずの気持ちが、また騒ぎ始める。直人のさりげない優しさは、いつもこうやってすずの心をかき乱す。
 でも、すずは直人に好きだなんて言えるはずがなかった。直人と純とすずのトライアングルは、すずが踏ん張っていなければ砂の城のように一瞬で崩れてしまう。
 それでも今日だけは直人に甘えたかった。直人に好きとは言えないけれど、直人の温もりを感じていたい。すずはエスカレーターを降りて大股で歩く直人のジャケットの裾を握った。

「直人、待って…」

 直人は振り向きもせずに、すずの裾を握っている手の指を自分の指先に絡めた。

「置いていったりしないから。ちゃんと、俺の手を握ってて」

 色黒の直人の右手はすずの左手を包み込むには十分だった。すずは切なくて、こみあげてくる涙を必死に飲み込んだ。