これまでへらへらしていたランハートの表情が、一気に引き締まる。

「いきなりどうしたんだ?」
「アドルフは見合いの席で、薔薇と恋文を渡していた相手について、言わなかったらしい。そういう相手がいるならば、きちんと事前に伝えておくのが礼儀だろう?」
「まあ、それはそうかもしれないけれど」

 貴族にとって結婚は、政略的な意味合いが強い。そのため、結婚相手との生活を義務とし、爵位を継承する子どもが生まれたら、愛人を迎える者も多い。
 平和な暮らしを送るために、愛人を傍に置くときは、配偶者に理解を得るのが普通だ。
 夫となった者に愛人がいる場合、その女性をしっかり管理するのも妻の務めなのである。
 いろいろおかしいけれど、これが貴族のやり方なのだ。

「なあ、薔薇と恋文を贈っていた相手は、リオルのお姉さんじゃないのか?」
「それはない」

 アドルフから薔薇と恋文が届いたことなんて、一度もなかった。

「頻繁に薔薇や恋文を受け取ったのが恥ずかしくて、家族に隠していた、なんて可能性は?」
「絶対にない」
「届いていたけれど、父親が処分していたというのは?」
「それもない。父はアドルフとの結婚に賛成だったから」
「そうか」

 リオルが処分していたというのも考えにくい。あの子は他人への干渉を面倒に思うようなところがあるから。

 ランハートは後頭部をガシガシ掻き、大きなため息をつく。

「いや、なんか悪かったな」
「何が?」
「余計な話をしたと思って。ほら、当時のお前は進級前試験で次席になって、ふてくされていただろう? アドルフの弱みみたいな話をしたら、元気になるかと思ってしたんだよ」
「ああ、そうだったんだ」

 たしかに、一年前の今頃は、成績が落ちて酷く落ち込んでいた。
 二学年は試験に苦手な実技もあったため、アドルフに差を付けられてしまったのだ。
 悔しすぎて、不機嫌な状態が続いていたような気がする。
 そんな中で、アドルフが恋人に薔薇の花束と恋文をせっせと贈っている、なんて話を聞いた。あんな奴にも誰かの気を引きたい気持ちがあるのだと、面白がっていた記憶が残っている。 

「まあ、何はともあれ、愛人にするような女性がいるのに、黙ったまま姉と結婚するというのは面白くない。だから、どんな女性(ひと)に想いを寄せているのか、調べて――」
「どうするんだ?」
「婚約破棄を促す」

 愛する女性と結婚するのが一番だ、なんて夢物語を語るつもりはない。けれども相手に隠し事をしている状態で、結婚するのもどうかと思う。

「アドルフはうちが格下の家だから、それがまかり通るって思っているんだ」
「それはどうだろうなー」

 ランハートをジロリと睨む。先ほどから、アドルフ寄りの意見を言っているように思えてならないのだ。

「ランハート、さっきから君はどっちの味方なの?」
「もちろんリオルに決まっている。俺たちの友情を、忘れないでくれよ」
「怪しい友情だ」

 ランハートとの友情云々はさておいて。
 なぜアドルフの味方になるような発言をするのか問い詰める。

「いやだって、あいつって自尊心はどこまでも高くて、真面目じゃん。だから、結婚する相手に愛人の存在を隠すなんてことはしないと思うんだよねえ」
「だったら、アドルフはいったい誰に薔薇と恋文を贈っているって言うんだ?」
「さあ?」

 ここで、ランハートは情報の出所について打ち明ける。

「俺さ、奉仕活動の時間に購買部に行っていたじゃん?」
「ああ、あったね」

 下級生時代に毎週行われる奉仕活動――放課後に魔法学校内で業務を行う人たちの手伝いをする時間だ。
 その中で、ランハートは購買部を担当していたのだ。

「そこで働くおばちゃんと仲良くなってさー」
「賞味期限が切れそうなお菓子を貰ってきていたよね」
「そう!」

 奉仕活動をする中で、薔薇の花束の注文が毎週入るという話を聞いたのだという。

「その生徒は薔薇の花束に手紙を添えて、校外にいる恋人へ送るよう手配をする――なんて話を、ロマンティックだわ~~っておばちゃんが話していたんだ。いったい誰かと気になって、金を支払いにやってくる様子を覗き見したら、アドルフがやってきたってわけ!」
「なるほど」 

 手紙はアドルフが持っていて、購買部へは薔薇を受け取りにくるだけだった。そのため、宛名は誰だったか、というのはわからないという。

「購買部の店員だったら、宛名を見たことがあるかもしれない」

 そう言って立ち上がると、ランハートも続いて起立する。

「俺も行くよ」
「忙しいんじゃないの?」
「平気。それに、なんか責任感じるし」
「別に気にしなくてもいいのに」

 購買部の店員は生徒に関する情報のすべてに守秘義務がある。そのため、私が突然やってきても、情報提供してくれないかもしれないという。
 ランハートの同行は必要みたいだ。

 校舎の一階、職員室の隣に位置する魔法学校の購買部は、授業で使う魔法書や文房具、お菓子や衣料だけでなく、小説や模型、遊戯盤などの娯楽に関する商品も揃えられている。
 魔法学校に入学して一年目は、外出が徹底的に制限されている。そのため、暮らしに関わる品はなんでも取り扱っているのだ。
 もしかしたら中央街にある雑貨店よりも、品揃えはいいかもしれない。

 購買部の店員はランハートに気づくと、嬉しそうに手を振っていた。

「あら、ランハート君、久しぶりねえ」
「どうも! ご無沙汰してます」
「最近、忙しいんでしょう?」
「まあ、ぼちぼちですねえ」

 軽く近況を語り合ったあと、ランハートは本題へと移った。
 
「そういえばさ、前に薔薇を取り寄せていた生徒がいましたよね?」
「ええ。今も、週末になると注文していた薔薇を受け取りに来ているわよ」

 アドルフは婚約が成立した今も、薔薇と恋文を贈っているらしい。
 ランハートの笑顔が少しだけ引きつっているように見えたのは、決して気のせいではないだろう。
 彼はアドルフが真面目で一途な男で、薔薇と恋文は婚約者となったリオニーに贈っていたと信じていたに違いない。

「毎週欠かすことなく薔薇を贈るなんて、本当にロマンチックな子よねえ」
「で、ですよね」
「私もそういうことをされたいわー。でも、どうしてそれが気になったの?」
「いや、友達がそんなやつなんていないって言い切るから」

 何か聞かれたときには、こう答えるようにとランハートに伝えていたのである。
 売店の店員の視線がこちらに向く。ぺこりと会釈しておいた。

「それで、誰に贈っていたかっていうのは、わからないですよねえ」
「ええ。さすがに相手については知らないのよ」

 それを聞いたランハートは、しょんぼりとうな垂れる。

「あ、でも、いつも蕾の薔薇を注文していたの。届けるのに時間がかかるからって。たしか、馬車で一日半かかる湖水地方のほうだと言っていたわ」

 一日半かかる湖水地方といったら、〝グリンゼル〟だろう。あそこは観光地であるのと同時に、貴族たちの保養地でもある。
 たしか、ブラント子爵家が領する場所であり、ワインの名産地としても有名だ。

 これだけの情報を聞いたら、十分だろう。
 そのまま立ち去るのも悪いので、ノートやインクを購入し、購買部から去る。
 部屋にランハートを招き、話をした。

「やっぱひとり部屋はいいなー」
「そのために勉強しているといっても、過言ではないからね」

 寝台に寝転がろうとするランハートの首根っこを掴み、窓際の椅子へと誘う。

「ランハートのおかげで、いろいろ知ることができた」
「まー、核心に迫る情報は得られなかったけれど」

 湖水地方グリンゼルに住む、アドルフと年若い女性――ここまで絞られたら、特定もしやすいだろう。

「グリンゼルっていったら、校外授業の科目にあった気がする」
「え、いったい何するの?」
「宿泊訓練だってさ」

 ランハートは生徒会に所属していて、先輩からさまざまな話を聞いている。公開されていない教育課程(カリキュラム)についても詳しかった。

「その宿泊訓練は、いつあるの?」
「来月か再来月くらいじゃない?」

 三学年は職業訓練でも忙しい時期である。そのため、自由参加となっているらしい。
 卒業前のお楽しみ行事として、就職先が決まった生徒は遊びに行くような気持ちで受けるのだという。

「話を聞いたときは、どうしようかなって思っていたんだけれど、リオルがいくなら希望を出そうかな」
「うん……ランハートがいてくれると、助かるかも」
「でしょう?」

 誰にも好かれる明るい性格の彼がいたら、調査もしやすい。
 私が感情的になったときも、止めてくれるだろう。
 これまでにこやかに話していたランハートだったが、急に真面目な顔で私を見る。
 少しだけ身構えてしまった。

「あのさ、リオル、ひとついい?」
「何?」
「進路について、そろそろ聞かせてくれる?」

 ついにきたか、と内心思う。
 入学当初から、ランハートは私の将来について聞きたがっていたのだ。

 本当のリオルの進路は、どこにも属さない研究員である。
 優秀な彼のおかげで、ヴァイグブルグ伯爵家の財政はかなり潤っているのだ。
 毎年国立魔法研究所から研究員にならないかという誘いがあるようだが、リオルは無視しているらしい。
 組織に属したら、自由気ままに研究できないと思っているようだ。
 この先、リオルは偉大な研究を成し遂げるだろう。彼の未来は明るかった。

 一方で、私の未来には陰が差し込んでいるように思えてならない。
 アドルフとの結婚を阻止できなかったら、愛人との三人暮らしが始まってしまう。
 婚約破棄できた場合は、ひとりで身を立てて、暮らしていかなければいけないのだ。
 大叔母はひとりでも強く生きていけたが、果たして私は同じように生きられるのか。正直、自信はない。

「私は、家業を手伝いつつ、魔法の研究をする」
「えー! いろんなところから仕事の誘いがあるって話だったのに、どれも受けないの?」
「受けない」

 二学年のときに、職業適性の授業があった。校外に出て、さまざまな職業を体験するのだ。私はランハートと一緒に魔法騎士の職場に行ったり、養護院を訪問したり、修道士の体験をしたり――貴族令嬢であればできない仕事を体験できた。
 その中で、「うちで働かないか」と声をかけてくれる大人たちもいた。
 とても嬉しかったが、リオルの姿を借りている私には過ぎた話で、実現できるわけがないのだ。
 働かないか、と声をかけてくれる人たちは、魔法学校を卒業した良家の子息を迎えたいのだろう。貴族令嬢の道を外れた、頭でっかちな小娘と働きたいわけではない。
 それを思うと、自分が惨めに思えてならなかった。

「リオルはさ、ずっと何かに悩んでいるようだけれど、自分の中で留めずに、誰かに言ったほうがいいよ」
「うん、そうだね。ありがとう」

 実は自分は貴族令嬢で、弟の代わりに魔法学校に通っているんだ、なんてランハート相手でも言えるわけがない。
 私が女だとわかったら、彼との友情も崩壊してしまうだろう。
 ここでの思い出は、美しいものとして残しておきたい。
 だから、秘密は誰にも打ち明けるつもりはなかった。