「成子様! しっかりして下さいませ!」
「あ、あ、ええ、わかったわ……あっ」

 その時、運悪く成子の草履の鼻緒が切れた。もう、馬車は目前に迫っている。辺りにいた人々はすでに逃げ終え、由乃と成子が取り残された。
 どうすればいいか。
 考えている時間はなかった。由乃は成子を思い切り突き飛ばし、馬車の進路から外す。それから自分も勢いよく跳躍し、寸でのところで暴走馬車を躱したのだ。馬車はそのまま大通りを南下し、突き当りの酒屋の樽にぶつかって止まった。
 人々の安堵のため息が、そこかしこから聞こえてくる。由乃は突き飛ばしてしまった成子に駆け寄るために立ち上がろうとしたが、突然足に痛みが走り蹲る。馬車を避けるために踏み切った右足が、信じられないくらい痛む。捻ってしまったのか、腱を痛めてしまったのか。どちらにしろ、自力で歩くことは出来ないようだ。

「由乃さん! ごめんなさい……いえ、ありがとう! あなたのおかげで……どうしたの?」

 我に返り、駆け付けてきた成子が青ざめる。

「どうやら足を痛めたようです」
「大変だわ。とにかく多聞家に帰りましょう。すぐ向こうの乗合馬車で……いえ、たぶん人力車のほうが早いわ。さあ、わたしの肩に掴まって!」
「申し訳ございません。とんだご迷惑を……」
「迷惑なんてかかっていないわ! 今、わたしが無事なのは由乃さんのおかげよ! 謝らないで」

 そう言われたが、由乃は小さく「すみません」と呟いた。馬車の暴走は不可抗力だけれど、成子の観光を台無しにしてしまったことに変わりはない。由乃自身も、もっと成子と話したいと思っていた。その予定が全て台無しになり、悲しかったのだ。