「ここはどこだ?」

 俺はいまどこにいる?
 辺りは暗く寒い。
 俺は病院のベッドの上にいたはずだ。
 昨日そこで眠りについたのだから、目覚めた時にそこにいないのはおかしい。

 俺は暗闇の中立ち上がる。
 歩き出す。
 光が全く見えないこの空間で、何かを探すように歩き続ける。

「普通に歩けてる……」

 俺は自身の異変に気がついた。
 昨日までまともに歩くことすらできなかったのに、一体どうなっている?
 それにやっぱりここは変だ。

 どこまでも真っ暗で寒い空間。
 現実にこんな場所を俺は知らない。

「もしかして夢の中なのか?」

 俺の声は反響する。
 他に何もない部屋のように、俺の放った声は見事に反響した。

 夢の中であろうと、この夢からの脱出手段を持っていない俺は、とりあえず歩き続ける。
 そうやって歩き続けていくうちに、どこからか声がする。
 いや、声というよりもこれは……。

「誰かが泣いてる?」

 しかもどこかで聞いたことがあるような、そんなすすり泣く声。
 
 一体誰だ?
 俺の夢にまで出てきて泣いている者は?
 そこまで俺にとって重大な人物なのだろうか?

 次々と浮かび上がる疑問を押さえつけ、俺はすすり泣く声が聞こえる方に向かって走っていった。



 長々と走り続けた気がする。
 やはり夢の中。
 いまの俺が走れるということは、そういうことだろう。
 何分間走っているかも分からないが、疲れもしないし息も乱れない。
 どれだけ進んでも暗さや寒さは一緒。
 これが俺の夢だとするならば、随分と恐ろしい夢だ。

「君か? さっきからずっと泣いているのは」

 俺の目の前に綺麗な女性がしゃがみ込んで泣いている。
 
 長くのばされた黒い髪に、フード付きの白と黒のツートンカラーの死装束。
 青白い顔には、血の涙が滴る。
 
 恐ろしいとは思う。
 血の涙を流す人を、俺はいままで見たことがない。
 格好からこの場にいるという異常性から、どうしても彼女を人間とは思えなかった。
 そうなると何者か?
 人間ではないのなら、悪魔か怪物? それとも……。

「アンタ、死神か?」

 俺は声をかける。
 死神しかない。
 イメージ通りとはいかないが、彼女が死神であるならばここがどこかは見当がつく。
 だって天音が言っていたではないか。
 最後の演奏会の時、俺を大鎌で斬ったあと、死神は”俺の影”に吸い込まれていったと。
 ならばここは夢とは言いつつも、俺の影の中だと思う。
 ちょうど真っ暗だし、影っぽさもある。
 
「…………」

 死神は何も言わずに顔を上げる。
 血の涙が綺麗な輪郭を伝って、彼女の死装束に色を付けた。
 
 その顔を見て、俺は息を飲む。
 驚いたというより、見惚れてしまった。
 あまりの美しさに、嘘のように整った顔。
 色白を超えて青白く輝く相貌。
 そして何よりも……似ていた。
 俺にとって一番大事なアイツに似ていた。

「……真希人?」

 死神は長い長い沈黙の後、俺を見上げたまま目を見開き、初めて声にした。
 その声はどこか震えていて、信じられないものを見るように目を見開く。

「君は死神かい?」

 俺は再度尋ねる。
 
「私は、死神……かな?」

 死神はどこか曖昧な返事をする。
 
「まさか君と話せるなんて思ってもみなかったな……」

 死神は一度深呼吸をして、話し出す。
 
「私は元死神と言った方が正しいかな?」

「元死神?」

 俺は聞き返す。
 死神に元とかあるのか?
 現役とか引退とかあるのだろうか?

「信じてもらえないと思うけど、私の話を聞いてくれる?」

 死神は恐ろしいほど整った顔を俺に向け、よろよろと立ち上がる。

 俺は黙って頷く。
 ここは彼女の話を聞くしかない。
 というより聞いてみたい。
 俺だって彼女に聞いてみたいことはたくさんある。

「まずはこの星の仕組みについて話そうか。この星に許された命に、限りがあるのは知ってる?」

 俺は首を横に振る。
 そんな話知るわけがない。

「命の数は有限、だからこの命の価値が薄くなった人間に向けて、星は、世界は、死神を差し向ける。指定された人間から命を刈り取るのが私たち死神の役目」

「命の価値?」

「そう。分かりやすく言うと、歳を重ねて先が長くない人間」

「リミットが近いから価値が薄いと?」

「そうなる。そうして連れて行かれた人間を、人は寿命と呼ぶの」

 歳を重ね、先が短くなるから命の価値は若い人より劣る。
 だから死神を差し向け、先がない人間から命を刈り取る。
 おそろしい仕組みだが、これを寿命と呼ぶのなら理解はできる。

「でもそれだけじゃないの。もっと若い人間から命を刈り取る時もあるんだ」

 さらりと恐ろしいことを口にする。
 
「それって……」

「若くして命を刈り取られる条件は一つだけ……世界は孤立した人間から順番に命を奪う」

 孤立した人間から命を奪う。
 誰からも必要とされない人間から命を奪う。
 まるで野生動物の世界みたいじゃないか。

 野生の動物だって、群れていてもそこから孤立した個体から狙われる。

「そうして私は派遣された。近い未来でね」

 死神はそう言った。
 近い未来に、死神は派遣されたとそう言った。
 誰かの命を奪うために遣わされたと。

「じゃあどうしてここにいるんだ?」

 俺は尋ねる。
 そもそも未来の話なら、どうしてここにいる?
 
「私の派遣先は君なんだよ、菅原真希人君。君は近い将来立ち上がれなくなる。衰弱する。世界の呪いが君を蝕む。言ったでしょ? 世界は孤独となった人間から命を奪う。そのために、執行人を派遣する」

 衝撃だった。
 聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
 この真っ暗な空間の中、立ち尽くすしかなかった。

 頭がこんがらがっている。
 混乱している。
 彼女の話をまとめると、俺は近い将来孤独であるが故に衰弱し、彼女が派遣されて命を剥奪されてしまうということだ。

 これで合点がいった。
 どうして俺がいま弱っているのかが分かった。
 これは病気なんかではない。
 これは世界の呪いだ。
 呪いと呼んで差し支えない。
 俺が人と距離を取り過ぎたがために、世界からいらない判定をくらってしまった。

「……分かった。それは理解した。君が俺の命を刈り取るために派遣されるのは分かった。けれどそれは未来のことだろう? どうして今、君はここにいる? というよりここはどこなんだい?」

 俺は彼女に尋ねる。
 だけど返事を待つことなく、俺は一つの結論に到達する。

 俺が死ぬという未来は変わらない……。