「それは……たぶん混ざっちゃったんだと思う」

 心底申し訳なさそうに、死神は答える。
 混ざる……まさか呪いが?

「前例を知らないから確かなことは言えないけど、孤独になった人間を衰弱させる世界の呪いと、私の才能を奪う呪いが重なってしまった。だから心の距離がどうしようもなく離れてしまった者の声が、聞こえなくなっているんだと思う」

 死神は俺を抱きしめながら答える。
 その声はいまだ震えている。
 肩口に感じる体温が、彼女がまだ泣いていることを知らせてくれる。
 
「そうか……」

 これで謎は全て解けた。
 ここ三ヶ月間の謎は解けた。
 しかし分かったところでどうしようもない。
 俺から音楽の才能は失われたままだ。
 これが戻らないことには、元の俺には到底戻れない。
 いや、戻れたところで死ぬ運命は変わらないのか。

「これからどうすれば良いと思う?」

 俺は素直に死神に尋ねる。
 
「なんで……?」

「何が?」

「なんで怒らないの? なんで私を殺そうとしないの? いまこのまま私の首を締めれば殺せるんだよ? 私はなにも抵抗しない。それぐらいのことを私はしてしまった……」

 死神は俺を手放し、両手を広げる。
 何も抵抗しないポーズ、覚悟。

 なぜ怒らないのか?
 そうあらためて問われると答えがない。
 心のどこかには、彼女に対しての怒りはきっとある。
 俺の音楽の才能を奪いやがって! っと思う気持ちはきっとある。
 それが善意からの行動だとしても、仮に音楽の才能があろうがなかろうが、近い将来に俺は衰弱して死を迎えるとしても、その想いはどこかにあるだろう。
 
 理屈じゃない気持ちはどこかにある。
 
 だけど恨む気持ちは不思議とない。
 絶対的に恨んでも良い状況なのに、俺にその感情はない。
 なんでだろう?
 目の前の死神が、俺よりも弱って見えるからだろうか?
 それともどこか懐かしい気持ちにさせてくれるからだろうか?

「死神を殺しても仕方ないだろ? それに君を殺しても、もう俺の才能は返ってこない。あのメロディーラインは戻ってこない。音符の煌めきも、小気味良い鍵盤の感触も、スポットライトの興奮も、その全ては忘却の彼方。決して戻ってこない。だからかな? もう怒るという気力さえ俺には残っていないのかも知れない……」

 俺は自身の抱く、ぐちゃぐちゃな感情をそのままぶつけた。
 答えにはなっていないだろう。
 だけど気持ちなんて、感情なんて、一言で伝えられるほどシンプルなものではないだろう?

「そう……なの?」

「そうさ。でもそれ以上に気になっているのは、君は一体何者なのかということさ」

 俺は許す許さないよりも、もっと気になっていることがある。
 それがこの死神の正体だ。
 この死神は未来にて俺と初めて会った際、何故か俺の半生の記憶を持っていたと言っていた。
 なんとなく聞き入れはしたが、そのまま流すわけにはいかない。
 
「私の正体?」

「ああ。君が死神なのは分かったとして、何故俺の半生の記憶を持っている? 死神にはそういう能力でもあるのか?」

 死神自体がそういう存在なら分かる。
 頷ける。
 だけどさっきの彼女の言い方だとそうではないだろう。
 
「死神にそんな能力はない……私も分からないの、私が何者なのか」

 死神は白状する。
 死神は死神でしかないと言われるかと思ったが、そうではないらしい。
 
「死神になる前の記憶はあるのか? それとも死神は死神として生まれてくるのか?」

 世界の仕組みとしての存在なら後者だろう。
 死神という存在として世に現れる。
 だけど彼女を見ていて、とてもそうだとは思えない。
 ただの世界の仕組みの一つだと思えなかった。

「私が死神になる前の記憶……分からない。だけど人間ではあったと思う、それだけは根拠も無くそう思う」

 死神はそう言った。
 元死神は元人間であると言った。
 そして半生にわたる俺の記憶を持っていると。
 そうなるといよいよ彼女が何者なのかが見えてくる。
 正直信じられないが、そうとしか思えない。
 さっき彼女に抱かれた時、包まれた時、もしかしてと思ったのだ。あの桜の香りは、俺たち共通の……。

「もしかしてお前、天音か?」

 俺は言い当てる。
 これには自信があるのだ。

「天音……私が死神になる前の人間だった頃の私?」

 死神はキョトンとしている。
 こうしてみるとますます天音に似ている気がする。

「大体さ、不思議だったんだよ。どうして天音の目に映っていたのかがさ」

 あの日の演奏会の時、誰一人死神の存在に気がつかなかったのに、天音だけが気づいていた、見えていた。
 そんなの偶然で片づけられるわけがない。
 天音の目に死神が見えるのには、何かしらの理由があるはずだ。
 天音が元から霊感があるとかならまだ分かるが、彼女からそういった類いの話は聞いたことがない。
 
「確かにあの時、どうして彼女と目が合ったのか不思議ではありました。そっか……彼女は私だったんだ」

 死神はどこか納得の表情で頷く。
 ようやく彼女の目から涙が消えていた。
 
 彼女が自覚した瞬間、まるで鏡が割れたように、死神の容姿が変貌する。
 青白い肌は見慣れた色へ変化し、黒く長い髪は肩口で切り揃えられた茶髪へと変わる。
 顔つきはやや大人びているが、それでもその顔は天音だ。
 早坂天音だ。
 俺の幼馴染みで、誰よりも俺を理解してくれる存在。
 なによりも、誰よりも大切な存在。
 いつの間にか学校では、付き合っていることになっていた俺の彼女……。

「やっぱり天音か」

 俺はホッとした表情で、元死神である天音を見つめる。

「真希人……」

 潤んだ彼女の瞳に吸い込まれそうになるが、俺は自分の衝動を抑えて冷静になる。
 
 一つ重要な問題がある。
 死神の正体が解けたのは喜ばしいことだが、つまりこのままだと天音は……。

「天音、君が死神になってしまったということは、近い将来、それこそ俺が衰弱してしまう前に、君は死んでしまうのか?」

 俺は震える声で問いかけた。

 だってそうなってしまうだろう?
 俺の半生を知っている死神が天音なら、俺の死に際に立っていた彼女はすでに死神だったということになる。
 なってしまう。

 世界から死を願われている俺よりも早く、最愛の早坂天音は死んでしまう。
 そして彼女は、俺を死神の姿で出迎えるのだ……。