「響様、着替えをお持ちしました。こちらに置いておきます」

 背後から厳島の声がする。廃工場での火災により、響と由乃の服は汚れてしまっていた。だから、気を遣って持って来たのだろう。

「……ああ」
「ご入用の物があれば、声をおかけください。いつでもご用意いたします」
「……ああ」

 厳島に返答をする間も、響の視線は由乃を捉えたままである。それは、どんな変化も見逃さない、という強い想い。そんな主人を見て、厳島は静かに部屋をあとにした。

「由乃。目を覚ませ。いつものように笑ってくれ」

 必ず目を開けると信じ、響は由乃を呼び、そして願い続ける。生きてくれ、と。自分の前から消えないでくれ、と。
(鬼神として、悪鬼を払う特別な力を持っていても、由乃を助けることが出来ないなんて……俺は無能だ。悲しいくらい、役立たずだ。大切な人を……大切な……)
 胸の中で繰り返すうち、響はハッとした。「大切な人」……その言葉は翡翠会館で由乃が言ったのだった。
(あの時は由乃の言うことがよくわからなかった。だが、今なら理解出来る。どうして由乃に心を揺さぶられ、気になって仕方なかったのか。俺は由乃を大切に思っている。それは……由乃を、愛して、いる、から)

「愛している。由乃。目を開けてくれ……頼む」

 響は掠れる声で懇願する。数世紀探し続けて、やっと見付けた「愛」が、今、手の平から零れ落ちようとしている。必死でつなぎ止めようと、響は天に向かい叫ぶ。

「天よ、天上の天帝よ! 聞いているか! 由乃を連れて行くな。まだ、伝えていないことがあるのだ!」

 静まった屋敷に、響の声は大きく反響した。