鬼神様の最愛なるお嫁様~運命の天上花~

「いるな」

 響が呟くと、由乃の後ろを優雅に歩いていた蜜豆がヒョイと前方に躍り出た。

「ふん。鬼神と我らを前に、逃げ出さず待ち構えているとはの。ここまで来てみろということか? 三下風情が! 気に食わぬっ。羅刹、いくぞ!」

 そう叫ぶと、羅刹と同じく蜜豆も真の姿に変化した。
 夜叉は羅刹と違い屈強ではないが、ひょろりと背が高く長い爪を持つ女鬼だ。漆黒の長髪に浅黒い肌。瞳は闇に浮かぶ緋色である。角は二本、羅刹と逆で上向きに生えており、深みのある紫紺の長衣を纏っていた。
 夜叉と羅刹が、目の前の障子を勢いよく蹴り倒すと、部屋の全貌が現れた。
 周囲に何本も灯された蝋燭。壁に刻まれた儀式めいた文様。その中心に目を閉じた久子が正座している。それは異様な光景だ。

「久子叔母様!」

 由乃が叫ぶと、久子はゆっくり目を開き、言葉を発した。

「久子はもういない。ワシが乗っ取り、喰ろうたからなあ」
「お前が悪鬼か」
「そう。最初はちっぽけな悪霊だったワシが、愚かな女の嫉妬と妬みで今や悪鬼を凌駕し大悪鬼……笑いが止まらぬとはこのことよ」
「正体を現せ。それとも、人の皮を被っていないと話せない腰抜けか?」

 響に言われてむっとした悪鬼は、立ち上がると咆哮を上げた。すると、辺りに風が巻き起こり、灯っていた蝋燭が一斉に消え、室内は真っ暗になる。闇の中、鬼神響が右手で炎を作り出し、再度蝋燭に点火すると……。そこにいたのは、二本足で立つ、馬に似た醜悪な「なにか」だった。目は剥き出しで、口からは涎を垂らし、全身が血のように赤かった。
「お前の正体、馬鬼(うまおに)だったか。なるほど、それで……」
「なるほど、とはなんだ!」

 冷静に分析している響にイライラしつつ、馬鬼が尋ねる。由乃も同じような疑問を持ち、響の回答を待った。

「すべてが馬に関わる事件だった。蜷川夫妻の事故も、帝都の暴走馬車も……馬鬼のお前ならば、馬を操るのはお手の物だろう? 夫妻の事故は細工など必要なかっただろうし、帝都では華絵や佐伯の由乃に対する復讐心を煽り、犯罪組織の影に隠れ、力を行使する……卑怯極まりないな」
「なんとでもいうがいい。だがこれは、全て久子が望んだのだからな。自身を蔑み暴力を振るう夫と、その夫が一途に想う女の死。それから、自分を忌み嫌う娘へ報復……他にもなにかあった気がするが……忘れたね。久子の恨みは根深く、果てしなく暗い。怖い女だよ」
「勝手なことを言わないで! 久子叔母様は悲しかっただけ……悲しくて辛くて、誰かに助けて欲しかっただけ……悪鬼がとり憑かなければ、救いの道はあったはずです!」

 由乃は叫んだ。どうしようもなく怒りが込み上げたのだ。

「あんた、前の本家の娘だろ? 久子に両親を殺されたってのに、お人好しかよ。まあ、どうでもいいがな。ワシは、ここで鬼神と一戦交えて、蓄えた力を試めそうと思っているだけなんでね」
「なら、ちょうどいい。馬鬼、お前を消滅させて……終いだ」

 響が瞬時に鬼神化すると、羅刹と夜叉も臨戦態勢になる。羅刹は由乃の壁になり、夜叉は速さを生かして特攻を開始、馬鬼に向かって鋭い爪を振り上げた。馬鬼は一撃目をひらりと避け、得意げな顔をする。しかし、直後に二撃目を腹に叩き込まれ、うっと呻いた。
「なぜだ……避けたはずだ!」
「遅いのだ、馬鹿め。この程度の力で、鬼神様に挑もうとは笑止千万。それ、おまけにもう一撃!」

 言うと、夜叉は爪を垂直に馬鬼の肩に突き立てる。馬鬼はそのまま壁に打ち付けられ、動けなくなった。

「くそっ。くそっくそっくそっ! やはり、まだ勝てんのか! ならば今は逃げてまた、力を……」

 逃げることに全力を注いだ馬鬼は、夜叉の爪に打ち付けられた肩を自ら引きちぎり、絶叫を上げながら窓に走る。しかし、それを響は許さない。素早く印を結ぶと、人には理解出来ない文言を馬鬼に向かって放った。
馬鬼の背に、数えきれないほどの炎の矢が突き刺さり、床にバタンと倒れ込む。そして、足だけをバタつかせながら悶絶した。

「うわああああああ。体がぁ体がぁあああああ」
「痛みなく一瞬で消滅させる術もある。だが、そうはしない。お前は、由乃の大事な家族を奪い、苦しめ悲しませた。鬼神としてではなく、俺は今世を生きるひとりの男として、大事な花嫁を苦しめる奴を決して許さない」

 響は由乃を見た。由乃はその熱い視線を受け、少しだけ照れた。こんな時に非常識だと思うが「大事な花嫁」と言ってくれたことがとても嬉しかったのである。

「う……ぐっ……ぐう……」

 馬鬼は恨めしげな目を向ける。が、響は顔色ひとつ変えず、言い放った。

「最後の瞬間まで痛みを味わえ。それがお前の行いの報いだ」
「ぐ……あ……」

 炎は馬鬼の体を覆い、決して離さない。響の言った通り、馬鬼は最後の最後まで苦しげな声をあげ続け、やがて、灰になって霧散した。邪悪な気配が消え、あとには静けさと闇が残った。
「終わったな」

 口を開いたのは響だ。響は一瞬で人の姿に戻ると、由乃へ手を伸ばし引き寄せた。それから、ふんわりと優しく抱き締めた。

「帰ろうか、うちに」
「そうですね。みなさまが待っていますもの」
「ああ。もう由乃に害が及ぶことはない。安心して暮らせるな」
「はい。ありがとうございます」

 響の温かい腕の中で、由乃はかつて幸せだった頃の夢を見た。徳佐と美幸とヨネと、楽しく暮らした蜷川家。両親はもういない。あの日々も二度と戻らない。だが、自身を抱き締める逞しい両腕は、由乃の体も心も真綿で包み、安息の地をもたらしてくれる。
(お父様、お母様、私、鬼神様と今世を行き抜きます。なんの助けにもならないかもしれませんが、精いっぱい励みます。だから、見守って下さいね)

「響様、由乃。はようせんと御者が待ちぼうけて帰ってしまいまするぞ? もう半夜じゃからのう」

 猫に戻った蜜豆が、窓の外を鼻先で指す。いつの間にか天には月が顔を出していて、煌々と辺りを照らしている。それは、これからの響と由乃の道行きを指しているようであった。
 四月某日。
 多聞家の中庭では、多聞響と蜷川由乃の婚約披露の会食が執り行われていた。欧米にあるような立食形式で、ごくごく親しい友人、輔翼の家の代表者や知人のみが参加を許された会である。友人の中には大臣の増長誉や、その姪の園山成子と遠藤蘇芳、いずれも響と由乃に関わりの深い者たちが名を連ねる。もちろん、家族である鳴や奏も出席していた。

「おめでとう、多聞中佐。いやしかし、仕事で忙しいから結婚などしない! と言っていたのはどこの誰だったかな?」

 葡萄酒のグラスを手に、上機嫌の増長が響に絡む。そんな増長の嫌味を軽くいなし、響は笑顔で言った。

「仕事は今も山積みだ。だが、由乃がいれば、仕事の大変さも苦にならない。結婚とはそういうものなのだろう?」
「調子がいいな」
「ふふふ。ああ、そうだ! 例の件では世話になったな」

 例の件とは、蜷川本家のことだ。成子から全ての事情を聞いた増長は、蜷川家の「後始末」に力を貸してくれた。元治の死や、悪鬼に食われたことによる久子の失踪を、人々の口の端に登らないように秘密裏に処理。また、華絵を政府の息のかかった病院に入れてくれるなど、使える権力を存分に使って助けてくれたのだ。

「面倒臭い悪鬼を退治してくれたのだからな。そのくらいするさ。成子からも頼まれていたからね。なあ、成子?」

 誉に話しかけられ、蘇芳と談笑していた成子は振り向いた。

「え? ああ、由乃さんの件ですか? 当然ですわ。命の恩人の由乃さんですもの。しっかり幸せになってもらわないと困ります」
「成子嬢、ありがとう。君は由乃の初めての友だちだ。これからもずっと彼女の相談相手として、仲良くしてやってくれ」
「まあ! 響様ったら。まだ結婚していないのに、もう夫気どりですの? 嬉しいのはわかりますが気が早すぎます」

 ケラケラと朗らかに笑う成子につられて、周囲も晴れやかな笑声をもらす。和やかな雰囲気に包まれていると、響たちの元に、鳴と奏がやって来た。
「響様、由乃の準備が出来たみたいよ?」
「すごく綺麗だったから、びっくりしないでよ、響様」

 鳴と奏は興奮状態だ。由乃は今、ヨネに着付けをしてもらっている。昨日の時点で、着物はちゃんと届いていた。しかし、帯のみ、念入りな『修復』が必要だったため、多聞家に届くのが遅れたのだ。

「そうか」
「そうか……だなんて、本当は楽しみで堪らないのに。素直じゃないなあ、中佐は」

 からかうように蘇芳が煽る。

「うるさいな。確かに、楽しみではある。由乃の晴れ着姿は初めて見るのだし……」

 話の途中で響は黙り込む。それには理由があった。屋敷から出てきた、天女のように美しい由乃に釘付けになったのだ。ヨネと厳島に手を引かれ、蜜豆と白玉を両脇に従え、真紅の振袖を纏った由乃は、この世のものとも思えぬほどに神々しかったのだ。
 周囲からも感嘆の声が上がっている。特に蘇芳をはじめ、年頃の男連中は由乃から視線を逸らそうとしない。響は心の中で舌打ちした。美しい由乃を眺めていいのは自分だけだ、と嫉妬したからだ。しかし、そんな胸中を露程も見せず、響は由乃に駆け寄った。

「由乃。とても、美しいよ」
「えっ、あ、あの、ありがとうございます」

 由乃の頬がほんのりと朱に染まる。その可愛らしい様子に、響の気分も高揚した。

「それと、この帯……華絵さんに捨てられたものを、探し出し修復までして下さるなんて、感謝してもしきれません。まさか、この帯を結んで、鬼神様の横に立つ日が来るなんて……父が生きていたら驚いたことでしょう」
「見せたかったな」
「はい。でも、きっと、彼岸で母と喜んでいると思います」
 金糸の氷割に四季草花の模様の帯は、鬼神と対面する時のために、徳佐が由乃に贈ったもの。由乃の幸せを心から願った徳佐も、満足しているに違いないと、由乃は確信していた。
 隣でヨネが目頭を押さえている。厳島もどこか感慨深げに空を仰ぎ、蜜豆と白玉も、由乃を優しく見守っている。
 辺りを見回すと、誰もかれもが、祝福してくれているように感じた。

 辛かった日々を越え、凍えた朝を耐え、悲しみの夜をやり過ごし……そして、今、誰よりも大事な人と、添い遂げる決意を新たにする。

「由乃。さあ、みんなに挨拶に行こう」
「はい」

 響の手を取り、由乃は歩き出す。
 光の道を、真っ直ぐに。
 
 
 END

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