景色は白い世界に包まれていた。見覚えのある場所。初めて死後の世界に来た時に見た景色だった。
ここは、死後の世界。
どうやら来衣先輩と話の途中で、早川未蘭としての時間に終わりがきたようだ。
来衣先輩に好きと伝えることができなかった。この消えてしまう気持ちを伝えたかったのに。誰にも伝わることなく消えてしまう。
私はその場に力なくしゃがみ込んだ。
もう会うことのできない来衣先輩。脳裏に棲みついて離れない。
「未蘭ちゃん、7日間の仕事お疲れさまでした」
泣き崩れる私をそっと包み込んでくれたのは楓さんだった。
顔を上げると、心配そうに眉を八の字に下げる柊も待っていてくれた。二人の顔を見たらなぜか、また泣きたくなった。
「あれ、柊の仕事の7日間はとっくに終わってるはずだよね?」
「まー、あれだ。気にすんな」
俯き加減に視線を逸らす。柊は視線を合わそうとしない。
私はルール違反をたくさんしてしまった。
仮死状態の自分に戻ることも、勝ち組に生まれ変わることも、もうできないだろう。
でも、自分のしてきたことに後悔は何一つしていない。覚悟もできていた。
「楓さん、あの! 来衣先輩は死亡予定者リストから消えていますか?」
「ええ、消えたわよ」
「よ、よかったあ。私のせいで死んでしまうところでした」
「それは違うわよ。最上来衣くんは、交通事故で死ぬ確率があの日、あの時間に高かった。未蘭ちゃんがいなければ違う場所で事故に遭っていたということ。つまり、未蘭ちゃんが最上来衣くんを助けたっていうこと」
「……それなら、よかった」
力なく呟いた。
私でも、人の役に立てた。大好きな人を助けることが出来た。そう思うと不思議と決意も固まった。頬を伝う涙を拭って顔を上げる。
「コホン、ここからは形式的になっちゃうけど、早川未蘭さん、無事に仕事を成し遂げました。勝ち組の人生を選ぶことができます」
「……え」
「誰に生まれ変わりますか? 今だと、女優と俳優の子供。政治家の子供も選べるわよ?」
「待ってください。私はたくさんのルール違反をしました。だから、死後の世界に強制連行されるんですよね?」
「確かに、こんなにルール違反をする守護霊代行はいなかったわ。でも、こんなに誰かをたくさん助ける守護霊代行もいなかった」
「……」
「こんなに良い子でたくさんの人を助けたのよ? 神様だって許してくれるでしょ。ルール違反についてはお咎めなしよ?」
「ほ、本当に……? ありがとうございます」
「もう一度聞くね。誰に生まれ変わりたい?」
「わ、私、勝ち組の人生じゃなくて、早川未蘭に戻りたいです!」
「……今なら総理大臣の孫も選べるわよ? あと、人気アイドル夫婦の子供も! 容姿端麗、勝ち組確定の人生になるわよ。このタイミングに遭遇するなんて何十年にあるかないかの幸運よ?」
「……私にとっては、早川未蘭の人生がなにより勝ち組なんです」
今の気持ちを精一杯込めて伝えた。その言葉を肯定してくれるかのように、楓さんはゆっくり頷いた。
「そう言うと思ってたの。上層部に許可済みよ」
「えっと? つまり……?」
「早川未蘭ちゃんの人生に戻れるってこと」
「ほ、本当ですか?!」
自然と溢れ出た涙はあたたかい。頬を伝うこの涙は嬉し涙だ。
「よかったな、未蘭」
「うん、……ありがとう」
私の背中をポンっと叩いたのは柊だった。
「お礼は楓さんに言えよ? 何も言わないけど、上層部に頭下げて頼んでくれたんだぜ? 本当はルール違反の罰で死後の世界に強制連行されるはずだったんだから」
「柊! 言わない約束でしょ?」
柊の言葉に被せるように楓さんは投げかけた。
やっぱり、死後の世界に連れていかれるはずだったんだ。
「別に、悪いことじゃないんだから、隠す必要ないじゃん」
「柊もでしょ? ルール違反の罰がないのはね、柊がその罰の代わりに守護霊代行の仕事を1ヵ月延長したからなのよ」
「あー! 俺のことは内緒って言っただろ!」
私のために二人が犠牲になったってこと?
「そ、そんな、私のために二人が犠牲になるなんて。私が悪いんだもん、私が延長します!」
私の申し出を断るように、顔を大きく左右に振った。
「だめよ。仮死状態の未蘭ちゃんの身体の期限は7日間。延長したら、二度と早川未蘭ちゃんの身体には戻れない」
「……そ、んな」
「まあ、気にすんなよ、俺も楓さんも自ら申し出て好きでやったことだから」
「でも……」
「それに犠牲だなんて思ってないよ? 未蘭ちゃんを助けたいと思った。ただそれだけ。未蘭ちゃんだって、最上来衣くんを助けたのは、見返りを求めて助けてたわけじゃないでしょ?」
「それは、もちろん! ただ、助けたかったからです」
「私たちも同じ。ただ、未蘭ちゃんを助けたいの。未蘭ちゃんの身体に戻ったら、この記憶も忘れてしまうけど、今の未蘭ちゃんなら大丈夫。現世でもたくさんの幸せが待ってるよ」
私の背中をポンっと押した。背中を押されて前に出た私の目の前には、見覚えのある大きな扉があった。
初めて死後の世界に来た時に見たものだ。
楓さんと柊との別れが目の前まできている。
泣きたくなる気持ちを、拳をぎゅっと握ってしまいこんだ。
笑顔でさよならしたい。そう思ったんだ。
「楓さん、柊! 本当にありがとうございました。……二人に出会えてよかったです」
私の投げかけた言葉に返事をするように、大きく頷いて微笑んだ。
その笑顔に背中を押され、足を進める。深呼吸をして大きな扉の中に、自分の足で踏み込んだ。
目を開けると白い世界が広がる。
ありがとう。出会えてよかった。