多聞財閥のお弁当製造工場は、木造平屋造りの大きな建物で、奥に工場、手前に事務所と分けられていた。工場に繋がる渡り廊下では、大勢の人が忙しなく行き来している。由乃は事務所の入り口付近で、きょろきょろと迷子のように視線を彷徨わせた。
(この中で、臼井さんを見付けることが出来るかしら? 誰かに聞いたほうがいいかもしれないわ)
 そう考えていると、不意に背後から声がかかった。

「あの、失礼ですが、あなたは由乃さん、でしょうか?」
「え?」

 振り返ると、白い作業服に身を包んだ人物がいた。年は三十くらい、黒縁の大きな眼鏡を掛けたタレ目の男性だ。

「はい。蜷川由乃ですが……」
「そうですか! お待ちしておりました、工場長の臼井です。そろそろお越しになるかな、と思い玄関付近で待機していたのですよ」
「まあ、ありがとうございます」
「いえいえ。わざわざ来ていただくのですから当然でしょう。それで、献立のほうは?」

 臼井は話を切り出しながら、由乃を事務所へと案内した。玄関脇にある事務所は、稼働初日で準備が追い付いていないのか、書類等が散乱している。臼井がそれをかき分けると、なんと立派な応接セットが現れた。

「すみません。もうてんやわんやでね。あ、そこに座って下さい」
「はい。ええと、これが三日分の献立です」
「お預かりします。ちょっと目を通しますね」

 臼井は献立とにらめっこを始めた。食品関係の工場長に任命されるくらいだから、彼には料理や食材の知識があるに違いない。由乃がそう思ったのは、臼井がとても真剣な表情で献立を見つめていたからだ。