思い出すたび、響の腸は煮えくり返る。吹けば飛ぶような、か弱い身の由乃に、馬車をけしかけるなど許せない。もし、取り返しのつかない事態になっていたなら、感情のままに全てを焼き尽くしたかもしれない、と、それほど憎々しく思っていた。

「中佐の怒りもわかりますが、少し落ち着いて下さい。あ! そう言えば聞きましたよ? 被災者支援、順調だそうですね。特にお弁当が美味しいと噂になっています」
「ん? ああ、そのようだ。まあ、あの弁当が旨くない、などという者がいたら、ぶん殴ってやるけどな」

 鳴が始めた被災者支援は、帝都の民衆の支持と共に大きな関心が寄せられた。仮設住宅の建設、跡地の修繕、食料の手配。それらを無償で行う多聞財閥は、民衆の味方として政府より頼りになると評判だ。中でも、一番好評なのはお弁当の提供である。美味しく栄養のある食事が無料で提供されることに人々は感嘆し、多聞財閥の株をいっそう上げたのである。

「だから、落ち着いて下さいって。憲兵隊中佐ともあろう人が、暴力を振るわないで下さいよ。確か、由乃さんが献立を考えたのでしたっけ?」
「由乃とヨネだな。まあ、大方は由乃だと聞いたが」
「蜷川家の遠縁で使用人の由乃さん……か。この間多聞家でチラリと姿を見ましたが、とても清楚で色白な女性でしたね。今度、甘味処に誘ってみようかなあ」
「あ?」

 思いもよらない蘇芳の言葉に、響は馬鹿みたいにポカンとした。しかし、その意味を理解するとみるみる眉を吊り上げる。自分でも変だと思ったが、蘇芳の言葉を聞いた途端、言いようのない焦りと苛々に襲われたのだ。