「響様、行ってらっしゃいませ」

 多聞家の広い玄関で、お弁当を手渡しながら由乃は満面の笑みで響を見上げた。
 翡翠会館の晩餐会から三日経ち、興奮も少し落ち着いてきた。しかし、晩餐会の西洋料理に触発された由乃は、和食と洋食を組み合わせ、更に美味しいものを作ろうと研究を重ねた。和食には使わないが、西洋では欠かせない「バター」を使用してみたり、逆に西洋の食材を和風の味噌で味付けしてみたり。その革新的な試みは上手く嵌り、蜜豆や白玉、および多聞家の人々の間で、またもや由乃の料理は絶賛された。本日のお弁当も彼女の自信作なのである。

「ありがとう。今日の弁当も楽しみだ。昨日言った通り、昼過ぎから大阪の駐屯地へ視察に向かう。帰りは明後日になる予定だ。弁当箱は蜜豆と白玉に持って帰るよう言っておこう」
「畏まりました。どうかお気を付けて」
「ああ」

 響は待たせていた馬車に乗り込み、陸軍本部へと向かった。馬車が見えなくなるまで見送ると、由乃は仕事を開始する。掃除に洗濯、しなければいけないことは山のよう。厳島が使用人の募集を掛けても、幽霊屋敷の異名が付いた多聞家にはさっぱり人が来ない。従って、ここに来た時から今日まで、使用人ふたりでなんとか手分けして頑張っているのだ。
 多聞家の人々を見送ってから、由乃が最初にする仕事は、中庭の木々に水をやることだ。最初見た時、可哀想なくらい萎れていた草木は、こまめに手入れしてやると息を吹き返した。今では小さな蕾をたくさん付けて、春に向け咲くのを待っている状態だ。それから、厨房で使用する布巾の洗濯をし、食堂のテーブルクロスの交換をしてから、床の掃除をしようとすると、突然来客を告げるベルが鳴った。