由乃は船頭を見た。確かに、由乃のほうを見て、苛立ちを感じているようである。身を乗り出し、今にも舟を降りてこちらにやって来そうだ。しかし、由乃は美幸と離れたくなかった。事故から三年、美幸と徳佐のいない日々は悲しみに満ちていた。やっと会えたというのに、また別れるなんて嫌だったのだ。
「なんて顔をしているの。あなたには新しい家族がいるでしょう? そのかけがえのない人たちと、未来へ向かって生きなさい。今、あなたの名前を呼んでいる人を、悲しませてはいけません」
「私の、名前を……」
裂け目から聞こえる声は、どんどん大きくなっている。それが誰の声か。由乃はようやく理解した。
「響様! 響様が呼んでいる! お母様、私、行きます!」
「ええ。由乃。振り向かず、真っ直ぐ走りなさい」
美幸の声が背中を押す。由乃は裂け目に向かって走り出した。背後で船頭が動く気配がする。彼岸に送る死者を逃がすまいとしているのだ。しかし、由乃は振り返らない。なぜって、それは、美幸がそう言ったからだ。
「それでいいわ、由乃。あなたは天からの贈り物。私の、私たちの宝物。幸せになりなさい」
美幸は小さくなっていく由乃の背中に呟きながら、船頭の前に立ちふさがった。船頭は櫂を手に由乃を追う気であり、邪魔をする美幸を唸り声で脅す。
「ぐうあああああ」
「あら、なにを怒っているの? 今夜のお客は全部で六人でしょう? 最後のひとりは……ほら、来たわよ」
美幸は振り向き指差した。船頭がその方向を見ると、そこには本当に人がいた。
「満足したかしら? 『彼』が今夜最後のお客。さあ、彼岸へ向かいなさいな」
「ぐう」
船頭は満ち足りた声をあげると、最後の客を舟に乗せる。呆然とした男は、ここがどこだか、自分になにが起こっているのか、わからないようだが、美幸を見て少し反応を示した。男は美幸をじっと見つめるが、どうしても、思い出すことは出来ず、やがて諦めて俯いた。
そうして、彼岸行きの舟に乗った六人は、闇の中に消えていった。
美幸は光が漏れていた裂け目の方角を見た。今はもう、どこにも光はなく、辺りは一面の闇である。愛する娘をあるべき場所に戻す。その目的を達成して、美幸は彼岸へ戻る準備をする。
不思議な運命を背負った娘、由乃の未来に幸あれと強く願いながら……。
「なんて顔をしているの。あなたには新しい家族がいるでしょう? そのかけがえのない人たちと、未来へ向かって生きなさい。今、あなたの名前を呼んでいる人を、悲しませてはいけません」
「私の、名前を……」
裂け目から聞こえる声は、どんどん大きくなっている。それが誰の声か。由乃はようやく理解した。
「響様! 響様が呼んでいる! お母様、私、行きます!」
「ええ。由乃。振り向かず、真っ直ぐ走りなさい」
美幸の声が背中を押す。由乃は裂け目に向かって走り出した。背後で船頭が動く気配がする。彼岸に送る死者を逃がすまいとしているのだ。しかし、由乃は振り返らない。なぜって、それは、美幸がそう言ったからだ。
「それでいいわ、由乃。あなたは天からの贈り物。私の、私たちの宝物。幸せになりなさい」
美幸は小さくなっていく由乃の背中に呟きながら、船頭の前に立ちふさがった。船頭は櫂を手に由乃を追う気であり、邪魔をする美幸を唸り声で脅す。
「ぐうあああああ」
「あら、なにを怒っているの? 今夜のお客は全部で六人でしょう? 最後のひとりは……ほら、来たわよ」
美幸は振り向き指差した。船頭がその方向を見ると、そこには本当に人がいた。
「満足したかしら? 『彼』が今夜最後のお客。さあ、彼岸へ向かいなさいな」
「ぐう」
船頭は満ち足りた声をあげると、最後の客を舟に乗せる。呆然とした男は、ここがどこだか、自分になにが起こっているのか、わからないようだが、美幸を見て少し反応を示した。男は美幸をじっと見つめるが、どうしても、思い出すことは出来ず、やがて諦めて俯いた。
そうして、彼岸行きの舟に乗った六人は、闇の中に消えていった。
美幸は光が漏れていた裂け目の方角を見た。今はもう、どこにも光はなく、辺りは一面の闇である。愛する娘をあるべき場所に戻す。その目的を達成して、美幸は彼岸へ戻る準備をする。
不思議な運命を背負った娘、由乃の未来に幸あれと強く願いながら……。