ヨネと共に掃除と洗濯を終わらせた頃、多聞家に電話のベルが鳴り響く。応接室の壁に設置された最新鋭の電話機。それが鳴るのを聞いたのは、由乃がここに来てから初めてのことであった。
 屋敷裏の物干し場にいた由乃は、ヨネに中庭の水やりを任せ、応接室へと向かう。そこには、先に駆け付けた厳島が電話応対をする姿があった。

「多聞でございます。はい……はい、そうです。お世話になっております。ええ……少々お待ち下さいませ」

 厳島は背後に由乃を見付けると、受話器を差し出す。

「私にですか? いったいどなたから?」
「弁当製造工場、工場長の臼井様です。鳴様がおっしゃっていた献立の件でしょう」
「あっ! はい、わかりました。代わります」

 そう言って受け取ると、急いで応対する。

「はいっ。蜷川由乃でございます」
「あ、どうもこんにちは。臼井です」

 途切れ途切れな男性の声が、耳の奥から聞こえる。聞きやすいとはとても思えなかったが、一本の線を通して遠くの誰かと話せるという魔法のような現象に、由乃の心は躍った。

「早速ですが、弁当の献立の件で……ええと、情報が大量にあるのですが、手元に書き残せるものはありますか?」
「紙と書くもの、ですね。ちょっとお待ち下さい」

 由乃が周りを見回すと、後ろからスッと新品の帳面と万年筆が渡される。予め厳島が用意してくれていたようだ。気の利く厳島にお礼を言うと、由乃は臼井との会話に戻る。

「お待たせしました。どうぞ」

 その言葉を聞き、臼井はつらつらと用件を言い始めた。工場にある食材や調味料。それがどのくらいあり、どの程度保存が出来るか。また、配給に使用するお弁当箱の大きさの説明をした上で、ちょうどよく収まる数の料理を考えて欲しいと由乃に頼んだ。

「出来れば今日の二時までに、三日分の献立を考えて連絡してもらいたいのです」
「二時……時間はあまりないですね。でも、献立を電話口で伝えるのは難しいので、私がそちらに向かったほうがよいかと思いますが?」
「ああ、そうしてくれると非常に助かります! 実はこちらも工場の初稼働でてんてこ舞いでして……皆、最新の機械設備の使用に悪戦苦闘しているのですよ」
「ええ、わかります」

 由乃は初めて多聞家の厨房に立った日のことを思い出した。設備の使い方を説明する厳島に付いて行くのが大変で、頭の中が混乱していたのを覚えている。今日から工場で働く人たちも、きっと同じような状態なのだろう。