華絵が合図をすると、佐伯が周囲に液体を垂らし始めた。由乃を中心としてだいたい半径五メートルくらいのところに、液体で円を描いている。液体が垂らされると、鼻をつく匂いが充満する。それは、初めて嗅ぐ匂いで、頭がクラクラするような中毒性があるように感じた。

「こうしてね、垂らしたガソリンに火を付けるの。そうしたら、あんたの周りは火の海よ。実験もしているから綺麗に炎上すると思うわ」
「実験……まさか、この間の化学薬品工場の爆発火災は……」
「大正解よ。察しがいいじゃない」
「なんてことを! その火災で、家を失った人が大勢いるのですよ!」

 由乃は珍しく声を荒らげた。奇跡的に怪我人や死者が出なかったものの、大惨事といっていいほどの事件である。激高しないほうがおかしいだろう。しかし、華絵は飄々として言ったのだ。

「二回も言わせないでよ。誰が巻き込まれても構わないって言ったじゃない。私が目的を達成するためならばね。さあ、無駄話はもうおしまい。焼け焦げるまで恐怖と苦痛を存分に楽しむといいわ」
「華絵さん……あなたって人は……どうしてそこまで、残酷になれるの?」
「なんとでも言いなさい。じゃあね。もうこれで、あんたに会うこともない。せいせいするわ」 

 ひらひらと手を振り、楽しげに扉から出て行く華絵。その背中を追う佐伯は、出口扉の前で振り返り、燐寸を擦りガソリンに向かって放り投げた。
 すると、瞬く間に炎が燃え広がった。辺りの温度が一気に上がり、由乃の周りを取り囲む。それは見たこともない恐怖の光景だ。
(熱い! 体全体が熱さでひりひりするわ。ああ、どうしよう。逃げようにも動けないし、動けたとしても、炎が邪魔をして外には逃げられない)
 縛られたまま、由乃は炎を見つめる。死を覚悟した彼女が思い出すのは、多聞家の人々のこと。美しく聡明な鳴。素直で頑張り屋の奏。冷淡に見えるけれど、本当はひょうきんな厳島。強く頼りになる蜜豆と白玉。そして……。
(響様……ああ、もっと、あの方の笑顔を見ていたかった。私の料理を美味しそうに食べる響様の笑顔を……)
 思いがけず、由乃の目から涙が零れる。しかし、炎は更に勢いを増し、彼女の姿を覆い隠していった。