「今日はもう遅いので、仕事は明日からにしましょう。支度を整えたら朝五時に食堂に来て下さい。仕事の説明をしますから」
「承知しました」
「今夜はゆっくり休んで疲れを取るといいですよ」

 厳島が去ると、由乃は部屋の扉を開けた。中は使用人の部屋にしては随分と広く、大きな衣裳棚と寝具、書き物が出来る机と小さな椅子が備え付けられていた。机上には誰が点けたのか、赤々とランプの灯りがともっている。洋風の寝具は木台の上に置かれていて、敷布団がとてもぶあつい。掛布団もふかふかである。寒風が入り込む家畜小屋で寝泊まりしていた由乃は、感動しつつ、また興味津々で部屋を歩き回った。
 衣装棚を開けると、使用人用の着物が数着入っていた。深く落ち着いた紫色の小紋に、気品のある紺色の帯。簡素で地味ではあるけれど、とてもよい品なのはわかる。由乃が今着ている継接ぎが目立つ着物と比べると雲泥の差があり、少し恥ずかしくなった。
 由乃は部屋にあった小さな椅子に腰掛けると、ふうと息を吐く。着の身着のままで蜷川家を出てきて、片付ける荷物など無い。なにも持っていなかったが、逆に新生活にはそのほうがいいと思えた。
(今日はもう寝よう。明日は初日だもの。遅刻は出来ないわ)
 寝具に横たわり、早々に目を閉じると、予想以上に疲れていたのかすぐに意識が遠のく。
 どこかで、小さく猫と犬の鳴く声がしたと思ったけれど、確かめる気力はもうなかった。