その後由乃は、ヨネに主な仕事内容と厨房の設備の使い方を説明しながら、軽く蜷川家について聞いてみた。するとヨネは丁寧に言葉を選びながら語ってくれた。彼女によると、由乃が去ってから、蜷川家は酷い有様だったらしい。もともと本宅に居着かなかった元治は、あのあと二度と家に帰らなくなった。響に拒まれた華絵は狂ったように日々怒鳴りまくる。どこにも向けられない苛々を使用人たちに向け、耐えられなくなった彼らは、ひとり、またひとりと辞めてゆく。そして、最後にヨネが残ると、華絵は佐伯と共に、荷物を纏めどこかに行ってしまったそうだ。蜷川本家には久子とヨネのふたりきりになった。すると、部屋にこもりきりだった久子が突然顔を出し「もう給金を出せないから、お前もここを去りなさい」と言う。久子を心配しながらも、娘と孫のためにお金が必要だったヨネは、帝都行きを決意した。帝都で家政婦組合に登録すると、多聞家の求人があるという話を聞き、由乃に会えるかもという一心で面接に来たのだという。雇ってもらえるとは夢にも思っていなかった、と、ヨネは昔のように朗らかに笑った。
 夕方に奏と鳴、響が帰宅し、食堂に介した多聞家一同とヨネの顔合わせが行われた。

「お前はあの時、由乃の側にいた使用人だったか」
「はい、鬼神様。その節はろくにご挨拶も出来ず、申し訳ございません」
「いや、構わない。由乃が蜷川家で心を許せたのはヨネだけだったのだろう。ならば、俺からは感謝しかない」
「もったいないお言葉です。家族がおりますので長い時間の勤務は出来ませんが、誠心誠意、働かせていただきます」