上野から列車に乗り、多聞響は北に向かう。帝国陸軍で憲兵中佐の職に就いている響が乗るのは、一等車両の特別個室。二等車両でも乗るにはかなりの値段がするのだが、職権と金とコネを大いに利用し、個室を用意してもらったのだ。響はぼんやり車窓に目を向けながら、ある手紙に目を通していた。蜷川家の当主、蜷川元治からの手紙である。多聞家と陸軍にしつこいくらい何通も届いていた手紙を、響は無視をし続けた。手紙の内容は、鬼神の花嫁の座を狙う、下心見え見えの下品な内容だったからだ。一度娘に会ってくれ、絶対に後悔させないから、というお粗末な内容に、響はほとほと呆れ返っていた。しかし、鬼神に縁のある輔翼の家をないがしろには出来ない。彼らは大昔、それこそ創生の時代から鬼神を助けていた家系だ。昔に比べかなり数は減ったが、鬼神転生の秘密を知り、人の世で暮らしやすいように配慮してくれている。そのため、仕方なく一度足を運ぶことにしたのだ。ちょうど新しく開通した奥州鉄道にも乗ってみたかった、という理由もあったのだが。
 ただ、響は蜷川の娘を花嫁に選ぶ気はさらさらなかった。輔翼本家の娘の中から花嫁を選ぶ、という『しきたり』に従うのは、もうやめようと思っていたのだ。
 古き友のひとりが人間の女に恋をし、始まったこの鬼神転生。愛することは素晴らしいと言った友を理解出来ず、愛というものを知りたくて転生を繰り返した。だが、何百年、何千年経っても、なにが愛なのか全くわからない。誰も愛せず、愛の意味もわからないのに、ただ惰性で『しきたり』を繰り返すことが馬鹿らしくなっていたのだ。
 この辺が潮時だ。今世限りで現身を捨て、天上で眠りにつこう。と、響は考えていた。
 ふと見ると、車窓には音もなく雪がぶつかっていた。上野を出発した時は、まだ暖かかったのに、気付くと車内がいつの間にか肌寒い。

「新しい列車なのに、空調が壊れているのか? 仕方ない、こんなものでも多少暖はとれるか」

 そう呟いた響は、神通力で手紙の束を一瞬で燃やした。個室の一角に「車内火気厳禁」と書いてあるプレートを見付けたのはそのあと。
 漂う微かな焦げた匂いを消すべく、響は寒さに耐えて窓を全開にした。