日が暮れて空が橙色から藍色になった頃、妖たちを夜の街に誘うように、大通りに連なる建物から吊る下がった提灯には一斉に灯りが灯った。夜になり、いくつかの屋台の出見世が用意されて、今夜も妖たちは祭りのような賑わいを見せていた。
そんな中で、ぞろぞろと大通りに増えていく妖たちの群れに、茜は顔に着けた鬼の面を不安そうに撫でる。手に触れた固く冷たい感触を確かめると、緊張を吐き出すように深く息を吐いた。
「いっ、いらっしゃいませ〜!似顔絵は要りませんか〜?」
出し慣れてない大きな声は情けなく震えて、雑踏に消えていく。
三毛猫の妖の画材店に行った日から数日後、大通りに並ぶ屋台の一角で、『似顔絵』と書かれた看板が立て掛けられた簡素な屋台に茜たちは居た。水彩絵の具を買い取る為の資金調達として、茜と斎はこの大通りで毎晩似顔絵を売ることにしたのだ。この大通りの屋台は誰でも出店して良いらしく、割りと簡単に屋台を出すことが出来た。そして、今夜はその似顔絵の屋台オープン初日だ。斎も茜も似顔絵の店を出すのは初めてのことなので、少しだけ緊張していた。
「…おい、そこのお前。似顔絵に興味は無いか?」
斎は賑わう妖たちに戸惑いつつも、水彩絵の具の事もあるからか、積極的に屋台から声を掛けていた。
「似顔絵だぁ?」
声を掛けられた全身鱗まみれの河童は、斎の言葉に不思議そうに首を傾げた。やはり、この幽世では屋台で似顔絵を売るという発想は珍しいものなのだろうか。河童は水掻きの付いた足を止めて、ペタペタと簡素な屋台に立て掛けられた看板を覗き込む。
「時間はかからない、一回この値段でやってる。…どうだ?」
看板の下に小さく書かれた似顔絵一回分の値段を指差して、斎は少し自信無さげに河童の妖に聞いた。
ずっと他者との関わりを避けながら、ひっそりと絵師として生きてきた斎にとって、賑わう屋台で商売したり積極的に客を捕まえたりなんて当然慣れない行動なのだろう。それでも戸惑いながら、真剣な眼差しで河童を見つめる斎の姿に茜は少し感動を覚えた。
斎の接客に半分ほど瞼が降りていた河童は、ギョロリとした瞳を見開いて気分良く言った。
「へぇー、似顔絵なんて珍しいな。乗った!すげぇ格好良く描いてくれよ!」
「あぁ…!任せとけ。」
河童の言葉に、ホッとしたように瞳を緩めた斎は強く頷く。屋台の前に設置された椅子に河童を座らせて、斎は早速似顔絵を描き始めた。
先日、三毛猫の妖が営む画材店で大量に購入した色紙に、流れるように絵筆を滑らせながら河童を描いていく。短時間で描きあげるべく、異形の右手の迷いのない筆さばきは見ていて気持ちが良い。そんな斎の描く姿に、茜も河童も自然と目を奪われていった。
あっと言う間に河童の姿が、色紙の中に浮かぶ。粗方描き終えると斎は絵筆を置いて、茜が持っている水彩色鉛筆を借りて色塗りを始めた。陰影は意識しながらも柔らかい印象を与える色鉛筆は、河童のゆったりとした雰囲気を捉えていてとても良く似ている。
暫くして描き上げた似顔絵を、斎は河童に手渡した。河童は水掻きの付いた手で似顔絵を受け取ると、ゴクリと息を呑んだ。
「す、すげぇ!何だコレ!?」
河童の嘴から放たれた大きな声は、賑わう大通りでもハッキリと響き渡る。その声に「何だ?あの屋台か?」と不思議そうに行き交う妖たちも足を止めた。
「こんなすげぇ絵は見たことねぇ!」
河童が掲げた色紙には、斎が描いたそっくりの河童が居た。丸い皿を頭に乗せた河童は色紙の中で、半分ほど瞼を下ろしてから目を細めてケラリと笑う。半妖の絵師の斎だからこそ描くことが出来る、表情が変わる不思議な絵に河童は大興奮だった。
「何だ、あれは?」
「似顔絵らしいぜ。描いてるのは誰だ?」
そんな河童の様子に、妖たちは釣らるように似顔絵の屋台に集まって来る。毎晩のように並ぶ屋台の中でも、やはり似顔絵の屋台は珍しいようで興味深そうに此方を伺っていた。
「あれは、噂の半妖の絵師じゃないか?」
「あの妖嫌いのか?こんな場所に居るわけなかろう。」
「いや、この街に半妖なんてあの絵師しかおらんわ!」
「フンッ!半妖だなんて、半端者は家に引っ込んどけ!」
妖嫌いの半妖の絵師というのはやっぱり此処でも有名らしく、斎の姿に妖たちはざわめいた。以前の斎ならば、きっとこんな妖だらけの大通りで必要以上に妖たちと関わることなんてしなかっただろう。斎を見た妖たちの反応は様々で、半妖の絵師を面白がる者や絵を描く斎の姿を一目見ようと近付く者も居れば、半妖という事で斎を差別する者や馬鹿にする者も居た。
その様子に以前、斎が言っていた『半端者』と言う言葉の意味もより深く理解してしまった。幽世にて半妖という存在がどうゆうものなのか、この妖たちの態度で強く思い知らされたのだ。それはあまりに、理不尽なことに思えた。好き勝手に言う妖たちに茜は、言い様のない怒りが込み上げて来る。そして、何より斎の凄さを知りもしないのに、半妖というだけで『半端者』だと評価されるのが悔しかった。
屋台に座る斎を横目に見れば、水彩色鉛筆を持つその異形の右手が小さく震えている。妖たちの視線から逃れるように深く俯いた斎の表情は、暗く影になり茜からは見えなかった。投げかけられる言葉や視線に、静かに耐えている斎の姿が辛くて苦しい。誰かを平気で傷付けるのは、人も妖も変わらないのだと茜は思った。
その時、一人の小さな影が斎への視線を遮るように立ちはだかった。
「おい!お前ら!そんな事より、これを見てみろよ!俺にそっくりだろ!すげぇだろ!これが、半妖の絵師の絵なんだぜ!」
好き勝手な事を言っていた妖たちに、斎に似顔絵を描いてもらった河童が大きな声で言う。水掻きが付いた両手で掲げられた似顔絵は、提灯の灯りに照らされて暗い夜でもはっきりと見えた。河童の行動により、自然と斎の描いた似顔絵が妖たちの注目の的になる。
色紙の中の河童は、本物と大差ないように表情を変えて誇らしげな表情をしていた。まるで生き物のような絵は、繊細な線と優しい色使いで描かれていて、描き手の人柄を映しているようだ。
河童の掲げた似顔絵に、周囲の妖たちが目を見開いて息を呑むのを感じた。それはきっと、茜が最初に斎の絵を見た時と同じ反応だっただろう。一瞬にして心を奪われてしまった、あの時の感覚を懐かしく思った。それから、そんな妖たちに届くように、茜は意を決して腹の底から声を出した。
「いらっしゃいませ〜!半妖の絵師に、似顔絵を描いてもらえる機会なんて今しかないですよ!凄く素敵な絵なので、ぜひ思い出にどうですか〜?」
大通りに響き渡った茜の声に、隣に居た斎が顔を上げる気配を感じる。茜の呼び掛けに、斎の似顔絵を見た周囲の妖たちは再びざわめき始めた。
「いやー、あの絵は鳥肌ものだ!今すぐにでも似顔絵を頼みたい!」
「あんな凄い絵、私にも描いてほしいわ!」
「確かに、あの妖嫌いの半妖の絵師に描いてもらえる機会なんてなかなか無いだろう。これは良い機会かもしれんな!」
「まさか半妖の絵師に、こんな場所でお目にかかれるとは…!」
斎の似顔絵を見た妖たちは、再び様々な反応を見せた。その様子に、先程半妖を馬鹿にするかのように好き勝手に言っていた一部の妖は、面白くなさそうに眉間に皺を寄せて黙って去って行く。
そして、それ以外の妖たちは屋台で似顔絵を描く斎を見ると、興奮したようにわらわらと駆け寄って来た。いつの間にか似顔絵の屋台には、斎を取り囲むように沢山の妖たちが集まっている。その多くの視線に斎も茜も驚き肩を震わせるが、妖たちの視線は先程のように半妖だと差別する冷たいものでは無く、斎の描く作品をまだかまだかと心待ちにしている温かいものだった。
河童が斎の描いた似顔絵を見せたことにより、似顔絵の屋台にはあっという間に長蛇の列が出来た。妖たちは徐々に増えていき、様々な姿をした妖たちが群れを成していく様子はまるで百鬼夜行のようだ。
その光景に圧倒されていたら、似顔絵を描く斎から声が掛けられる。
「茜!お前も手伝え!」
「え!?…でも、私は斎みたいな絵は描けないよ?」
「この妖たちを、俺一人で捌くのは無理だ!お前だって絵は描けるだろ?」
斎は慌ただしく絵を描きながらも、筆付きは優雅で流れるようだ。一人一人の妖を、丹精込めて丁寧に描いている。
「けど、そんな自信ないよ!」
昔から絵を描くのは好きだが、斎のような絵が描けるのか茜には自信が無かった。斎のように絵が動くような芸当は出来ないし、斎の絵と比べれば自分の絵はまだまだ未熟だと茜は思う。そんな自分が、果たして妖たちの満足がいく絵を描けるだろうか。
不安そうに眉を寄せた茜に、斎は似顔絵を描いていた手を止めて真っ直ぐに視線を向ける。
「お前は、お前の絵を描けば良い。…俺の弟子だろ。」
穏やかな声で告げられた言葉に、茜はハッとして斎を見た。夜空のように澄み渡った美しい瞳が茜を射抜く。
斎のような絵を描けるのかという不安は、月を覆っていた雲のように緩やかに流れていった。顔を出した優しい光が、茜を照らす。
いつも一人で絵を描いてきた茜にとって、斎が『弟子』だと認めてくれたことが、どうしようもないくらいに嬉しかった。じわじわと胸を満たす熱が、身体中に広がっていく。
「うん!分かった!」
茜は力強く答えると、屋台に並ぶ妖たちにを相手に水彩色鉛筆を手に取った。自分の画力は、まだまだ未熟だと分かっている。それでも、自分を認めてくれた斎の為にも茜は精一杯絵を描きたいと思った。斎の弟子として、自分の絵を描こうと強く心に誓ったのだ。
あれから数時間が経ち、妖たちの列もだいぶ落ち着いてきた。まさか思いつきで始めた似顔絵の屋台が、ここまで人気が出るとは思わず、茜は若干疲弊していた。
夜も更けていき、大通りに出ていた屋台も徐々に灯りを消して店仕舞いを始めている。賑やかだった妖たちも、一人また一人と家路につく。フゥーッと一息吐いた茜の隣で、妖の似顔絵を描き終えた斎が絵筆を置いた。
「お前のおかげで、思ったよりも早く絵の具が買えそうだ。」
「本当に?それは良かった!」
「あぁ、本当に助かった。ありがとうな。」
「…うん!」
斎の言葉に茜は、やっと斎の役に立つ事が出来たんだと嬉しくなる。突然幽世にやって来てしまってから斎の元に置かせてもらっていたが、仕事の邪魔になっているんじゃないかと不安はずっとあった。
それでも、今回のことで少し自分に自信が持てた気がする。たくさんの妖たちの似顔絵を描いていく中で、「お前絵が上手いな!」と茜の絵を喜んでくれる妖も居た。自分の描いた絵を喜んで貰えるのが嬉しくて、それは茜が生まれて初めて味わう温かい感情だった。
先程までの出来事を振り返りながら、少し微笑む。チラリと盗み見た斎の横顔も緩く口角が上がっていて、また茜は嬉しい気持ちになった。
「これは驚きました、まさか噂が本当だったとは…!」
不意に聞こえた聞き覚えがある声に顔を向ければ、ふさふさとした尻尾を揺らす翠が屋台の前に立っていた。
「翠さん!来てくれたんですか?」
「えぇ、何でも半妖の絵師が屋台を出していると噂で聞きましてね!本当に斎殿がいらっしゃるとは思いもしませんでしたが。」
翡翠色の瞳をチラリと斎に向けて、心底驚いたという表情で話す翠に斎は「チッ!」舌打ちをした。そんな斎の様子に、翠は軽く肩をすくめる。
「翠さんは似顔絵いかがですか?」
「いえ、今日はもう遅い時間なので、後日また伺っても良いですか?」
「はい!ぜひ、お待ちしています!」
店仕舞いを始めた周辺の屋台を見ながら、申し訳なそうに眉をハの字にした翠に茜は元気良く告げた。
「そろそろ、俺たちも片付けるか?」
「そうだね!」
立て掛けていた看板を外して、絵筆や水彩色鉛筆などの画材を片付ける。茜と斎が片付けるのを翠は手伝ってくれた。
「あら、一歩遅かったかしらね。」
「本当だ、ちょうど終わってしまったようだね。」
屋台の灯りを消したところで聞こえて来た声に振り向けば、二人組の妖が居た。二人共、頭に二つの耳が生えていて背後ではふさふさとした尻尾が揺れている。一人は渋い深緑色の着流しをサラッと着こなした男前で、もう一人は華やかな着物を着て片耳に花飾りを着けている美人だ。二人寄り添う姿はとてもお似合いで、仲睦まじい夫婦のように見えた。
「姉上!」
二人組の妖を見た瞬間に、翠は手伝っていた手を止めてそう呼んだ。
「やっぱり、翠も来ていたのね。」
翠に『姉上』と呼ばれた妖は、翠と同じように耳も尻尾も白く、艶やかな生糸のような髪に薄い桃色の瞳をしていてとても美しい。ふさふさとした尻尾を揺らす二人の見た目がそっくりで、茜はすぐに二人は姉弟だと気付いた。
「少し時間が出来たから、斎殿に私達の似顔絵を描いてもらいたかったのだけど、ちょっと遅かったみたいね。またの機会にするわ。」
翠の姉は屋台の片付けをしていた斎にそう言って微笑むと、「あぁ、そうしてくれ。」と斎も翠の姉と顔見知りのようで、先程までの少しだけぎこちない接客と比べてに気軽そうに話していた。
その様子を黙って伺っていれば、不意に翠の姉と目が合った。翠とよく似て整った顔立ちは、思わず見惚れてしまう。薄い桃色の瞳は、柔らかく弧を描くように細められた。
「貴女が、斎殿の弟子になったという茜様ですか?」
「は、はい…!」
「翠から、色々とお話を伺っています。私は翠の姉の催花《さいか》と申します。此方は婚約者の玄天《げんてん》です。」
催花は丁寧に茜に向かってそう告げると、隣に居た妖を紹介した。
「茜様、はじめまして。催花の婚約者で日照雨屋の九尾の息子、玄天と申します。以後お見知りおきを。」
切れ長の狐目を緩めて礼儀正しく頭を下げてくれた玄天に、茜はとても真面目な印象を受けた。翠や催花と違って、玄天の耳と尻尾は金色で毛並みがとても美しい。そして、旦那様と同じように玄天も赤い瞳を持っていた。
「催花さん、玄天さん。はじめまして、立原茜です。」
茜が少し緊張しながらも挨拶をすると、催花も玄天も笑って受け入れてくれた。それが、なんだか気恥ずかしくも感じる。幽世に来てから、茜は現世に居た時以上に誰かと繋がりを持てているような気がするのだ。
「斎殿、茜様。この度は嫁入りの傘に絵を描いてくださるということで、誠にありがとうございます。」
「…俺からの祝だ。気にすんな。」
催花からの感謝の声に、斎は少し照れ臭そうにそっぽ向いて答える。そんな斎に続き、茜も「本当に、おめでとうございます!」と二人に告げた。
「ありがとうございます!当日、斎殿の作品を拝見出来るのが楽しみです!」
二人が微笑むのに釣られて茜も自然と笑顔になっていれば、不意に玄天が赤色の瞳を輝かせて茜に視線を送ってきた。一体何だろうと不思議に思えば、玄天は感激したように口を開く。
「立派な鬼の面ですね!」
「へっ!?いえ、あの、これは…!」
玄天と催花は、茜の顔を見て優雅に微笑む。それに対して、茜は自分が強烈に恐ろしい鬼の面を着けていたことを思い出し、じわじわと羞恥心に駆られた。やっぱり姿形が様々に異なる妖でも気になる程、この斎が描いた面の迫力は強いのだろう。
そんな慌てる茜を見ながら、斎は傘職人の唐々に鬼の面について言われた時のように「ブフッ…!」と吹き出して、あの時よりも表情豊かにケラケラと肩を揺らしながら笑った。そのあからさまな様子にムカッと来た茜は、鬼の面の下で斎をギロリと睨みつける。この強烈な鬼の絵を描いたのは、斎だというのに全く酷いことだ。
フンッとそっぽを向くように周りを見渡せば、翠も催花も玄天でさえ、いまだに笑い続けている斎を驚いたように見つめた。
「斎殿が、笑ってる…」
目を見開き、ポツリと零すように翠が言う。斎が笑うのはそんなに珍しいだろうかと、茜は首を傾げた。確かに、ここまで豪快に笑っている姿はあまり見たことがないが、最近の斎は瞳を緩めたり口角を上げたりと以前よりも表情が増えた気がする。
整っている顔をクシャリと歪めて、可笑しそうに笑っている斎にムッとしつつも、こちらまでその笑いが伝染してしまうような少し穏やかな気持ちになった。
「やっぱり、茜様が幽世に来てくれて良かったです。」
翠は斎から目を離して、茜を真っ直ぐに見て言う。そう言う翠に茜は、翠が以前、打ち明けてくれた斎の話を思い出した。
半妖ということもあるのか、あまり妖たちと関わることをして来なかったという斎。そんな斎が妖たちが賑わう大通りで屋台を出してぎこちない接客をする姿も、こうやって腹抱えて笑う姿も今までに無かった姿なのかもしれない。
翠は茜が幽世に来てくれて良かったというけれど、茜の方こそ此処に来れて良かったと思う。
「おい、そろそろ帰んぞ。」
ようやく笑いが収まったのか、斎はゴホンと一つ咳をして口角を緩く上げて言った。
「では、私達も失礼しましょうか。」
催花も斎の言葉にそう続けた。玄天は催花の手を優しく握ると、「結婚の準備でなかなか来られないかもしれませんが、またの機会に絶対に似顔絵を描いてもらいに行きますね。」と斎と茜に会釈した。
「では、また。」
そう言って去って行く二人の後ろ姿は、本当に仲睦まじくて幸せの形を表しているようだった。
お似合いな二人の結婚を、和傘という作品で携われるのは素敵なことだなと改めて思う。傘職人の唐々が作った繊細な和傘に、半妖の絵師の斎が絵を描いた唯一無二の作品。それが嫁入りする催花さんの手元に届くのが待ち遠しく感じる。
「あっ!そうだ!」
そんなことを思っていたら、不意に一つの案が茜の頭に浮かび上がってきた。一度、浮かんでしまった案を放棄することは出来ずに、茜は思うがままに走り出す。「おい!何処に行く!?」「茜様!?」と、片付けた荷物を手にした斎と翠が叫ぶのも気にせずに茜は動いた。
「あ、あの!ちょっと良いですか?」
追いついた背中にそう問いかければ、「ん?」と催花と玄天の二人がゆっくりと振り返る。
「あら?茜様、どうかしましたか?」
慌てて追いかけて来た茜を、不思議そうに見つめながら催花は茜に聞く。茜はポケットから、幽世に来てから全く触れることも無くなったスマートフォンを取り出して二人に見せた。
「写真を、撮っても良いですか?」
「写真?」
茜の言葉に、催花も玄天もコテリと首を傾げた。
そんな中で、ぞろぞろと大通りに増えていく妖たちの群れに、茜は顔に着けた鬼の面を不安そうに撫でる。手に触れた固く冷たい感触を確かめると、緊張を吐き出すように深く息を吐いた。
「いっ、いらっしゃいませ〜!似顔絵は要りませんか〜?」
出し慣れてない大きな声は情けなく震えて、雑踏に消えていく。
三毛猫の妖の画材店に行った日から数日後、大通りに並ぶ屋台の一角で、『似顔絵』と書かれた看板が立て掛けられた簡素な屋台に茜たちは居た。水彩絵の具を買い取る為の資金調達として、茜と斎はこの大通りで毎晩似顔絵を売ることにしたのだ。この大通りの屋台は誰でも出店して良いらしく、割りと簡単に屋台を出すことが出来た。そして、今夜はその似顔絵の屋台オープン初日だ。斎も茜も似顔絵の店を出すのは初めてのことなので、少しだけ緊張していた。
「…おい、そこのお前。似顔絵に興味は無いか?」
斎は賑わう妖たちに戸惑いつつも、水彩絵の具の事もあるからか、積極的に屋台から声を掛けていた。
「似顔絵だぁ?」
声を掛けられた全身鱗まみれの河童は、斎の言葉に不思議そうに首を傾げた。やはり、この幽世では屋台で似顔絵を売るという発想は珍しいものなのだろうか。河童は水掻きの付いた足を止めて、ペタペタと簡素な屋台に立て掛けられた看板を覗き込む。
「時間はかからない、一回この値段でやってる。…どうだ?」
看板の下に小さく書かれた似顔絵一回分の値段を指差して、斎は少し自信無さげに河童の妖に聞いた。
ずっと他者との関わりを避けながら、ひっそりと絵師として生きてきた斎にとって、賑わう屋台で商売したり積極的に客を捕まえたりなんて当然慣れない行動なのだろう。それでも戸惑いながら、真剣な眼差しで河童を見つめる斎の姿に茜は少し感動を覚えた。
斎の接客に半分ほど瞼が降りていた河童は、ギョロリとした瞳を見開いて気分良く言った。
「へぇー、似顔絵なんて珍しいな。乗った!すげぇ格好良く描いてくれよ!」
「あぁ…!任せとけ。」
河童の言葉に、ホッとしたように瞳を緩めた斎は強く頷く。屋台の前に設置された椅子に河童を座らせて、斎は早速似顔絵を描き始めた。
先日、三毛猫の妖が営む画材店で大量に購入した色紙に、流れるように絵筆を滑らせながら河童を描いていく。短時間で描きあげるべく、異形の右手の迷いのない筆さばきは見ていて気持ちが良い。そんな斎の描く姿に、茜も河童も自然と目を奪われていった。
あっと言う間に河童の姿が、色紙の中に浮かぶ。粗方描き終えると斎は絵筆を置いて、茜が持っている水彩色鉛筆を借りて色塗りを始めた。陰影は意識しながらも柔らかい印象を与える色鉛筆は、河童のゆったりとした雰囲気を捉えていてとても良く似ている。
暫くして描き上げた似顔絵を、斎は河童に手渡した。河童は水掻きの付いた手で似顔絵を受け取ると、ゴクリと息を呑んだ。
「す、すげぇ!何だコレ!?」
河童の嘴から放たれた大きな声は、賑わう大通りでもハッキリと響き渡る。その声に「何だ?あの屋台か?」と不思議そうに行き交う妖たちも足を止めた。
「こんなすげぇ絵は見たことねぇ!」
河童が掲げた色紙には、斎が描いたそっくりの河童が居た。丸い皿を頭に乗せた河童は色紙の中で、半分ほど瞼を下ろしてから目を細めてケラリと笑う。半妖の絵師の斎だからこそ描くことが出来る、表情が変わる不思議な絵に河童は大興奮だった。
「何だ、あれは?」
「似顔絵らしいぜ。描いてるのは誰だ?」
そんな河童の様子に、妖たちは釣らるように似顔絵の屋台に集まって来る。毎晩のように並ぶ屋台の中でも、やはり似顔絵の屋台は珍しいようで興味深そうに此方を伺っていた。
「あれは、噂の半妖の絵師じゃないか?」
「あの妖嫌いのか?こんな場所に居るわけなかろう。」
「いや、この街に半妖なんてあの絵師しかおらんわ!」
「フンッ!半妖だなんて、半端者は家に引っ込んどけ!」
妖嫌いの半妖の絵師というのはやっぱり此処でも有名らしく、斎の姿に妖たちはざわめいた。以前の斎ならば、きっとこんな妖だらけの大通りで必要以上に妖たちと関わることなんてしなかっただろう。斎を見た妖たちの反応は様々で、半妖の絵師を面白がる者や絵を描く斎の姿を一目見ようと近付く者も居れば、半妖という事で斎を差別する者や馬鹿にする者も居た。
その様子に以前、斎が言っていた『半端者』と言う言葉の意味もより深く理解してしまった。幽世にて半妖という存在がどうゆうものなのか、この妖たちの態度で強く思い知らされたのだ。それはあまりに、理不尽なことに思えた。好き勝手に言う妖たちに茜は、言い様のない怒りが込み上げて来る。そして、何より斎の凄さを知りもしないのに、半妖というだけで『半端者』だと評価されるのが悔しかった。
屋台に座る斎を横目に見れば、水彩色鉛筆を持つその異形の右手が小さく震えている。妖たちの視線から逃れるように深く俯いた斎の表情は、暗く影になり茜からは見えなかった。投げかけられる言葉や視線に、静かに耐えている斎の姿が辛くて苦しい。誰かを平気で傷付けるのは、人も妖も変わらないのだと茜は思った。
その時、一人の小さな影が斎への視線を遮るように立ちはだかった。
「おい!お前ら!そんな事より、これを見てみろよ!俺にそっくりだろ!すげぇだろ!これが、半妖の絵師の絵なんだぜ!」
好き勝手な事を言っていた妖たちに、斎に似顔絵を描いてもらった河童が大きな声で言う。水掻きが付いた両手で掲げられた似顔絵は、提灯の灯りに照らされて暗い夜でもはっきりと見えた。河童の行動により、自然と斎の描いた似顔絵が妖たちの注目の的になる。
色紙の中の河童は、本物と大差ないように表情を変えて誇らしげな表情をしていた。まるで生き物のような絵は、繊細な線と優しい色使いで描かれていて、描き手の人柄を映しているようだ。
河童の掲げた似顔絵に、周囲の妖たちが目を見開いて息を呑むのを感じた。それはきっと、茜が最初に斎の絵を見た時と同じ反応だっただろう。一瞬にして心を奪われてしまった、あの時の感覚を懐かしく思った。それから、そんな妖たちに届くように、茜は意を決して腹の底から声を出した。
「いらっしゃいませ〜!半妖の絵師に、似顔絵を描いてもらえる機会なんて今しかないですよ!凄く素敵な絵なので、ぜひ思い出にどうですか〜?」
大通りに響き渡った茜の声に、隣に居た斎が顔を上げる気配を感じる。茜の呼び掛けに、斎の似顔絵を見た周囲の妖たちは再びざわめき始めた。
「いやー、あの絵は鳥肌ものだ!今すぐにでも似顔絵を頼みたい!」
「あんな凄い絵、私にも描いてほしいわ!」
「確かに、あの妖嫌いの半妖の絵師に描いてもらえる機会なんてなかなか無いだろう。これは良い機会かもしれんな!」
「まさか半妖の絵師に、こんな場所でお目にかかれるとは…!」
斎の似顔絵を見た妖たちは、再び様々な反応を見せた。その様子に、先程半妖を馬鹿にするかのように好き勝手に言っていた一部の妖は、面白くなさそうに眉間に皺を寄せて黙って去って行く。
そして、それ以外の妖たちは屋台で似顔絵を描く斎を見ると、興奮したようにわらわらと駆け寄って来た。いつの間にか似顔絵の屋台には、斎を取り囲むように沢山の妖たちが集まっている。その多くの視線に斎も茜も驚き肩を震わせるが、妖たちの視線は先程のように半妖だと差別する冷たいものでは無く、斎の描く作品をまだかまだかと心待ちにしている温かいものだった。
河童が斎の描いた似顔絵を見せたことにより、似顔絵の屋台にはあっという間に長蛇の列が出来た。妖たちは徐々に増えていき、様々な姿をした妖たちが群れを成していく様子はまるで百鬼夜行のようだ。
その光景に圧倒されていたら、似顔絵を描く斎から声が掛けられる。
「茜!お前も手伝え!」
「え!?…でも、私は斎みたいな絵は描けないよ?」
「この妖たちを、俺一人で捌くのは無理だ!お前だって絵は描けるだろ?」
斎は慌ただしく絵を描きながらも、筆付きは優雅で流れるようだ。一人一人の妖を、丹精込めて丁寧に描いている。
「けど、そんな自信ないよ!」
昔から絵を描くのは好きだが、斎のような絵が描けるのか茜には自信が無かった。斎のように絵が動くような芸当は出来ないし、斎の絵と比べれば自分の絵はまだまだ未熟だと茜は思う。そんな自分が、果たして妖たちの満足がいく絵を描けるだろうか。
不安そうに眉を寄せた茜に、斎は似顔絵を描いていた手を止めて真っ直ぐに視線を向ける。
「お前は、お前の絵を描けば良い。…俺の弟子だろ。」
穏やかな声で告げられた言葉に、茜はハッとして斎を見た。夜空のように澄み渡った美しい瞳が茜を射抜く。
斎のような絵を描けるのかという不安は、月を覆っていた雲のように緩やかに流れていった。顔を出した優しい光が、茜を照らす。
いつも一人で絵を描いてきた茜にとって、斎が『弟子』だと認めてくれたことが、どうしようもないくらいに嬉しかった。じわじわと胸を満たす熱が、身体中に広がっていく。
「うん!分かった!」
茜は力強く答えると、屋台に並ぶ妖たちにを相手に水彩色鉛筆を手に取った。自分の画力は、まだまだ未熟だと分かっている。それでも、自分を認めてくれた斎の為にも茜は精一杯絵を描きたいと思った。斎の弟子として、自分の絵を描こうと強く心に誓ったのだ。
あれから数時間が経ち、妖たちの列もだいぶ落ち着いてきた。まさか思いつきで始めた似顔絵の屋台が、ここまで人気が出るとは思わず、茜は若干疲弊していた。
夜も更けていき、大通りに出ていた屋台も徐々に灯りを消して店仕舞いを始めている。賑やかだった妖たちも、一人また一人と家路につく。フゥーッと一息吐いた茜の隣で、妖の似顔絵を描き終えた斎が絵筆を置いた。
「お前のおかげで、思ったよりも早く絵の具が買えそうだ。」
「本当に?それは良かった!」
「あぁ、本当に助かった。ありがとうな。」
「…うん!」
斎の言葉に茜は、やっと斎の役に立つ事が出来たんだと嬉しくなる。突然幽世にやって来てしまってから斎の元に置かせてもらっていたが、仕事の邪魔になっているんじゃないかと不安はずっとあった。
それでも、今回のことで少し自分に自信が持てた気がする。たくさんの妖たちの似顔絵を描いていく中で、「お前絵が上手いな!」と茜の絵を喜んでくれる妖も居た。自分の描いた絵を喜んで貰えるのが嬉しくて、それは茜が生まれて初めて味わう温かい感情だった。
先程までの出来事を振り返りながら、少し微笑む。チラリと盗み見た斎の横顔も緩く口角が上がっていて、また茜は嬉しい気持ちになった。
「これは驚きました、まさか噂が本当だったとは…!」
不意に聞こえた聞き覚えがある声に顔を向ければ、ふさふさとした尻尾を揺らす翠が屋台の前に立っていた。
「翠さん!来てくれたんですか?」
「えぇ、何でも半妖の絵師が屋台を出していると噂で聞きましてね!本当に斎殿がいらっしゃるとは思いもしませんでしたが。」
翡翠色の瞳をチラリと斎に向けて、心底驚いたという表情で話す翠に斎は「チッ!」舌打ちをした。そんな斎の様子に、翠は軽く肩をすくめる。
「翠さんは似顔絵いかがですか?」
「いえ、今日はもう遅い時間なので、後日また伺っても良いですか?」
「はい!ぜひ、お待ちしています!」
店仕舞いを始めた周辺の屋台を見ながら、申し訳なそうに眉をハの字にした翠に茜は元気良く告げた。
「そろそろ、俺たちも片付けるか?」
「そうだね!」
立て掛けていた看板を外して、絵筆や水彩色鉛筆などの画材を片付ける。茜と斎が片付けるのを翠は手伝ってくれた。
「あら、一歩遅かったかしらね。」
「本当だ、ちょうど終わってしまったようだね。」
屋台の灯りを消したところで聞こえて来た声に振り向けば、二人組の妖が居た。二人共、頭に二つの耳が生えていて背後ではふさふさとした尻尾が揺れている。一人は渋い深緑色の着流しをサラッと着こなした男前で、もう一人は華やかな着物を着て片耳に花飾りを着けている美人だ。二人寄り添う姿はとてもお似合いで、仲睦まじい夫婦のように見えた。
「姉上!」
二人組の妖を見た瞬間に、翠は手伝っていた手を止めてそう呼んだ。
「やっぱり、翠も来ていたのね。」
翠に『姉上』と呼ばれた妖は、翠と同じように耳も尻尾も白く、艶やかな生糸のような髪に薄い桃色の瞳をしていてとても美しい。ふさふさとした尻尾を揺らす二人の見た目がそっくりで、茜はすぐに二人は姉弟だと気付いた。
「少し時間が出来たから、斎殿に私達の似顔絵を描いてもらいたかったのだけど、ちょっと遅かったみたいね。またの機会にするわ。」
翠の姉は屋台の片付けをしていた斎にそう言って微笑むと、「あぁ、そうしてくれ。」と斎も翠の姉と顔見知りのようで、先程までの少しだけぎこちない接客と比べてに気軽そうに話していた。
その様子を黙って伺っていれば、不意に翠の姉と目が合った。翠とよく似て整った顔立ちは、思わず見惚れてしまう。薄い桃色の瞳は、柔らかく弧を描くように細められた。
「貴女が、斎殿の弟子になったという茜様ですか?」
「は、はい…!」
「翠から、色々とお話を伺っています。私は翠の姉の催花《さいか》と申します。此方は婚約者の玄天《げんてん》です。」
催花は丁寧に茜に向かってそう告げると、隣に居た妖を紹介した。
「茜様、はじめまして。催花の婚約者で日照雨屋の九尾の息子、玄天と申します。以後お見知りおきを。」
切れ長の狐目を緩めて礼儀正しく頭を下げてくれた玄天に、茜はとても真面目な印象を受けた。翠や催花と違って、玄天の耳と尻尾は金色で毛並みがとても美しい。そして、旦那様と同じように玄天も赤い瞳を持っていた。
「催花さん、玄天さん。はじめまして、立原茜です。」
茜が少し緊張しながらも挨拶をすると、催花も玄天も笑って受け入れてくれた。それが、なんだか気恥ずかしくも感じる。幽世に来てから、茜は現世に居た時以上に誰かと繋がりを持てているような気がするのだ。
「斎殿、茜様。この度は嫁入りの傘に絵を描いてくださるということで、誠にありがとうございます。」
「…俺からの祝だ。気にすんな。」
催花からの感謝の声に、斎は少し照れ臭そうにそっぽ向いて答える。そんな斎に続き、茜も「本当に、おめでとうございます!」と二人に告げた。
「ありがとうございます!当日、斎殿の作品を拝見出来るのが楽しみです!」
二人が微笑むのに釣られて茜も自然と笑顔になっていれば、不意に玄天が赤色の瞳を輝かせて茜に視線を送ってきた。一体何だろうと不思議に思えば、玄天は感激したように口を開く。
「立派な鬼の面ですね!」
「へっ!?いえ、あの、これは…!」
玄天と催花は、茜の顔を見て優雅に微笑む。それに対して、茜は自分が強烈に恐ろしい鬼の面を着けていたことを思い出し、じわじわと羞恥心に駆られた。やっぱり姿形が様々に異なる妖でも気になる程、この斎が描いた面の迫力は強いのだろう。
そんな慌てる茜を見ながら、斎は傘職人の唐々に鬼の面について言われた時のように「ブフッ…!」と吹き出して、あの時よりも表情豊かにケラケラと肩を揺らしながら笑った。そのあからさまな様子にムカッと来た茜は、鬼の面の下で斎をギロリと睨みつける。この強烈な鬼の絵を描いたのは、斎だというのに全く酷いことだ。
フンッとそっぽを向くように周りを見渡せば、翠も催花も玄天でさえ、いまだに笑い続けている斎を驚いたように見つめた。
「斎殿が、笑ってる…」
目を見開き、ポツリと零すように翠が言う。斎が笑うのはそんなに珍しいだろうかと、茜は首を傾げた。確かに、ここまで豪快に笑っている姿はあまり見たことがないが、最近の斎は瞳を緩めたり口角を上げたりと以前よりも表情が増えた気がする。
整っている顔をクシャリと歪めて、可笑しそうに笑っている斎にムッとしつつも、こちらまでその笑いが伝染してしまうような少し穏やかな気持ちになった。
「やっぱり、茜様が幽世に来てくれて良かったです。」
翠は斎から目を離して、茜を真っ直ぐに見て言う。そう言う翠に茜は、翠が以前、打ち明けてくれた斎の話を思い出した。
半妖ということもあるのか、あまり妖たちと関わることをして来なかったという斎。そんな斎が妖たちが賑わう大通りで屋台を出してぎこちない接客をする姿も、こうやって腹抱えて笑う姿も今までに無かった姿なのかもしれない。
翠は茜が幽世に来てくれて良かったというけれど、茜の方こそ此処に来れて良かったと思う。
「おい、そろそろ帰んぞ。」
ようやく笑いが収まったのか、斎はゴホンと一つ咳をして口角を緩く上げて言った。
「では、私達も失礼しましょうか。」
催花も斎の言葉にそう続けた。玄天は催花の手を優しく握ると、「結婚の準備でなかなか来られないかもしれませんが、またの機会に絶対に似顔絵を描いてもらいに行きますね。」と斎と茜に会釈した。
「では、また。」
そう言って去って行く二人の後ろ姿は、本当に仲睦まじくて幸せの形を表しているようだった。
お似合いな二人の結婚を、和傘という作品で携われるのは素敵なことだなと改めて思う。傘職人の唐々が作った繊細な和傘に、半妖の絵師の斎が絵を描いた唯一無二の作品。それが嫁入りする催花さんの手元に届くのが待ち遠しく感じる。
「あっ!そうだ!」
そんなことを思っていたら、不意に一つの案が茜の頭に浮かび上がってきた。一度、浮かんでしまった案を放棄することは出来ずに、茜は思うがままに走り出す。「おい!何処に行く!?」「茜様!?」と、片付けた荷物を手にした斎と翠が叫ぶのも気にせずに茜は動いた。
「あ、あの!ちょっと良いですか?」
追いついた背中にそう問いかければ、「ん?」と催花と玄天の二人がゆっくりと振り返る。
「あら?茜様、どうかしましたか?」
慌てて追いかけて来た茜を、不思議そうに見つめながら催花は茜に聞く。茜はポケットから、幽世に来てから全く触れることも無くなったスマートフォンを取り出して二人に見せた。
「写真を、撮っても良いですか?」
「写真?」
茜の言葉に、催花も玄天もコテリと首を傾げた。