「頭を下げる必要などない。謝罪の言葉も必要ない。俺は俺の意思で勝手に帰ってきた。お前の無事を確かめるために。だから、ほら……頭を上げて、俺を見ろ。元気な笑顔を見せてくれ」
「響様……はい」

 由乃はゆっくりと頭を上げる。その頬に仄かに赤味が射している気がして、響はドキリとした。
(熱があるのだろうか。無理をさせてはいけないな。無事は確認したのだし、早めに退散して休ませてやらなくては)

「今夜はゆっくり休め。明日からしばらく、食事の支度も家事もしなくていい」
「それはいけません! 足の怪我だけなのですから、出来ることはやるつもりで……」
「駄目だ。俺が許さん。わかったな、動くな」
「……は、はい」

 由乃は響の圧に押され、素直に頷いた。責任感が強く、割と頑固な由乃には、雇い主の権限を持って言い聞かせたほうがよい。そうしなければ絶対に無理をする。と、響は由乃の性格を的確に分析していた。
 とにもかくにも、由乃の元気な顔を見て、響の心は平穏を取り戻していた。しかし由乃はまだなにかを言いたそうに、ちらちらとあらぬ方向を見ている。

「おい、早く休めと言っているだろう」
「いえ、あの……実は言う機会を失っていたのですが……」
「うん?」
「今、部屋に成子様がいらっしゃいます」

 瞬間、蜜豆がぷっと噴き出し、部屋の隅から、微かに衣擦れの音が聞こえてきた。振り向くとそこには、翡翠会館で会った園山成子がいる。彼女はどうにも困ったように苦笑していた。

「い、いたのか! いつからだ?」
「はあ……最初から、でございます。由乃さんを部屋に送り、帰ろうとしたところ、突然響様が現れ……」
「ならば、声を掛ければよいではないか!」
「そんな雰囲気ではなかったもので……」

 響と成子のやり取りに、蜜豆がこらえきれずに爆笑する。