時刻は夕方四時を過ぎていた。多聞家の夕食はだいたい六時半で、普段は四時には準備を始める。ヨネがいるから心配はないだろうが、元来真面目な由乃は、少し不安になっていた。

「ああ、本当にすみません! 今日はありがとうございました!」

 大きな声で礼を言う臼井に頷くと、由乃は早足で事務所を出た。それから正面玄関に行き、車夫を探す。
(思ったより遅くなってしまった。きっと待ちくたびれているわね)
 申し訳ない気持ちを抱えながら、いつも人力車を停めている場所に向かう。すると、そこには顔馴染みの車夫でなく、知らない男性がいた。

「あ、の……?」
「ああ! あんたが由乃さん?」

 男性は由乃を見て尋ねた。男性は体格がよく車夫が天職だというような背格好だが、どこかぎこちない。しかしその服は、馴染みの車夫と同じ。多聞家が贔屓にしている「東寺屋」の法被を羽織っていたので、由乃は素直に返答した。

「ええ、そうですが……」
「ああ、馴染みの奴と違うんで驚いたかい? 実は奴の身内がさ、急病になっちまったもんでワシが代わりに来たんだよ」
「まあ……そうでしたか! でも、急に交代だなんて。お身内の方、かなり容体が悪いのでしょうか。心配ですね」
「あ、う、うん。詳しくは聞いてないんだが……心配だねえ。さ、どうぞ、多聞家までお送りしやす」

 大柄な車夫に促され、由乃は人力車に乗り込んだ。座席に座ると、臼井に手渡された封書の束を取り出す。それはお弁当に対する感謝の手紙で、火災に遭った人たちが書いて渡してくれたものだ。工場からの帰り道、それらの手紙に目を通すのが、由乃の楽しみになっていた。