「まあ、その件は本当にもうよいのです。忘れて下さい」
「ああ、わかった」

 なんだか拍子抜けだが、面倒な話がないならそのほうがいい。成子の意味深な態度や言葉は多少気になるが、藪をつついてもよいことはないだろう、と、響は話題を変えた。

「馬車の事故の件だが、成子嬢も由乃も軽傷でなによりだった」
「お気遣い、ありがとうございます。わたしが無事なのは由乃さんが咄嗟に押してくれたおかげ。そうでなければ轢かれておりましたわ」
「そうだったのか」
「はい。迫る馬車に驚き動けなかった上に、草履の鼻緒が切れてしまい、それで由乃さんが……あら? そういえば、草履は……」

 成子は口に手を当てて、考え込む。するとしばらくして、思い出したように顔を上げた。

「草履の鼻緒が切れるなんて、おかしいわ。だってこの草履、多聞家に来る直前に新調したものなのですから」
「新品だったのか。しかし、偶然切れる可能性だってある」
「ええ、確かに。でも、あの時の状況をよく考えてみると、馬車は真っ直ぐ由乃さんとわたしに向かって来ていたように思います。まるで、よからぬものに命じられたように……」
「よからぬもの、悪鬼の類か」

 蜜豆と白玉が現場で聞いた情報、成子の話、それらを合わせると、やはり事件である可能性が出てきた。
 だが、動機がない。
 成子と由乃を襲って、得をする人間がいるとも思えないのだ。事件であるならば、動機があって然るべきで、そこから容疑者を割り出すのが一般的だ。