ジャンは毎週水曜と金曜に河川敷に来ているようだった。チャコもそれに合わせて、水曜と金曜は真っ直ぐ河川敷に向かうのが習慣になった。
日が沈むまでの間、ジャンの隣でその演奏を聴く。ときどきジャンに質問したりもするが、基本的にはじっとジャンの演奏に耳を傾けて過ごしていた。
「ジャンが弾く曲は知らないのが多いんだよね。でも、どれもすごくきれい。ずっと聴いてたい」
ジャンは話さないから曲名もわからないけれど、チャコはジャンの演奏に魅了されて、すっかりお気に入りになった曲がいくつもある。一番好きなのは、最初に聴いて涙したあの曲だが、あれも曲名はわからない。ただ切ない気持ちになったのだけはよく覚えている。
「ねー、ジャン。もっと聴かせて?」
その言葉にジャンは微笑むと少しだけ考えるようにしてから、なぜかニヤッとした。そして、彼が奏ではじめたメロディーは、チャコでも知っているものだった。
「なんできらきら星?」
ジャンはどうだとでも言わんばかりの顔をして弾いている。
「何その顔ー。これなら知ってるだろうってこと? 当たり前じゃん」
なんだかジャンに挑発されているように感じて、チャコはジャンの演奏に合わせてきらきら星を口ずさんだ。随分と懐かしい。歌うのは小学生以来ではないだろうか。歌い終わってジャンを見てみれば、なぜか驚いた顔をしている。
「え、どうしたの?」
ジャンはチャコを見つめ、もう一度きらきら星を弾きはじめた。
「え、もう一回弾くの?」
そのまま黙って聴いていれば、ジャンに不満そうな顔をされてしまった。なぜそんな顔をするのかわからない。疑問に思って首を傾げていれば、ジャンは何を思ったのか、唐突に距離を縮めてきた。その距離約五十センチ。
「え、何?」
ジャンは片手をチャコのほうに伸ばしてくる。驚いてチャコがのけぞるようにすれば、そのまま手が追いかけてきて、そうしてジャンの指先がチャコの唇に触れた。急な接触、それも唇への接触にチャコはパニックに陥った。
「っ!?」
心臓がドッドッと音を立てている。ジャンはそんなチャコの様子には構わず、唇を指先で二回だけトントンと叩いてからその手を離した。チャコはもう自分が真っ赤になっている自覚がある。何しろ唇を他人に触られるなんて初めての経験だ。しかも触れてきたのは天使だ。恥ずかしくてたまらない。
「なっ、何?」
どうにか絞りだしたチャコの問いに、ジャンはきらきら星をワンフレーズだけ弾いて返した。そして、もう一度チャコの唇を叩く。あまりに予想外の出来事に思考停止しそうになる。けれど、ジャンが何かを強く望んでいるような顔をしていたから、チャコは止まりそうになる頭をどうにか回転させて考えた。その間にジャンはもう一度きらきら星を弾く。
「……あー……あ? うん? あー、うた?」
チャコが発したその言葉に、ジャンはにこにことした表情を浮かべて、もう一度チャコの唇を叩き、ギターを構えた。
「歌ってほしい?」
ジャンは早く早くと言わんばかりの表情で待っている。どうやら正解にたどり着いたようだ。
「いいよ。弾いて! 歌う!」
ジャンの演奏に合わせて、今度はもっとはっきりと歌った。ギターの音に合わせて歌うのはものすごく楽しい。
「あはは! 一緒にやると楽しいね!」
ジャンもにこにことしている。楽しんでくれたようだ。その様子にチャコも満足して微笑みを向ければ、ジャンがまたニッと笑い、今度は複雑なメロディーを奏ではじめた。
「!? すごっ……」
そのメロディーにはきらきら星が含まれている。だが、それはチャコが知っている単調なものではなくて、やたら速くて軽やかなものだったり、もの悲しかったり、跳ねていたり、しっとりしていたりといろいろな形に変化していった。
演奏が終われば、チャコは人目も憚らずに大きな拍手を送っていた。
「すごいっ! すごいすごいすごい! 何それ! 私の知ってるきらきら星じゃない! なんかキラキラしてたし、おしゃれになったり、ちょっと切なかったり、かわいかった。ジャン、すごいね!」
興奮するチャコに対し、ジャンはずっと微笑みを浮かべて、チャコのことを見つめる。そして、チャコが落ち着けば、ジャンはもう一度唇を叩いてきた。
「ねぇ、その合図違うのじゃダメなの? 恥ずかしいんだけど……」
ジャンはにこにことしたまま、また唇を叩く。
「もうわかったよ。歌う! 歌うから! そのあと、またさっきのやつ聴かせてね」
チャコが歌ってやれば、ジャンはちゃんと先ほどの変化にとんだきらきら星を演奏してくれた。とても楽しくて時間はあっという間に過ぎていく。
「日が落ちちゃったねー。今日はいつもより早かったな」
ジャンはもう帰り支度をしている。チャコも立ち上がって制服の汚れを払うと鞄を肩にかけた。
「じゃあ、またね。バイバイ!」
いつも通りジャンに手を振って別れの挨拶をする。ジャンもいつも通りすぐに背を向けて歩きだすと思っていたが、この日は軽く手を上げてから去っていった。
(ジャンが手振ってくれた! いや、振ってはないけど。でも、『じゃっ』ってやってくれた!)
チャコは嬉しくて大きな鼻歌を歌いながら帰宅していった。
日が沈むまでの間、ジャンの隣でその演奏を聴く。ときどきジャンに質問したりもするが、基本的にはじっとジャンの演奏に耳を傾けて過ごしていた。
「ジャンが弾く曲は知らないのが多いんだよね。でも、どれもすごくきれい。ずっと聴いてたい」
ジャンは話さないから曲名もわからないけれど、チャコはジャンの演奏に魅了されて、すっかりお気に入りになった曲がいくつもある。一番好きなのは、最初に聴いて涙したあの曲だが、あれも曲名はわからない。ただ切ない気持ちになったのだけはよく覚えている。
「ねー、ジャン。もっと聴かせて?」
その言葉にジャンは微笑むと少しだけ考えるようにしてから、なぜかニヤッとした。そして、彼が奏ではじめたメロディーは、チャコでも知っているものだった。
「なんできらきら星?」
ジャンはどうだとでも言わんばかりの顔をして弾いている。
「何その顔ー。これなら知ってるだろうってこと? 当たり前じゃん」
なんだかジャンに挑発されているように感じて、チャコはジャンの演奏に合わせてきらきら星を口ずさんだ。随分と懐かしい。歌うのは小学生以来ではないだろうか。歌い終わってジャンを見てみれば、なぜか驚いた顔をしている。
「え、どうしたの?」
ジャンはチャコを見つめ、もう一度きらきら星を弾きはじめた。
「え、もう一回弾くの?」
そのまま黙って聴いていれば、ジャンに不満そうな顔をされてしまった。なぜそんな顔をするのかわからない。疑問に思って首を傾げていれば、ジャンは何を思ったのか、唐突に距離を縮めてきた。その距離約五十センチ。
「え、何?」
ジャンは片手をチャコのほうに伸ばしてくる。驚いてチャコがのけぞるようにすれば、そのまま手が追いかけてきて、そうしてジャンの指先がチャコの唇に触れた。急な接触、それも唇への接触にチャコはパニックに陥った。
「っ!?」
心臓がドッドッと音を立てている。ジャンはそんなチャコの様子には構わず、唇を指先で二回だけトントンと叩いてからその手を離した。チャコはもう自分が真っ赤になっている自覚がある。何しろ唇を他人に触られるなんて初めての経験だ。しかも触れてきたのは天使だ。恥ずかしくてたまらない。
「なっ、何?」
どうにか絞りだしたチャコの問いに、ジャンはきらきら星をワンフレーズだけ弾いて返した。そして、もう一度チャコの唇を叩く。あまりに予想外の出来事に思考停止しそうになる。けれど、ジャンが何かを強く望んでいるような顔をしていたから、チャコは止まりそうになる頭をどうにか回転させて考えた。その間にジャンはもう一度きらきら星を弾く。
「……あー……あ? うん? あー、うた?」
チャコが発したその言葉に、ジャンはにこにことした表情を浮かべて、もう一度チャコの唇を叩き、ギターを構えた。
「歌ってほしい?」
ジャンは早く早くと言わんばかりの表情で待っている。どうやら正解にたどり着いたようだ。
「いいよ。弾いて! 歌う!」
ジャンの演奏に合わせて、今度はもっとはっきりと歌った。ギターの音に合わせて歌うのはものすごく楽しい。
「あはは! 一緒にやると楽しいね!」
ジャンもにこにことしている。楽しんでくれたようだ。その様子にチャコも満足して微笑みを向ければ、ジャンがまたニッと笑い、今度は複雑なメロディーを奏ではじめた。
「!? すごっ……」
そのメロディーにはきらきら星が含まれている。だが、それはチャコが知っている単調なものではなくて、やたら速くて軽やかなものだったり、もの悲しかったり、跳ねていたり、しっとりしていたりといろいろな形に変化していった。
演奏が終われば、チャコは人目も憚らずに大きな拍手を送っていた。
「すごいっ! すごいすごいすごい! 何それ! 私の知ってるきらきら星じゃない! なんかキラキラしてたし、おしゃれになったり、ちょっと切なかったり、かわいかった。ジャン、すごいね!」
興奮するチャコに対し、ジャンはずっと微笑みを浮かべて、チャコのことを見つめる。そして、チャコが落ち着けば、ジャンはもう一度唇を叩いてきた。
「ねぇ、その合図違うのじゃダメなの? 恥ずかしいんだけど……」
ジャンはにこにことしたまま、また唇を叩く。
「もうわかったよ。歌う! 歌うから! そのあと、またさっきのやつ聴かせてね」
チャコが歌ってやれば、ジャンはちゃんと先ほどの変化にとんだきらきら星を演奏してくれた。とても楽しくて時間はあっという間に過ぎていく。
「日が落ちちゃったねー。今日はいつもより早かったな」
ジャンはもう帰り支度をしている。チャコも立ち上がって制服の汚れを払うと鞄を肩にかけた。
「じゃあ、またね。バイバイ!」
いつも通りジャンに手を振って別れの挨拶をする。ジャンもいつも通りすぐに背を向けて歩きだすと思っていたが、この日は軽く手を上げてから去っていった。
(ジャンが手振ってくれた! いや、振ってはないけど。でも、『じゃっ』ってやってくれた!)
チャコは嬉しくて大きな鼻歌を歌いながら帰宅していった。