「相変わらず暗いよ! 元気出していこう!」
天音は朝っぱらからうるさい。
俺がピアノの音を失ってから、もう三ヶ月が過ぎた。
すっかり季節も進み、梅雨も過ぎ去り、夏に突入し始めていた。
「良いだろ別に。俺はこのまま静かに過ごすんだから」
この三ヶ月のあいだで、俺を取り巻く環境は大きく変化した。
ピアノの音が聞こえなくなってから、芸能関係の仕事も減り、当然ながら演奏会も出来なくなっていた。
当時はまだ体が憶えていたから演奏できていたが、残酷なもので三ヶ月もピアノを弾いていないと、当然ズレが生じる。
それでもそこら辺のピアニストよりは上手く弾ける自信はあるが、残念ながら当時の俺の演奏と比べると劣っているらしい。
試しに弾いてみたが、天音に言わせると微妙に違うらしい。
コイツが言うのなら間違いはないのだろう。
「私は心配だけどな~真希人ってコミュ障じゃん?」
朝っぱらから実に失礼な奴だと思う。
俺がコミュ障?
寝言は寝て言え。
「俺のどこがコミュ障なんだ? この歳で普通に芸能界で生きていたんだぞ?」
自分で言ってて恥ずかしくなる。
たぶん彼女が言いたいのはそういうことじゃない。
「それはお金が絡んでるからでしょう? ポジショントークよそんなの! そうじゃなくて、何も利害関係がない状態だと真希人はコミュ障なの! これは決定事項です!」
天音はいつになく強気に決めつけてきた。
普段の自分の態度を思い返してみるが、クラスに馴染んでいる様子は見られない。
話しかけられることも無ければ、こちらから話しかけることもない。
仕事がほとんど無くなったせいで、普通の学生並みに学校に通っているにも関わらずだ。
ああ……これはコミュ障かもしれない。
「天音、お前嬉しそうだな」
なぜか楽しそうなのが不思議だ。
コミュ障は必ずしも喜ばしいことではない。
むしろ欠点であり、治すべきポイントだろう。
「だってようやく真希人に勝てる要素が出来たんだもん!」
天音のテンションの高さはそこに要因があったらしい。
そんな程度の低いことで喜ばないで欲しい。
「じゃあこのままコミュ障のままの方が良さそうだな」
俺は皮肉っぽく笑う。
弱った心に鞭を打って作り出した、精一杯の強がり。
「それはダメだよ」
天音は急に真顔になる。
声のトーンも下がる。
夏の日差しの中、冷水でもぶっかけられたような、そんな声。
「なんだよ急に……どうした?」
俺は態度が急変した天音に戸惑う。
「前にも言ったけど、人は独りでは生きていけないんだよ?」
「そんなこと分かって……」
「うんうん。真希人は分かってない。分かってたら、今の状態のままでいるはずがない」
天音は断定する。
俺の言葉を遮ってまで言い切った。
しかし言い切るだけの根拠はあるのだ。
理屈では分かっていた。
だけど納得して行動しようとしていなかった。
「……そう、だな」
たぶんずっと心配させていたんだ。
天音はいつも俺の味方だった。
いつも俺のそばにいて、周りの人間が離れていった時も変わらずにいてくれた。
周囲の態度が徐々に変化していった時も、彼女は常に一定だった。
天才ピアニストとしてではなく、菅原真希人として接してくれた。
「ごめんね、責める感じになっちゃって。だけど本当に心配してるんだよ?」
天音は申し訳なさそうに微笑みながら、俺の顔を覗き込む。
その顔を見てホッとする自分がいた。
「分かってるさ。ありがとう」
「どういたしまして」
俺と天音は笑いあう。
微笑みあう。
だけど俺の心の中は少し違っていた。
分かっているのと納得するのは、少し違うのだ。
どうしても、先に距離を空けてきたのはアイツらじゃないかと考える自分がいる。
ダメな考えだと分かっていても、変えられない自分がいる。
これが菅原真希人の本性なのだろう。
変えられない人格というやつなのだろう。
俺は根っからの孤独体質だ。
俺たちが学校に到着すると、何やら教室が騒がしい。
しかも嫌なことに、俺たちが入った瞬間静かになった。
こういう場合、大抵入ってきた者の話題だったりするのだ。
それも聞かれたくないような……。
「何か……あったの?」
天音が俺の代わりに尋ねる。
もしかしたら天音のことかも知れないが、今までの経験から言ってどうせ俺のことだろう。
しかしなんだろうか?
あまり心当たりがない。
いまさら騒ぎになるようなニュースなど持ち合わせていない。
「これって……本当なの?」
クラスの女子がそう言って携帯の画面を俺たちに見せてくる。
俺と天音が画面を覗き込むと、そこにはネットニュースが映し出されていた。
そして記事のタイトルを見て肝が冷えた。
横を見ると、天音も同じリアクションをしている。
当然だろう?
だってまさかニュースになるなんて思わない。
「なんでこれがニュースに?」
俺は質問に答えるでもなく呟く。
記事のタイトルにはこう記載されている。
”天才ピアニストを襲った悲劇”
このタイトルだけで、嫌な記事であることは確定だ。
昔だったら親父が死んだ直後に、こんな感じの記事が溢れた。
天才ピアニストが悲劇の主人公ルートを歩む姿は、まさに格好のエサだった。
こんなに分かりやすく同情と数字を稼げる話はない。
そう、当時だったらあり得た記事だ。
だけどこれは違う。
今さらそんな昔のことを記事にするわけがない。
となると中身は決まっている。
俺が最近テレビの仕事はもちろん、音楽活動もしなくなっていることへの言及だ。
「ちょっと見せて」
俺は女生徒から携帯を奪い取ると、記事の一行目に目を通す。
目を通して頭が一瞬真っ白になった。
一行目には記事のタイトルが回収されていた。
なんの工夫もなく、伏線もなく、一行目でタイトル回収されている。
「どこから漏れた?」
記事には俺の耳のことが書かれていた。
天才ピアニストなのに、その強みであるピアノの音を奪われたのだと、記事には書いてある。
そのせいで演奏は出来ず、そのせいでテレビ出演は減っていると指摘されていた。
固まった俺から携帯を奪って記事を読んだ天音も、俺と同じ反応だった。
そして俺たちの反応を見て、クラスのみんなも事実だと理解したのか、ざわつきだした。
みんなこそこそと何かを話すばかりで、俺になんて言葉を投げかけて良いか分からない感じだった。
まあ仕方がない。
俺も逆の立場だったら何も言えないだろう。
教室のざわつきは収まる様子がない。
俺は黙ってそのまま自分の席に座る。
彼らから何も言えないように、俺からだって何も言えない。
一言認めれば良いのかも知れないが、俺自身まだ気持ちの整理がついていない。
なんて言えばいいのか分からなかった。
しばらくすると、いつも通り先生がやって来て教室が静かになる。
普段通りの何気ない日常が強制的にスタートした。
天音は朝っぱらからうるさい。
俺がピアノの音を失ってから、もう三ヶ月が過ぎた。
すっかり季節も進み、梅雨も過ぎ去り、夏に突入し始めていた。
「良いだろ別に。俺はこのまま静かに過ごすんだから」
この三ヶ月のあいだで、俺を取り巻く環境は大きく変化した。
ピアノの音が聞こえなくなってから、芸能関係の仕事も減り、当然ながら演奏会も出来なくなっていた。
当時はまだ体が憶えていたから演奏できていたが、残酷なもので三ヶ月もピアノを弾いていないと、当然ズレが生じる。
それでもそこら辺のピアニストよりは上手く弾ける自信はあるが、残念ながら当時の俺の演奏と比べると劣っているらしい。
試しに弾いてみたが、天音に言わせると微妙に違うらしい。
コイツが言うのなら間違いはないのだろう。
「私は心配だけどな~真希人ってコミュ障じゃん?」
朝っぱらから実に失礼な奴だと思う。
俺がコミュ障?
寝言は寝て言え。
「俺のどこがコミュ障なんだ? この歳で普通に芸能界で生きていたんだぞ?」
自分で言ってて恥ずかしくなる。
たぶん彼女が言いたいのはそういうことじゃない。
「それはお金が絡んでるからでしょう? ポジショントークよそんなの! そうじゃなくて、何も利害関係がない状態だと真希人はコミュ障なの! これは決定事項です!」
天音はいつになく強気に決めつけてきた。
普段の自分の態度を思い返してみるが、クラスに馴染んでいる様子は見られない。
話しかけられることも無ければ、こちらから話しかけることもない。
仕事がほとんど無くなったせいで、普通の学生並みに学校に通っているにも関わらずだ。
ああ……これはコミュ障かもしれない。
「天音、お前嬉しそうだな」
なぜか楽しそうなのが不思議だ。
コミュ障は必ずしも喜ばしいことではない。
むしろ欠点であり、治すべきポイントだろう。
「だってようやく真希人に勝てる要素が出来たんだもん!」
天音のテンションの高さはそこに要因があったらしい。
そんな程度の低いことで喜ばないで欲しい。
「じゃあこのままコミュ障のままの方が良さそうだな」
俺は皮肉っぽく笑う。
弱った心に鞭を打って作り出した、精一杯の強がり。
「それはダメだよ」
天音は急に真顔になる。
声のトーンも下がる。
夏の日差しの中、冷水でもぶっかけられたような、そんな声。
「なんだよ急に……どうした?」
俺は態度が急変した天音に戸惑う。
「前にも言ったけど、人は独りでは生きていけないんだよ?」
「そんなこと分かって……」
「うんうん。真希人は分かってない。分かってたら、今の状態のままでいるはずがない」
天音は断定する。
俺の言葉を遮ってまで言い切った。
しかし言い切るだけの根拠はあるのだ。
理屈では分かっていた。
だけど納得して行動しようとしていなかった。
「……そう、だな」
たぶんずっと心配させていたんだ。
天音はいつも俺の味方だった。
いつも俺のそばにいて、周りの人間が離れていった時も変わらずにいてくれた。
周囲の態度が徐々に変化していった時も、彼女は常に一定だった。
天才ピアニストとしてではなく、菅原真希人として接してくれた。
「ごめんね、責める感じになっちゃって。だけど本当に心配してるんだよ?」
天音は申し訳なさそうに微笑みながら、俺の顔を覗き込む。
その顔を見てホッとする自分がいた。
「分かってるさ。ありがとう」
「どういたしまして」
俺と天音は笑いあう。
微笑みあう。
だけど俺の心の中は少し違っていた。
分かっているのと納得するのは、少し違うのだ。
どうしても、先に距離を空けてきたのはアイツらじゃないかと考える自分がいる。
ダメな考えだと分かっていても、変えられない自分がいる。
これが菅原真希人の本性なのだろう。
変えられない人格というやつなのだろう。
俺は根っからの孤独体質だ。
俺たちが学校に到着すると、何やら教室が騒がしい。
しかも嫌なことに、俺たちが入った瞬間静かになった。
こういう場合、大抵入ってきた者の話題だったりするのだ。
それも聞かれたくないような……。
「何か……あったの?」
天音が俺の代わりに尋ねる。
もしかしたら天音のことかも知れないが、今までの経験から言ってどうせ俺のことだろう。
しかしなんだろうか?
あまり心当たりがない。
いまさら騒ぎになるようなニュースなど持ち合わせていない。
「これって……本当なの?」
クラスの女子がそう言って携帯の画面を俺たちに見せてくる。
俺と天音が画面を覗き込むと、そこにはネットニュースが映し出されていた。
そして記事のタイトルを見て肝が冷えた。
横を見ると、天音も同じリアクションをしている。
当然だろう?
だってまさかニュースになるなんて思わない。
「なんでこれがニュースに?」
俺は質問に答えるでもなく呟く。
記事のタイトルにはこう記載されている。
”天才ピアニストを襲った悲劇”
このタイトルだけで、嫌な記事であることは確定だ。
昔だったら親父が死んだ直後に、こんな感じの記事が溢れた。
天才ピアニストが悲劇の主人公ルートを歩む姿は、まさに格好のエサだった。
こんなに分かりやすく同情と数字を稼げる話はない。
そう、当時だったらあり得た記事だ。
だけどこれは違う。
今さらそんな昔のことを記事にするわけがない。
となると中身は決まっている。
俺が最近テレビの仕事はもちろん、音楽活動もしなくなっていることへの言及だ。
「ちょっと見せて」
俺は女生徒から携帯を奪い取ると、記事の一行目に目を通す。
目を通して頭が一瞬真っ白になった。
一行目には記事のタイトルが回収されていた。
なんの工夫もなく、伏線もなく、一行目でタイトル回収されている。
「どこから漏れた?」
記事には俺の耳のことが書かれていた。
天才ピアニストなのに、その強みであるピアノの音を奪われたのだと、記事には書いてある。
そのせいで演奏は出来ず、そのせいでテレビ出演は減っていると指摘されていた。
固まった俺から携帯を奪って記事を読んだ天音も、俺と同じ反応だった。
そして俺たちの反応を見て、クラスのみんなも事実だと理解したのか、ざわつきだした。
みんなこそこそと何かを話すばかりで、俺になんて言葉を投げかけて良いか分からない感じだった。
まあ仕方がない。
俺も逆の立場だったら何も言えないだろう。
教室のざわつきは収まる様子がない。
俺は黙ってそのまま自分の席に座る。
彼らから何も言えないように、俺からだって何も言えない。
一言認めれば良いのかも知れないが、俺自身まだ気持ちの整理がついていない。
なんて言えばいいのか分からなかった。
しばらくすると、いつも通り先生がやって来て教室が静かになる。
普段通りの何気ない日常が強制的にスタートした。