魔法学校の夕食は、合計四カ所で提供されている。
 ひとつ目は校内食堂。夜は日替わりで出される料理のみだが、おいしいと評判で人気が高い。
 ふたつ目は寮の近くにある、生徒のみが利用できるレストラン。予約制で、食事のマナーを学べる。
 みっつ目は各寮の食堂。朝食同様、料理が事前に用意されており、好きなだけ食べられるという形式である。
 よっつ目は購買部で販売されている軽食を買い、好きな場所で食べるというもの。パンやチーズ、缶詰などを買い、独自のアレンジをして食べるのが流行っているのだとか。
 私はもっぱら、寮の食堂で済ませていた。校内食堂やレストランに比べたら、料理は冷えている上に、質より量といった感じだったが。
 食事に対する欲求が、他の人より薄いというのもある。今はとにかく、食事よりも勉強に時間を割きたかったのだ。
 ちなみに寮内の食堂でない場所で食べるさい、必ず監督生に報告しなければならない。それも面倒だったので、寮での食事でいいやと思ってしまうのだろう。

 今日、ランハートは他寮の友達と一緒に、校内食堂で誕生会を開くと言っていた。私も誘われたものの、顔見知り程度の同級生だったので断ったのだ。
 クッキーを渡すのを忘れていたので、誕生会が終わったら談話室で渡すという約束を取り付けていた。 
 ランハートが部屋に取りに行くと行ったが、彼がいると長居するので断った。
 なんとなく、夜に異性を部屋に入れるというのも、抵抗があったし。
 今宵も、談話室は無人だった。部屋から持ってきていた勉強道具を広げ、明日の授業の予習を始める。
 校内食堂はもうすぐ閉まる。そのため、ランハートは十分と待たずにやってくるだろう。
 ランハートは想定していた時間に現れる。

「すまない。待たせたな」
「大丈夫。勉強していたし」
「リオルは本当に真面目だな」

 授業中、特待生は教師の注目を集めやすい。当てられて答えられなかったら恥ずかしいので、予習は欠かせないのだ。

「アドルフがいるから大丈夫! って思っている日ほど、当たるんだよな」
「わかる! 俺もアドルフとリオルがいるから大丈夫って思っていたら、ご指名を受けるんだよなあ」
「不思議だよね」
「本当に」

 もうすぐ談話室は閉鎖される。忘れないうちにクッキーを渡しておいた。

「うわー、やった! リオルの家のクッキー、絶品なんだよねえ」
「絶品って、これまでおいしいクッキーをたくさん食べていただろうに」
「いーや、このクッキーが一番おいしい。甘すぎないし、ザクザクした歯ごたえが絶妙なんだよね」

 リオルとランハート、アドルフはお菓子の好みが一緒なのだろう。三人がお茶とクッキーを囲む様子を想像したが、気まずそうだと思ってしまった。

「一個食べようかな」
「お腹いっぱいケーキと鶏の丸焼きを食べたんじゃないの?」
「まあ、そうなんだけれど」

 個人の誕生日をする場合、希望を出したらケーキと鶏の丸焼きを作ってくれる。
 一か月前に予約する必要があるようだが、誕生日ですら実家に帰れない生徒には好評を博しているようだ。
 私も毎年ランハートが誘ってくれるものの、その日は弟の誕生日なので、祝われても別に嬉しくない。
 本当の誕生日も、同級生よりひとつ多く年を取ってしまったと切ない気持ちになるだけだった。

「クッキーは別腹なんだよ」

 そう言って、クッキー缶の蓋を開く。

「うーーん。甘くていい匂い! リオルの実家のクッキー、久しぶりだな」

 ランハートはキラキラした瞳で、クッキーを見つめていた。これほど喜んでくれたら、クッキーを作った甲斐があるというもの。

 幸せそうにクッキーを頬張る横顔を見つめていたら、廊下からカツカツという足音が聞こえた。  
 予想するまでもない。アドルフに間違いないだろう。

 広げていた勉強道具をきれいに整え、ランハートは二個目のクッキーをごくんと呑み込む。
 談話室に顔を覗かせたのは、やはりアドルフだった。
 彼は監督生に贈られる金のカフスボタンをいじりつつ、中へ入ってくる。尊大な様子で、私たちに注意し始めた。

「もうすぐここは閉鎖する。早く部屋に戻るように」
「へーーい」

 ランハートが気の抜けた返事をしたからか、アドルフにジロリと睨まれてしまった。
 気まずく思ったのか、ランハートは思いがけない提案をする。

「あー、えっと、アドルフ、よかったらリオルの実家のクッキーを食べる?」

 あろうことか、そのクッキーを勧めるなんて。

「リオル・フォン・ヴァイグブルグの、実家のクッキーだと?」
「そう。特製のシュガークッキーなんだけれど、すっごくおいしいんだぜ」

 いやいや待て。それを勧めるなと制止したかったが、もうすでにアドルフが恐ろしい形相でこちらにやってきていた。
 クッキー缶の中身を見て、ハッと肩を震わせる。
 そして、アドルフが小脇に抱えていたクッキー缶を手に取り、開封した。
 ランハートが持っているクッキーと、アドルフが持っているクッキーの中身はそっくりそのまま同じだったのである。
 それも無理はない。どちらも、同じ日に私が焼いたクッキーだから。
 アドルフはキッと眉をつり上げ、ランハートを睨みつける。まるで親の敵を前にしたような、苛烈な視線であった。

「お前、どうしてそのクッキーを持っている!?」

 問いかけられたランハートは、キョトンとしていた。

「いや、どうしてって、貰ったとしか言いようがないというか」
「リオニー嬢が、お前のために贈ったというのか!?」
「え、どういうこと?」
「しらばっくれるな!!」

 たかがクッキーくらいで大声をあげないでほしい。
 アドルフの包み紙を確認したら、実家から寮に転送してもらったというのがわかる。

「このクッキーは、俺のためにリオニー嬢が焼いたものなんだ! お前が食べていいものではない!」
「えー、そんな!」

 面倒な事態になってきた。この場はランハートに任せて、私は自分の部屋で明日の予習をしたいのに。
 私にとって無関係な話ではないというか、当事者なので、この場を離れるわけにはいかないのだ。
 部屋に置いてきたチキンを召喚しようかと思ったものの、あの子は過剰防衛をする可能性がある。アドルフの頭に羽根を突き刺されたら困るので、呼ばないほうがいいだろう。

「ランハート・フォン・レイダー、お前はリオニー嬢とどういう関係なのだ?」
「どういうって、会ったことすらないんだけれど! これがリオルのお姉さんの手作りクッキーだったことすら、今知ったくらい! 直接貰ったんじゃなくて、リオルが分けてもらったのを、横流ししてもらったの!」

 ランハートが必死の形相で訴えると、アドルフのつり上がっていた眉がどんどん下がっていく。
 そして、ゴホン!! と咳払いすると、小さな声で「少々誤解があったようだ。すまなかった」と素直に謝罪した。

 談話室は時間になったら自動施錠される。注意するようにと言い残し、アドルフはそそくさと去っていった。
 ランハートとふたり、しばし呆然としてしまう。
 アドルフの足音が聞こえなくなると、息苦しさから解放された。

「あの、ランハート、なんかごめん」
「ううん、いいよ。談話室でクッキーを食べた俺が悪いんだし」

 ランハートが寛大でよかったと、胸をなで下ろす。

「っていうかさ、リオル。アドルフって、やっぱりお姉さんにベタ惚れしているのでは?」
「は!? どうしてそういうふうに思うの?」
「だって、お姉さんが作ったクッキーを俺が持っているのを知って、激怒してたじゃん」
「アドルフはクッキーが大好物なだけでしょう?」
「そんなこと……あるのかなあ」
「あるよ。僕、心の中でアドルフをクッキー暴君って呼んでいたから」
「クッキー暴君って、なんじゃそりゃ。ぴったりじゃないか!」

 ランハートと一緒に、大笑いしてしまう。たかがクッキーひとつで、あそこまで怒れるなんて一種の才能かもしれない。

「でも、そのクッキーがトラブルの火種になったのは確かだから、今度購買部で何か奢ってあげる」
「それよりも、その予習ノートを明日の朝に見せてほしいな」
「そんなのでいいの?」
「それがいいんだよ」

 ランハートと裏取引を行っていたら、談話室の閉鎖が告げられるベルが鳴り始める。
 閉じ込められたら、明日の朝までここにいなければならなくなる。私とランハートは急いで談話室を飛び出したのだった。

 ◇◇◇

 クッキー暴君との事件から一週間後、実家から手紙が転送されてきた。
 お茶会のお誘いが二通、ルミからの手紙、それからアドルフからの手紙と小包が届いていたという。
 お茶会の誘いはずいぶんと減った。魔法学校に入学する前は、毎週二十通以上届き、どこに参加するのか頭を悩ませるくらいだった。
 魔法学校での暮らしを優先させ、断り続けていた結果がこれである。
 二通の差出人はいつもの面々だ。ひとりはルミの友人である侯爵令嬢、クララ様。社交場に姿を現さない私をいつも心配し、誘ってくれるのだ。
 もうひとりは私が所属している、慈善活動サロンのお茶会のメンバーからである。これも、毎月クッキーを養育院に送るくらいで、現地での活動には参加できていない。お茶会への誘いは名簿に載っている貴族令嬢全員に送られているのだろう。
 ルミからのお手紙は最後の楽しみにしておくとして、問題はアドルフの手紙と小包である。
 ため息をつきつつ、手紙を開封した。
 便箋には丁寧な文字で前回の外出時の謝罪と、クッキーがおいしかったという感想が書かれてあった。
 彼がこんなにきれいな文字を書く人だったなんて、今まで知らなかった。
 包みはこの前のお詫びだとある。
 いったい何を贈ってきたのだろうか。恐る恐る包みを開く。