「良かった……。上手くいきそうだ」
私は一人、彼の影の中でほくそ笑む。
影の中から出られないとはいえ、外の状況は彼を通じて伝わってくる。
彼と彼女、つまり過去の私なんだけれど、この様子なら大丈夫そう。
彼らは孤独ではなくなった。
菅原真希人と早坂天音は、今までのような共依存の状態ではない。
お互いが支えあっているように見える。
共に生きるにしたって、依存と支えあいは全くの別物。
「本当におめでとう。私は心からホッとしているよ。人生は、ほんのちょっとの視点の問題だけで簡単に壊れてしまうし、逆に言えば修復もできてしまう」
良かった。
それは本心だ。
そもそも私は菅原真希人を救いたくて、過去にやって来たのだ。
だけどこの胸の内につっかえるようなモヤモヤはなんだろうか?
もしかしたら過去の自分に嫉妬しているのかもしれない。
私では到達できなかった境地に彼女はいる。
いま真希人の隣りに立っている早坂天音は、私であって私ではない。
ちょっとしたことだった。
ちょっとした歯車のかみ合わせで、私がここで貴女がそっち。
羨ましい気持ちも当然ある。
無いわけがない。
嘘はつかない。
自分の気持ちに嘘はつけない。
だからこそいまここで、誰にも届かないこの影の中でなら、愚痴をこぼしてもいいよね?
「私は本当に貴女が羨ましい。貴女がとういう気持ちでいたかも、私は全てを知っている。知っていたはずだった。孤独になっていった過程も私は知っている。だけどここにきて、こんな幸せそうに笑う貴女を私は知らない! だってそれは、今のこの時間は、私の時には無かったものだから……。ズルい! ズルい! ズルい!」
私は散々愚痴る。
涙をからしながら、泣き叫ぶ。
でも、別に良いじゃないか。
この中でなら誰にも届かない。
もしかしたら真希人の夢に出てきてしまうかもしれないが、それはご愛敬。
陰口は陰で言っている分には誰も傷つかない。
「これが本当の影口かしらね?」
私はしょうもないことに気づいて笑い出す。
そうだ。
これは影口なのだ。
だったら何を言ってもいいんだ。
「でもね。私はこの展開をずっと望んでいたんだよ……。だから最後ぐらい、エールを送って締めたいじゃない?」
本当に心から望んでいた。
だからこそ私は決意したのだ。
影に閉じ込められることになったとしても。
最高の結末を迎える時、”私が消える”ということも覚悟して過去にやって来た。
私は影の世界を眺める。
そろそろお別れの時間。
視界がぐにゃりと歪む。
「もう私は用無しか……結構冷たいんだね、世界って」
今の真希人と彼女の行く先に、私は存在していない。
それが私の望んだ道だから、そうでなくては困るから。
彼らの未来の先に私は存在しないが、過去には必要だったのだ。
この未来を選択する礎として”死神の天音”という存在は必要不可欠だった。
だからこの時間までは、世界は私という矛盾を許してくれていたのだろう。
この時間までなら、私は矛盾ではない。
徐々に体に力が入らなくなっていくのを感じる。
ここから先は私が存在してはいけない世界。
存在してはいけない時間軸。
過去に死神と関わったことで発生した一つの未来。
その未来こそが、愛する真希人が歩む未来だ。
そこに私の居場所はない。
影ながら、ずっと彼の人生を追いかけることぐらいは許されないのかと期待したが、どうやらダメらしい。
こんな健気な死神の存在すら許してくれないのか……。
私は薄れゆく意識の中、世界に対して文句を垂れる。
だけどもうやめだ。
やっぱり最後に見ておきたいのは真希人の顔。
となりに貴女がいるのはやや不満だが、許してあげる。
抱き合っている二人を影の中から眺める。
至福の時。
真希人のこと頼んだよ……。
私は真希人と口づけを交わす早坂天音に願いを込める。
何様のつもりだろうか。
私の代わりに見守ってあげてなどと、どの口が言えるのか。
これから消えようというやつが……。
「さようなら……真希人。最後にちゃんと会いたかったけど、もう時間切れみた……い」
そこで意識はなくなった。
最後に桜の香りがした。
知っている香り。
菅原家とのあいだにずっと立っている桜の木の香り。
私の想いはきっと、あの桜の木が受け継いでくれるから。
私の代わりに二人を見守っていて……。
「なあ天音」
「なに?」
「ちょっと外に出ないか?」
俺は天音の体を引き剥がし、提案した。
「どこか行くの?」
天音は不思議そうな顔だ。
まあさっき帰って来たばかりでまた出かけようと言うのだから、不思議に思われても仕方ない。
「桜の木を見たいんだ」
そう思った。
心の内が軽くなってしまった。
あったものが失われたような感覚……。
天音は俺の顔をマジマジと見つめてきた。
数秒の沈黙の後、天音は大きく頷いた。
きっと俺の考えていることが伝わったのだ。
「行こうよ!」
天音と俺は急いで家を出る。
家を出て左に進めば天音の家。
そのあいだに立っている桜の木。
思えば俺と天音の行き来をずっと見守っていたのは、この木だけだった。
何年も何年も。
どんな時も。
「死神は消えちゃったんでしょう?」
天音は桜の木を見つめたまま呟いた。
やっぱり気づいてたか。
「ああ。いまはこの桜の木に想いを託したってさ」
実は俺には全て筒抜けだった。
死神の最後の嘆きも、心の内も、夢に出るなんてもんじゃない。
リアルタイムでダイレクトに、全て聞こえてきた。
伝わってきた。
「死神には悪いことをしたな」
俺は呟く。
聞こえないふりをして、全てを曝け出させてしまった。
彼女の最後の嘆きと願いは、確かに俺が受け取った。
そしてこの桜の木も受け取ってくれたと思う。
「花言葉は”あなたに微笑む”だっけか? 実に優しい桜だ」
俺は天音とともに桜の木を見上げる。
初夏の夕暮れ、オレンジ色に輝く夕日に照らされて、あるはずのない桜の花弁がきらりと光った気がした……。
私は一人、彼の影の中でほくそ笑む。
影の中から出られないとはいえ、外の状況は彼を通じて伝わってくる。
彼と彼女、つまり過去の私なんだけれど、この様子なら大丈夫そう。
彼らは孤独ではなくなった。
菅原真希人と早坂天音は、今までのような共依存の状態ではない。
お互いが支えあっているように見える。
共に生きるにしたって、依存と支えあいは全くの別物。
「本当におめでとう。私は心からホッとしているよ。人生は、ほんのちょっとの視点の問題だけで簡単に壊れてしまうし、逆に言えば修復もできてしまう」
良かった。
それは本心だ。
そもそも私は菅原真希人を救いたくて、過去にやって来たのだ。
だけどこの胸の内につっかえるようなモヤモヤはなんだろうか?
もしかしたら過去の自分に嫉妬しているのかもしれない。
私では到達できなかった境地に彼女はいる。
いま真希人の隣りに立っている早坂天音は、私であって私ではない。
ちょっとしたことだった。
ちょっとした歯車のかみ合わせで、私がここで貴女がそっち。
羨ましい気持ちも当然ある。
無いわけがない。
嘘はつかない。
自分の気持ちに嘘はつけない。
だからこそいまここで、誰にも届かないこの影の中でなら、愚痴をこぼしてもいいよね?
「私は本当に貴女が羨ましい。貴女がとういう気持ちでいたかも、私は全てを知っている。知っていたはずだった。孤独になっていった過程も私は知っている。だけどここにきて、こんな幸せそうに笑う貴女を私は知らない! だってそれは、今のこの時間は、私の時には無かったものだから……。ズルい! ズルい! ズルい!」
私は散々愚痴る。
涙をからしながら、泣き叫ぶ。
でも、別に良いじゃないか。
この中でなら誰にも届かない。
もしかしたら真希人の夢に出てきてしまうかもしれないが、それはご愛敬。
陰口は陰で言っている分には誰も傷つかない。
「これが本当の影口かしらね?」
私はしょうもないことに気づいて笑い出す。
そうだ。
これは影口なのだ。
だったら何を言ってもいいんだ。
「でもね。私はこの展開をずっと望んでいたんだよ……。だから最後ぐらい、エールを送って締めたいじゃない?」
本当に心から望んでいた。
だからこそ私は決意したのだ。
影に閉じ込められることになったとしても。
最高の結末を迎える時、”私が消える”ということも覚悟して過去にやって来た。
私は影の世界を眺める。
そろそろお別れの時間。
視界がぐにゃりと歪む。
「もう私は用無しか……結構冷たいんだね、世界って」
今の真希人と彼女の行く先に、私は存在していない。
それが私の望んだ道だから、そうでなくては困るから。
彼らの未来の先に私は存在しないが、過去には必要だったのだ。
この未来を選択する礎として”死神の天音”という存在は必要不可欠だった。
だからこの時間までは、世界は私という矛盾を許してくれていたのだろう。
この時間までなら、私は矛盾ではない。
徐々に体に力が入らなくなっていくのを感じる。
ここから先は私が存在してはいけない世界。
存在してはいけない時間軸。
過去に死神と関わったことで発生した一つの未来。
その未来こそが、愛する真希人が歩む未来だ。
そこに私の居場所はない。
影ながら、ずっと彼の人生を追いかけることぐらいは許されないのかと期待したが、どうやらダメらしい。
こんな健気な死神の存在すら許してくれないのか……。
私は薄れゆく意識の中、世界に対して文句を垂れる。
だけどもうやめだ。
やっぱり最後に見ておきたいのは真希人の顔。
となりに貴女がいるのはやや不満だが、許してあげる。
抱き合っている二人を影の中から眺める。
至福の時。
真希人のこと頼んだよ……。
私は真希人と口づけを交わす早坂天音に願いを込める。
何様のつもりだろうか。
私の代わりに見守ってあげてなどと、どの口が言えるのか。
これから消えようというやつが……。
「さようなら……真希人。最後にちゃんと会いたかったけど、もう時間切れみた……い」
そこで意識はなくなった。
最後に桜の香りがした。
知っている香り。
菅原家とのあいだにずっと立っている桜の木の香り。
私の想いはきっと、あの桜の木が受け継いでくれるから。
私の代わりに二人を見守っていて……。
「なあ天音」
「なに?」
「ちょっと外に出ないか?」
俺は天音の体を引き剥がし、提案した。
「どこか行くの?」
天音は不思議そうな顔だ。
まあさっき帰って来たばかりでまた出かけようと言うのだから、不思議に思われても仕方ない。
「桜の木を見たいんだ」
そう思った。
心の内が軽くなってしまった。
あったものが失われたような感覚……。
天音は俺の顔をマジマジと見つめてきた。
数秒の沈黙の後、天音は大きく頷いた。
きっと俺の考えていることが伝わったのだ。
「行こうよ!」
天音と俺は急いで家を出る。
家を出て左に進めば天音の家。
そのあいだに立っている桜の木。
思えば俺と天音の行き来をずっと見守っていたのは、この木だけだった。
何年も何年も。
どんな時も。
「死神は消えちゃったんでしょう?」
天音は桜の木を見つめたまま呟いた。
やっぱり気づいてたか。
「ああ。いまはこの桜の木に想いを託したってさ」
実は俺には全て筒抜けだった。
死神の最後の嘆きも、心の内も、夢に出るなんてもんじゃない。
リアルタイムでダイレクトに、全て聞こえてきた。
伝わってきた。
「死神には悪いことをしたな」
俺は呟く。
聞こえないふりをして、全てを曝け出させてしまった。
彼女の最後の嘆きと願いは、確かに俺が受け取った。
そしてこの桜の木も受け取ってくれたと思う。
「花言葉は”あなたに微笑む”だっけか? 実に優しい桜だ」
俺は天音とともに桜の木を見上げる。
初夏の夕暮れ、オレンジ色に輝く夕日に照らされて、あるはずのない桜の花弁がきらりと光った気がした……。