「君のお父さん、菅原琴雅。若いころから並々ならぬ音楽の才能に溢れ、それでいて努力を怠らなかった天才。稀代のピアニスト、世界的音楽家……僕は常にそれを横で見ていた。そして彼の周囲に、どんどんと人が増えていく。著名な音楽家や富豪、芸能関係等々、実に多彩な人脈が構築されていった。彼の周りにはいつも人が溢れ輝いていた」
清水先生の語る親父はまさに俺が追いかけていた存在そのもので、懐かしさすらある。
こうなりたくて、俺はピアノを始めたのだ。
「だがそれと同時に、周囲の人間が増えるのと反比例するように、彼が心から信頼できる人間はいなくなっていった。おかしな話だ。集まってきた人の数だけ、彼は孤独になっていった。その理由は、僕より君の方が詳しいだろう?」
先生は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見る。
先生の言う通り、俺には容易に想像できる。
誰もかれもが利害で寄ってくる。
弱みを見せればそのまま食われるようなヒリついたような感覚。
表舞台特有のあれだ。
そして近しい者たちとの別れだ。
一般人である友人たちとは物の価値観や話が噛み合わなくなり、時間もないせいでどんどん疎遠になっていく。
まさしく今の俺そのもの。
「僕は言ったよね? 君のお父さんの死因が分かると。君のお父さんの病気は医者では分からない。仕方ないと思う、琴雅が死の間際口走っていたのを聞いていなければ、誰だって分かりやしないんだ」
親父が死ぬ間際に口走っていたこと……?
俺はその時ちょうど学校に行ってて知らない。
その場にいなかった。
親父の訃報で、俺は病院に駆けつけたのだ。
「親父は、なんて言ってたのですか?」
俺は尋ねる。
聞くのが怖い気持ちもあったが、ここは逃げるべきではないと思った。
なぜなら、今の俺の現状を打破してくれそうだったから……。
「死神が見える。俺の死因は孤独死だ。孤独な人間には死神がやって来るのかって。そう言って息を引き取った」
俺は絶句する。
親父の死因はつまり未来の俺と同じ。
世界の呪い、言うなれば孤独死。
まさか親子二代にわたってそんな死に方とは……。
母さんも大変だなと、他人事のように思ってしまった。
「琴雅は意識があった。そして言っていた、体の力が入らないと。そして最後の最後、琴雅は僕に伝えるためにわざと口にしていたと思う」
当時を思い出したのか、清水先生の目元は潤んでいた。
夕焼けが差し込む病室で、俺と先生は黙ってしまった。
お互いに言葉が見つからないのかも知れない。
なんて言ったらいいのか、言葉を探しているような、そんな時間……。
「そうか……親父はそうやって死んだのか」
暫くののち、俺はポツリと呟く。
ギリギリ先生に聞こえる程度の声量で口にした。
確かめるように、噛みしめるように。
「真希人君……」
「ありがとうございました、先生。ちょうど迷っていたんです。どうしようかって。今の俺と天音の状態をどうしようかって……」
俺は正直に話した。
今朝からのこの話は、俺の頭に混乱をもたらしつつも、覚悟を決めさせた。
どっちみち逃げられないのだ。
あの親父でさえ世界の呪いからは逃れられなかった。
人からは逃れられない。
他人からは逃れられない。
人は独りでは生きていけない。
「君が入院した時、もしやとは思った。だけどまさかとも思った。しかし今日早坂さんまでもが倒れてしまった時、僕は確信した。琴雅と同じ症状に違いないって。だから今日君にこの話をした」
先生は一度考え込み、やがて再び口を開く。
「もしかしたら琴雅の死に際の言葉は、僕を通して君に語っていたのではないかと思うんだ」
「どういうことですか?」
俺は先生に聞く。
親父の遺言のようなことだろうか?
「たぶん琴雅は危惧したんだと思う。自分と同じ道を歩むであろう真希人君が、同じ結末を迎えないように警告したかったんじゃないかな。なのに僕はついさっきまで、彼の考えに気付かなかった……もっと真剣に考えるべきだった」
清水先生は重苦しい空気を纏い、後悔を述べる。
だけど俺は、先生は悪くないと思う。
実際に体験しないと、先生から伝えられていたとしても信じていなかっただろう。
相手にしていなかっただろう。
下手したら真っ先に関係を切っていたかもしれない。
「先生……。話してくれてありがとうございました。親父の遺言を五年越しに聞けました。それに今の俺と天音の状況を理解してくれる人が、一人でもいるだけで本当に心強いです。俺と天音しか理解できないと、俺たちの方から周囲に壁を張っていたので、先生が知ってくれているというのが分かっただけでも、気持ちが楽になりました」
俺は安堵から泣きそうになる。
だけど泣いている場合じゃない。
俺は天音を救い、俺自身を救わなければならない。
「先生、天音の部屋は分かりますか?」
「ああ、隣りだよ。病院側が早坂さんを憶えていたらしくて、隣りにしてくれた」
それを聞いてちょっと笑ってしまった。
なんだまたお隣さんか。
どんだけ一緒にいたいんだ俺たちは……。
「行くのかい?」
立ち上がろうとする俺を見て、先生は尋ねる。
「ええ、ちょっと様子を見に行きます。先生はどうしますか?」
「僕は遠慮しようかな。君に任せる。学校の方は、僕に任せなさい」
そう言って清水先生は席を立つ。
「本当にありがとうございました」
俺は病室を出ていく先生に頭を下げる。
本当に助かった。
救われた気持ちだ。
天音をここまで連れてきてくれたのもそうだし、なにより俺たちの事情を察して行動してくれた。
それが今の俺たちにとってなによりの助けとなる。
「じゃあ俺は俺のやるべきことをするか」
俺はまだふらつく足元に喝を入れ、ゆっくりと歩き出す。
向かうはまたもお隣さんになった天音の元へ。
行って今朝のことと親父のことを説明しなくちゃ……。
清水先生の語る親父はまさに俺が追いかけていた存在そのもので、懐かしさすらある。
こうなりたくて、俺はピアノを始めたのだ。
「だがそれと同時に、周囲の人間が増えるのと反比例するように、彼が心から信頼できる人間はいなくなっていった。おかしな話だ。集まってきた人の数だけ、彼は孤独になっていった。その理由は、僕より君の方が詳しいだろう?」
先生は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見る。
先生の言う通り、俺には容易に想像できる。
誰もかれもが利害で寄ってくる。
弱みを見せればそのまま食われるようなヒリついたような感覚。
表舞台特有のあれだ。
そして近しい者たちとの別れだ。
一般人である友人たちとは物の価値観や話が噛み合わなくなり、時間もないせいでどんどん疎遠になっていく。
まさしく今の俺そのもの。
「僕は言ったよね? 君のお父さんの死因が分かると。君のお父さんの病気は医者では分からない。仕方ないと思う、琴雅が死の間際口走っていたのを聞いていなければ、誰だって分かりやしないんだ」
親父が死ぬ間際に口走っていたこと……?
俺はその時ちょうど学校に行ってて知らない。
その場にいなかった。
親父の訃報で、俺は病院に駆けつけたのだ。
「親父は、なんて言ってたのですか?」
俺は尋ねる。
聞くのが怖い気持ちもあったが、ここは逃げるべきではないと思った。
なぜなら、今の俺の現状を打破してくれそうだったから……。
「死神が見える。俺の死因は孤独死だ。孤独な人間には死神がやって来るのかって。そう言って息を引き取った」
俺は絶句する。
親父の死因はつまり未来の俺と同じ。
世界の呪い、言うなれば孤独死。
まさか親子二代にわたってそんな死に方とは……。
母さんも大変だなと、他人事のように思ってしまった。
「琴雅は意識があった。そして言っていた、体の力が入らないと。そして最後の最後、琴雅は僕に伝えるためにわざと口にしていたと思う」
当時を思い出したのか、清水先生の目元は潤んでいた。
夕焼けが差し込む病室で、俺と先生は黙ってしまった。
お互いに言葉が見つからないのかも知れない。
なんて言ったらいいのか、言葉を探しているような、そんな時間……。
「そうか……親父はそうやって死んだのか」
暫くののち、俺はポツリと呟く。
ギリギリ先生に聞こえる程度の声量で口にした。
確かめるように、噛みしめるように。
「真希人君……」
「ありがとうございました、先生。ちょうど迷っていたんです。どうしようかって。今の俺と天音の状態をどうしようかって……」
俺は正直に話した。
今朝からのこの話は、俺の頭に混乱をもたらしつつも、覚悟を決めさせた。
どっちみち逃げられないのだ。
あの親父でさえ世界の呪いからは逃れられなかった。
人からは逃れられない。
他人からは逃れられない。
人は独りでは生きていけない。
「君が入院した時、もしやとは思った。だけどまさかとも思った。しかし今日早坂さんまでもが倒れてしまった時、僕は確信した。琴雅と同じ症状に違いないって。だから今日君にこの話をした」
先生は一度考え込み、やがて再び口を開く。
「もしかしたら琴雅の死に際の言葉は、僕を通して君に語っていたのではないかと思うんだ」
「どういうことですか?」
俺は先生に聞く。
親父の遺言のようなことだろうか?
「たぶん琴雅は危惧したんだと思う。自分と同じ道を歩むであろう真希人君が、同じ結末を迎えないように警告したかったんじゃないかな。なのに僕はついさっきまで、彼の考えに気付かなかった……もっと真剣に考えるべきだった」
清水先生は重苦しい空気を纏い、後悔を述べる。
だけど俺は、先生は悪くないと思う。
実際に体験しないと、先生から伝えられていたとしても信じていなかっただろう。
相手にしていなかっただろう。
下手したら真っ先に関係を切っていたかもしれない。
「先生……。話してくれてありがとうございました。親父の遺言を五年越しに聞けました。それに今の俺と天音の状況を理解してくれる人が、一人でもいるだけで本当に心強いです。俺と天音しか理解できないと、俺たちの方から周囲に壁を張っていたので、先生が知ってくれているというのが分かっただけでも、気持ちが楽になりました」
俺は安堵から泣きそうになる。
だけど泣いている場合じゃない。
俺は天音を救い、俺自身を救わなければならない。
「先生、天音の部屋は分かりますか?」
「ああ、隣りだよ。病院側が早坂さんを憶えていたらしくて、隣りにしてくれた」
それを聞いてちょっと笑ってしまった。
なんだまたお隣さんか。
どんだけ一緒にいたいんだ俺たちは……。
「行くのかい?」
立ち上がろうとする俺を見て、先生は尋ねる。
「ええ、ちょっと様子を見に行きます。先生はどうしますか?」
「僕は遠慮しようかな。君に任せる。学校の方は、僕に任せなさい」
そう言って清水先生は席を立つ。
「本当にありがとうございました」
俺は病室を出ていく先生に頭を下げる。
本当に助かった。
救われた気持ちだ。
天音をここまで連れてきてくれたのもそうだし、なにより俺たちの事情を察して行動してくれた。
それが今の俺たちにとってなによりの助けとなる。
「じゃあ俺は俺のやるべきことをするか」
俺はまだふらつく足元に喝を入れ、ゆっくりと歩き出す。
向かうはまたもお隣さんになった天音の元へ。
行って今朝のことと親父のことを説明しなくちゃ……。