行くあてのない由乃にとって、その申し出はありがたかった。でも、彼女に出来ることと言えば、炊事(漬物作り含む)、洗濯、掃除といった簡単な家事しかない。勉強は中途半端なところで終わっている。両親が生きていた頃は、家庭教師に教わっていた。しかし、両親が亡くなってからは、家庭教師は解雇され、学校にも行くことは許されなかった。
 響がどの程度の能力を望んでいるのかが不安だったのだ。

「家事が出来れば十分だ」
「そうですか! ああ、よかった。安心しました」
「安心したところで悪いが、うちには少々癖のある住人がいる。扱いに困ると思うが、まあ、よろしく頼む」
「はい。精一杯頑張ります!」

 由乃は元気に答えた。悲しみしかなかった蜷川家から解放される、そんな未来を夢見たことはなかった。きっと、ここで人生を終えるのだと覚悟もしていた。
 しかし、人生はなにが起こるかわからない。
 由乃は、流れゆく景色の中に浮かぶ朝日を見つめ、期待に胸を躍らせた。

 列車は、午後四時過ぎに上野に着いた。
 人の多さと建物のモダンさに圧倒されつつ、必死で響に付いて行く由乃は、駅前に大きな馬車が停まっているのを見た。とても立派な馬車の前には、かっちりとした洋装の男性が直立不動で立っている。響は彼に向かって真っ直ぐ歩いて行った。

「ご苦労、厳島。使用人をひとり勧誘してきた。蜷川由乃、という」
「おや。お嫁様ではなく、使用人ですか?」
「そうだ。すぐに働いてもらうから準備を頼む。部屋とか、いろいろな」
「ええ。それはお任せ下さい」