꙳

 一人目の仕事が終わり、少し自信がついた。
 今日からは柊はいない。独り立ちだ。

 〜♬
 スマホの着信音が鳴る。


 ――
 本日の担当。
 田口 大和たぐち やまと 28歳 男性
 職業:桜ヶ丘高校 教師
 ――


 今日担当する人物の詳細がスマホに送られてきた。表示された名前には見覚えがある。


「まじか。うわー、」


 自然と不満の声が漏れた。
 担当する田口大和は桜ヶ丘高校の教師だ。仏頂面で無愛想で元気がない。それに加えていつも眉間に皺を寄せているので、怖いという印象しかない先生だった。
 
 田口先生は三年生の受け持ちなので、直接関わりはない。それでも生徒からは驚くほど人気がないことは噂で知っていた。

 正直少し気が重かい。田口先生の良くない噂を知っていたし、なにより不愛想で怖くて近寄りたくなかった。心に重苦しいものが広がっていく。嫌だと思っても担当するしかないので、なんとか自分の気持ちを奮い立たせた。



 まだ早朝。街は眠ってるように静かだった。大きく深呼吸をして、風と匂いを目一杯吸い込んだ。

 田口先生の元へ向かうため歩いていると、心地良い風が頬を撫でる。

 死後の世界は匂いも風も感じなかったので、頬を撫でる風が現世にいる証拠だった。そよりと吹く風が心地よい。
 

 

 しばらくすると、担当する田口先生の元に辿り着いた。

「情報によると、この部屋に田口先生は一人暮らしか。……お邪魔します」

 先生には視えてないので、挨拶をする必要はないけれど習慣のせいで自然と零す。ドアは通り抜けられるので、難なく部屋に入ることが出来る。便利なものだ。


「……うっ、臭っ!」

 スッとドアを通り抜けて部屋へ入った瞬間、悪臭が鼻の奥をついた。慌てて辺りを見渡すと、原因はすぐに見つかった。

 辺りに複数のゴミ袋があちこちに積み上げてある。明らかに、散らばるゴミ袋から悪臭が漏れ出している。

 どうやら、田口先生の部屋は汚部屋と認定してよさそうだ。どちらかというと、綺麗好きな私には辛すぎる環境だ。

 今すぐこのゴミの山を片付けたい衝動に駆られる。しかし、ゴミを捨ててくるわけにもいかないので心の中で葛藤していた。

「ぐぐっぐ、が、ぐごおおおおお」

 まるで猛獣の鳴き声のような声が耳に届く。声のする方に視線を向けると、この悪臭の犯人。田口先生は豪快にいびきをかいて眠っていた。


「……はあ、」

 今日の担当は田口先生なので、1日そばにいなければならない。先生の家が汚部屋だったなんて、大きな溜息も出てしまう。

 この汚い部屋でずっと前に待ってるのは苦行すぎた。居ても立っても居られずに、床に落ちてるゴミを試しに指でつまみ上げて拾ってみる。
 本当はダメなことは、わかってるけど……。
  
「ゴミも触れる。これって片付けられちゃうじゃん……」

 ゴミを触れられることが確認できると、手は勝手に片づけ出していた。守護霊代行のルールで「私たちから触るものには触れれる」というルールが存在する。

 そのルールのおかげで、ゴミも片づけることが出来る。 
 ただしバレてはいけない。
 ルールと汚部屋の悪臭の狭間で迷っていた私は、少しだけならばれないだろうと考えて片づけを行うことにした。
 
 最初は、一つ、二つ。ゴミを片付けるだけで我慢するつもりだった。いざ掃除を始めると、ゴミを捨てる手が止まってはくれない。

 無我夢中で掃除をした。気づいた頃には、汚部屋はゴミが無くなり綺麗な部屋に変わっていた。
 完全にやらかした。綺麗にしすぎてしまった。

 ちらりと田口先生に視線を向けて確認すると、豪快ないびきをかいて、まだ寝ている。この様子は、しばらく起きそうにない。


 時間を持て余したので、部屋を見渡しながら歩いていた。本がたくさんあり、部屋の壁には受け持ちクラスの集合写真が飾られていた。

 意外だった。田口先生のイメージだとクラス写真なんて絶対飾らなそうなのに。

 普段の田口先生の印象とは違って、クラス写真が飾られていたことに驚いた。写真をじっと見つめると見覚えのある顔が真っ先に目に入る。


「……来衣、先輩だ……」

 写真の中の彼は、楽し気に笑顔を浮かべていた。
 来衣先輩の担任って田口先生だったんだ。
 私の中の記憶の来衣先輩は、無表情で仏頂面だ。写真の中の笑顔と結びつかない。思わず驚いて見入ってしまった。


「来衣先輩ってこんな風に笑うんだ。こんな綺麗な顔で笑うんだもん……そりゃ、モテるはずだ」


 ――ピピピ、ピピピピ。

 大音量のアラーム音が鳴り響く。
 突然の音と、その音量のでかさに身体がビクッと反応した。

 けたたましく鳴るアラーム音に、さすがに起きただろうと田口先生に視線を向けた。大音量のアラーム音が鳴り響く中、予想に反してまだいびきをかいて眠っている。

 起きないことを見越して設定していたのか、鳴り響くアラームはさらに大音量に変わっていく。


「……アラーム音、うるさっ」

 部屋中に鳴り響く音に、私の耳が最初に悲鳴を上げた。ようやく爆音のアラーム音に目が覚めた田口先生は、むくりと布団から起き上がった。


 結局、田口先生が眠りから覚めたのは7時半だった。通勤に間に合うのかこっちが心配になるほどだ。
 朝に弱いのか、普段以上に眉間に皺を寄せていて顔が怖い。絶対関わりたくないタイプの人種だ。


「……今日もだりいな、」

 吐き出した声はしゃがれていて、口調も荒く言葉遣いは悪い。期待を裏切らない様子を見ると、関わりは薄いけど思った通りの人間性のようだ。



「あ? なんか部屋綺麗になってね?」


 まずい。部屋が綺麗になってることにすぐ気づかれた。
 私の存在がバレてしまうかもしれないという焦りで、心臓がバクバク波打つ。



「俺、昨日掃除したっけな? 偉いじゃん。俺」

 自分の都合の良いように勘違いしてくれたおかげでバレずに済んだ。ため息を吐き出せないので心の中で安堵した。

 田口先生は、ご飯を済ませると着替えをして身なりを整えて家を出た。それはあっという間の出来事で準備は驚くほどに早かった。