本題に入る前に、少し前置きがある。アドルフがそう言って話し始めたのは、想像をしていなかった事実であった。
「俺は母の愛人との間に生まれた。父であるロンリンギア公爵の血は流れていない」
「そ、そんな――!」
まさか、アドルフが公爵家の血を引いていないなんて。
たしかに、ロンリンギア公爵とアドルフはまったく似ていなかったが……。勝手に母親似なのだろうと思っていたのだ。
「以前、リオニーが私の瞳はガラス玉にそっくりだ、なんて言ったことがあっただろう?」
「あ――!」
それは、初めてアドルフと出かけたときの話である。路地裏で宝石と偽り、ガラスでできた宝飾品を発見したのだ。
そのさい、私はアドルフに意地悪を言うつもりで、瞳がガラス玉に似ていると言ってしまった。
「そのとおり、俺は本物のロンリンギア公爵の息子ではない。偽物のような存在だと、思ったのだ」
「ご、ごめんなさい。わたくし、酷いことを言いました」
「いや、本当のことだったから」
過去の自分は何を言っていたのか。時間が巻き戻せるのならば、発言を取り消したい。
「なぜ、俺がロンリンギア公爵家の血を引いていないのかというと、冷え切った夫婦仲が原因だった、なんて、現在母の侍女を務めていた乳母が話していた」
貴族の結婚の大半は、政治的な意味合いが強い。アドルフの両親も結婚当日に顔を合わせ夫婦となった。
「父は半月に一度、夫としての役割をこなしていたらしい。しかしそれだけでは母が妊娠せず、もっと回数を増やしてほしいと懇願していたようだ」
しかしながら、ロンリンギア公爵はその願いを叶えなかった。それどころか、仕事が忙しくなり、役目を果たす日にしか帰宅しなかったという。
「寂しさと、ほんのわずかな反抗心を抱いた母は、他の男を家に連れ込むようになった」
貴族が愛人を持つのは珍しくない。男性でも、女性でも。
そのため、最初はロンリンギア公爵の関心を引くための工作だったらしい。
「父は母の稚拙な行動に気づいていたのか、いなかったのか、気にかけることなく放置していた」
それがよくなかったのか。ロンリンギア公爵夫人は愛人と関係を持ち、そして――。
「妊娠してしまった」
愛人と関係を結んでいた間も、ロンリンギア公爵は役割を果たしていた。
そのため、妊娠が発覚しても、愛人の子だと周囲は疑っていなかったようだ。
「妊娠中、母は気が気でなかったらしい」
もしも子どもに、愛人の男の特徴があったらどうしようかと。
約十ヶ月後――アドルフが生まれる。
「俺は母と同じ、黒髪で青い瞳を持って生まれた」
もしかしたらロンリンギア公爵の子どもかもしれないとロンリンギア公爵夫人は希望を抱いたものの、面差しはどことなく愛人の男に似ていたらしい。
「それに気付いていたのは、愛人との関係を把握していた俺の乳母だけだったが……」
結婚から五年――ようやく待望の後継者(エア)が生まれた。
次は予備(スペア)を産まないといけない。ロンリンギア夫人はそう決意していたものの、アドルフが生まれた途端に、ロンリンギア公爵は役割をしに帰らなくなった。
夫婦の仲は、さらに冷え切ってしまう。不幸はそれだけではなかった。
「子どもを見た愛人が、自分の子ではないのかと主張するようになった。母は金を渡し、黙らせていたようだが、その後、毎週のように金品をしつこくねだるようになったらしい」
止(とど)めを刺したのは、ロンリンギア公爵夫人が金と引き換えに、年若い男を家に連れ込んでいるというゴシップ報道がされたことであったという。
アドルフを産んでからというもの、関係は持っていなかった。そう主張しても、周囲の者達は聞く耳を持たなかったという。
愛人の男や記者、社交界の冷ややかな視線から逃げるように、ロンリンギア公爵夫人は各地を旅行し、姿を消していたようだ。
そういう状況へ追い込まれても、ロンリンギア公爵は妻を庇わず、好き勝手させていたという。
ただ、いくら旅を続けても、心の傷は癒やされなかった。
「最終的に母は精神を病み、グリンゼル地方へ療養することとなった」
それは、アドルフが十一歳のときの話だという。
「グリンゼル地方に、お母様が?」
「ああ、そうだ。久しぶりに再会した母は、俺を父だと勘違いし、機嫌取りをしてきた。そのときに、乳母から真実を聞いた」
アドルフはロンリンギア公爵の子どもではない、と――。
「正直、ショックが大きかった。父は知らないだろう、ということにも、酷く心が締めつけられた」
打ち明けたほうがいいのか、と乳母に聞いたところ、絶対にダメだと口止めされたらしい。
「なぜ、乳母は真実を言ってしまったのでしょうか?」
「自分ひとりで抱えきれない問題だと思ったのだろう」
そこから、アドルフは母親のために何ができるのか、考えたらしい。
「その結果が、父のふりをして、母に薔薇の花束と恋文に見せかけた手紙を送ることだった」
「あ――!」
アドルフが想い人へ、毎週欠かさず送っていたという薔薇の花束と恋文は、病気の母親に向けて送ったものだった。
私はそうだと知らずに、彼を時に嫌悪し、秘密を暴こうとしていた。なんて愚かな行為だったのか。
「まさか、それらが周知されていたとは知らず、リオニーにも不快な気持ちにさせてしまった」
「いいえ、いいえ」
宿泊訓練のとき、アドルフは私をロンリンギア公爵夫人に紹介しようとしていたらしい。そういえば、話したいことがある、なんてことを言っていた。
薔薇の花束と恋文を贈り始めてから数年、容態はずいぶんと落ち着いていたようだ。
けれども、久しぶりに会いに行ったとき、ロンリンギア夫人は誰もが想定していなかった反応を示す。
これまでロンリンギア公爵だと思っていた息子を見て、悲鳴をあげたのだ。
「母は俺を、愛人だった男と見間違ったらしい。顔を知っている乳母曰く、今の俺は生き写しのようにそっくりだと」
ロンリンギア公爵夫人は、アドルフを愛人だった男だと思い込み、金品を奪いにきたのだと勘違いしたのだという。
「母をリオニーに会わせるわけにはいかない。そう判断し、急遽、リオニーに少し待ってほしいと手紙を送ったのだ」
アドルフの手を握り、頭を下げる。
これまで秘密を抱え、大変だっただろう、苦しかっただろう。
私は彼が抱えていた苦労を、気付いてあげられなかった。
「早く、おっしゃっていただけたらよかったのに」
「そうだな。婚約をする前に、言うべきだったのかもしれない。俺はいつか、父にこのことを報告するつもりだったから」
アドルフはロンリンギア公爵家の血を引いていない。そのため、後継者でなくなってしまう。
「俺は、夢見ていたのかもしれない。未来のロンリンギア公爵でなく、ただのアドルフでも、リオニーやリオルは、代わらず傍にいてくれるのだろうと。けれども、貴族の関係は家柄や血統ありきだ。もしかしたら、ふたりと離れ離れになってしまうかもしれない。それを思ったら、なかなか、言い出せなくて――!」
私は顔を上げ、今にも泣きそうなアドルフを強く抱きしめた。
「わたくしは、アドルフが何者でも、ずっとずっと、傍におります」
「リオニー、ありがとう」
最初から、彼を支えようと覚悟を決めていたのだ。今さら、アドルフが誰の子だと聞かされても、心が揺らぐはずがない。
「もしかしたら、苦労をかけてしまうかもしれないが――」
「男子校に潜入して首席を取ることより、難しいことがあるのでしょうか?」
アドルフと一緒ならば、どんな苦難でも乗り越えてみせる。
私にはその自信があったのだ。
「俺の婚約者は、世界で一番頼もしいな」
「当然ですわ」
私の周囲が呆きれるくらいの負けん気は、逆境の中でこそ輝くのかもしれない。
アドルフと話しながら、そう思ったのだった。
もうアドルフに隠し事をしなくてもいいし、彼に対する疑問も解消された。
すがすがしい気持ちになっているところに、アドルフが苦虫を噛み潰したような表情で、これからの予定を口にする。
「実は、父上から、リオニーを家に連れてくるように、と言われている」
「わたくしが、ロンリンギア公爵に、ですか?」
「ああ。なんでも、事件についての真相の一部が、報告書として届いたようだ」
犯人はグリムス社の記者だと思っていたが、それは犯人側が勝手に名乗っていただけだったらしい。正体は別にあったという。
「俺も詳しくは聞いていない」
「わかりました。帰りもワイバーンですの?」
「そうだ。リオルも一緒に、連れて帰ろう」
そう口にしてから、アドルフは少しバツの悪そうな表情を浮かべる。
「今、部屋の外にいるリオルを、どうしてもリオルだと思えない」
「アドルフにとっては、わたくしが扮するリオルがリオルですものね」
「そうなんだ。声は、魔法か何かで変えていたのか?」
「ええ、声変わりの飴で」
最初に作った飴は数時間しか効果を発揮しなかったが、二年もの間に改良を加え、最長で二十四時間声を変えられるものを作りだしたのだ。
そのおかげで、誘拐されたあとも女性の声に戻らなかった。
「徹底していたのだな」
「もちろんです」
なんて話している間に、王都へ戻る時間が迫っていた。
父の怒りが治まるまでグリンゼル地方にいたかったのだが、ロンリンギア公爵の呼び出しがあるので仕方がない。しぶしぶ家路に就く。
リオルは馬車で王都に戻るという。ワイバーンの飛行での移動は一度でお腹いっぱいだと言われてしまった。
「アドルフ・フォン・ロンリンギア、姉上の見張り、よろしく」
「ああ、任してほしい」
これ以上、私が何をするというのか。本当に信頼がない。
ワイバーン車に乗りこむ私達を、リオルは見送ってくれる。
アドルフは窓を開け、リオルに「王都に戻ったら、ゆっくり話そう」と叫んでいた。
それに対し、リオルは「気が向いたら」と返す。
アドルフは私を振り返り、抗議するような視線を向けた。
「とてつもなく生意気だ。魔法学校のリオルそっくりだな」
「姉弟ですので、仕方がありませんわ」
ワイバーンが翼を動かすと、車体が少しずつ浮いていく。
あっという間に高く飛びあがったのだった。
しばし、窓の外の雲を眺めていたアドルフが、私に話しかけてくる。
「リオニー、父上には、今日、本当のことを告げようと思っている」
「ええ」
「反対はしないのか?」
「なぜですの?」
「黙っていたら、未来の公爵夫人なのに」
「ああ、そういう意味でしたか」
別に公爵夫人になることに関して、別に何も思っていなかった。
そもそも私自身、淑女教育が徹底的に叩き込まれているわけではないし、多くの人に好かれるような性格でもない。最初から向いていなかったのだ。
「わたくしは別に、公爵夫人になりたかったわけではありませんでしたので。アドルフの妻になれるのであれば、立場や財産など、気になりません」
「立場や財産か……。そうだな。もしかしたら、着の身着のままで追い出される可能性だってある」
「そのときは、夫婦揃って一生懸命働いたらいいだけのことです」
幸いと言うべきか、リオルが魔法で収入を得る以前は、貧相な暮らしをしていた。
「食事がパンとスープだけだったという日も、珍しくなく――」
「そうだったのだな」
見栄っ張りな父が使用人だけは数名雇っていたので、私達家族の食費が削られていたのだという。
思い返してみると、育ち盛りの子ども達に酷い仕打ちをしてくれたと思ってしまう。
「この先、国王補佐はできないかもしれないが、仕事はたくさん身についている。どこに行っても、何かしらの職に就けるだろう」
「でしたら、グリンゼル地方で働くのはいかが?」
「なぜ?」
「自然が豊かですし、湖は美しいですし、のんびりしていて、よい場所だと思うのです。あと、アドルフのお母様もいらっしゃいますし」
ロンリンギア公爵夫人の容態が快方に向かったら、会いに行きたい。
会って、話をしたいと思っている。
「母はきつい性格の人だ。リオニーに対して、酷いことを言われるかもしれない」
「心配はご無用です。わたくし、負けず嫌いですので。舌戦になったら、本気を出します」
「それは……頼もしいな」
アドルフが笑ってくれたので、ホッとする。ずっと思い詰めた表情を浮かべていたので、心配していたのだ。
ここで、今思いついた計画を、アドルフにそっと耳打ちしてみる。
「それは――いい考えだな」
「実現できると思いますか?」
「俺も手伝おう」
「ありがとうございます」
強力な味方を得られたので、王都に到着するまで、計画について楽しく話し合った。
◇◇◇
アドルフと共に、ロンリンギア公爵の執務室へ向かう。
今日も不機嫌かつ重苦しい空気を背負ったロンリンギア公爵が、私達を迎えてくれた。
「父上、戻りました」
「ああ」
ロンリンギア公爵の執務机には前回以上に書類が山積みとなっていて、忙しい中での呼び出しだったようだ。
「小娘……いや、リオニー・フォン・ヴァイグブルグ、今回の事件では、迷惑をかけた」
ロンリンギア公爵が頭を下げて謝罪したので、驚いてしまう。アドルフも目を見張っていた。
事件について、ロンリンギア公爵は淡々と報告する。真犯人は信じがたい人物だった。
「この事件を計画したのは、隣国のミュリーヌ王女だった」
「父上、それは本当ですか!?」
「ああ、間違いない」
なんでも婚約を断られ、降誕祭パーティーで冷たくあしらわれたミュリーヌ王女は、アドルフに対して強い憎しみを抱くようになったらしい。
「ミュリーヌ王女が……なぜ?」
「大きな好意は、裏切られたと感じた瞬間、別の感情に移り変わりやすい。愛が憎しみになるのも、おかしな話ではないだろう」
アドルフに恥を掻かせてやろうと画策した結果、ある噂話を入手したらしい。
「お前が、婚約者以外の誰かに、薔薇の花束と恋文を熱心に届けている、と」
それだけでは醜聞として弱いが、それに関連したある疑いが、ミュリーヌ王女の耳に届いたようだ。
「それは、アドルフ、お前がロンリンギア公爵家の血を受け継いでいない、ということについてだ」
ロンリンギア公爵の追及するような視線に、アドルフは動揺を見せなかった。
「俺は母の愛人との間に生まれた。父であるロンリンギア公爵の血は流れていない」
「そ、そんな――!」
まさか、アドルフが公爵家の血を引いていないなんて。
たしかに、ロンリンギア公爵とアドルフはまったく似ていなかったが……。勝手に母親似なのだろうと思っていたのだ。
「以前、リオニーが私の瞳はガラス玉にそっくりだ、なんて言ったことがあっただろう?」
「あ――!」
それは、初めてアドルフと出かけたときの話である。路地裏で宝石と偽り、ガラスでできた宝飾品を発見したのだ。
そのさい、私はアドルフに意地悪を言うつもりで、瞳がガラス玉に似ていると言ってしまった。
「そのとおり、俺は本物のロンリンギア公爵の息子ではない。偽物のような存在だと、思ったのだ」
「ご、ごめんなさい。わたくし、酷いことを言いました」
「いや、本当のことだったから」
過去の自分は何を言っていたのか。時間が巻き戻せるのならば、発言を取り消したい。
「なぜ、俺がロンリンギア公爵家の血を引いていないのかというと、冷え切った夫婦仲が原因だった、なんて、現在母の侍女を務めていた乳母が話していた」
貴族の結婚の大半は、政治的な意味合いが強い。アドルフの両親も結婚当日に顔を合わせ夫婦となった。
「父は半月に一度、夫としての役割をこなしていたらしい。しかしそれだけでは母が妊娠せず、もっと回数を増やしてほしいと懇願していたようだ」
しかしながら、ロンリンギア公爵はその願いを叶えなかった。それどころか、仕事が忙しくなり、役目を果たす日にしか帰宅しなかったという。
「寂しさと、ほんのわずかな反抗心を抱いた母は、他の男を家に連れ込むようになった」
貴族が愛人を持つのは珍しくない。男性でも、女性でも。
そのため、最初はロンリンギア公爵の関心を引くための工作だったらしい。
「父は母の稚拙な行動に気づいていたのか、いなかったのか、気にかけることなく放置していた」
それがよくなかったのか。ロンリンギア公爵夫人は愛人と関係を持ち、そして――。
「妊娠してしまった」
愛人と関係を結んでいた間も、ロンリンギア公爵は役割を果たしていた。
そのため、妊娠が発覚しても、愛人の子だと周囲は疑っていなかったようだ。
「妊娠中、母は気が気でなかったらしい」
もしも子どもに、愛人の男の特徴があったらどうしようかと。
約十ヶ月後――アドルフが生まれる。
「俺は母と同じ、黒髪で青い瞳を持って生まれた」
もしかしたらロンリンギア公爵の子どもかもしれないとロンリンギア公爵夫人は希望を抱いたものの、面差しはどことなく愛人の男に似ていたらしい。
「それに気付いていたのは、愛人との関係を把握していた俺の乳母だけだったが……」
結婚から五年――ようやく待望の後継者(エア)が生まれた。
次は予備(スペア)を産まないといけない。ロンリンギア夫人はそう決意していたものの、アドルフが生まれた途端に、ロンリンギア公爵は役割をしに帰らなくなった。
夫婦の仲は、さらに冷え切ってしまう。不幸はそれだけではなかった。
「子どもを見た愛人が、自分の子ではないのかと主張するようになった。母は金を渡し、黙らせていたようだが、その後、毎週のように金品をしつこくねだるようになったらしい」
止(とど)めを刺したのは、ロンリンギア公爵夫人が金と引き換えに、年若い男を家に連れ込んでいるというゴシップ報道がされたことであったという。
アドルフを産んでからというもの、関係は持っていなかった。そう主張しても、周囲の者達は聞く耳を持たなかったという。
愛人の男や記者、社交界の冷ややかな視線から逃げるように、ロンリンギア公爵夫人は各地を旅行し、姿を消していたようだ。
そういう状況へ追い込まれても、ロンリンギア公爵は妻を庇わず、好き勝手させていたという。
ただ、いくら旅を続けても、心の傷は癒やされなかった。
「最終的に母は精神を病み、グリンゼル地方へ療養することとなった」
それは、アドルフが十一歳のときの話だという。
「グリンゼル地方に、お母様が?」
「ああ、そうだ。久しぶりに再会した母は、俺を父だと勘違いし、機嫌取りをしてきた。そのときに、乳母から真実を聞いた」
アドルフはロンリンギア公爵の子どもではない、と――。
「正直、ショックが大きかった。父は知らないだろう、ということにも、酷く心が締めつけられた」
打ち明けたほうがいいのか、と乳母に聞いたところ、絶対にダメだと口止めされたらしい。
「なぜ、乳母は真実を言ってしまったのでしょうか?」
「自分ひとりで抱えきれない問題だと思ったのだろう」
そこから、アドルフは母親のために何ができるのか、考えたらしい。
「その結果が、父のふりをして、母に薔薇の花束と恋文に見せかけた手紙を送ることだった」
「あ――!」
アドルフが想い人へ、毎週欠かさず送っていたという薔薇の花束と恋文は、病気の母親に向けて送ったものだった。
私はそうだと知らずに、彼を時に嫌悪し、秘密を暴こうとしていた。なんて愚かな行為だったのか。
「まさか、それらが周知されていたとは知らず、リオニーにも不快な気持ちにさせてしまった」
「いいえ、いいえ」
宿泊訓練のとき、アドルフは私をロンリンギア公爵夫人に紹介しようとしていたらしい。そういえば、話したいことがある、なんてことを言っていた。
薔薇の花束と恋文を贈り始めてから数年、容態はずいぶんと落ち着いていたようだ。
けれども、久しぶりに会いに行ったとき、ロンリンギア夫人は誰もが想定していなかった反応を示す。
これまでロンリンギア公爵だと思っていた息子を見て、悲鳴をあげたのだ。
「母は俺を、愛人だった男と見間違ったらしい。顔を知っている乳母曰く、今の俺は生き写しのようにそっくりだと」
ロンリンギア公爵夫人は、アドルフを愛人だった男だと思い込み、金品を奪いにきたのだと勘違いしたのだという。
「母をリオニーに会わせるわけにはいかない。そう判断し、急遽、リオニーに少し待ってほしいと手紙を送ったのだ」
アドルフの手を握り、頭を下げる。
これまで秘密を抱え、大変だっただろう、苦しかっただろう。
私は彼が抱えていた苦労を、気付いてあげられなかった。
「早く、おっしゃっていただけたらよかったのに」
「そうだな。婚約をする前に、言うべきだったのかもしれない。俺はいつか、父にこのことを報告するつもりだったから」
アドルフはロンリンギア公爵家の血を引いていない。そのため、後継者でなくなってしまう。
「俺は、夢見ていたのかもしれない。未来のロンリンギア公爵でなく、ただのアドルフでも、リオニーやリオルは、代わらず傍にいてくれるのだろうと。けれども、貴族の関係は家柄や血統ありきだ。もしかしたら、ふたりと離れ離れになってしまうかもしれない。それを思ったら、なかなか、言い出せなくて――!」
私は顔を上げ、今にも泣きそうなアドルフを強く抱きしめた。
「わたくしは、アドルフが何者でも、ずっとずっと、傍におります」
「リオニー、ありがとう」
最初から、彼を支えようと覚悟を決めていたのだ。今さら、アドルフが誰の子だと聞かされても、心が揺らぐはずがない。
「もしかしたら、苦労をかけてしまうかもしれないが――」
「男子校に潜入して首席を取ることより、難しいことがあるのでしょうか?」
アドルフと一緒ならば、どんな苦難でも乗り越えてみせる。
私にはその自信があったのだ。
「俺の婚約者は、世界で一番頼もしいな」
「当然ですわ」
私の周囲が呆きれるくらいの負けん気は、逆境の中でこそ輝くのかもしれない。
アドルフと話しながら、そう思ったのだった。
もうアドルフに隠し事をしなくてもいいし、彼に対する疑問も解消された。
すがすがしい気持ちになっているところに、アドルフが苦虫を噛み潰したような表情で、これからの予定を口にする。
「実は、父上から、リオニーを家に連れてくるように、と言われている」
「わたくしが、ロンリンギア公爵に、ですか?」
「ああ。なんでも、事件についての真相の一部が、報告書として届いたようだ」
犯人はグリムス社の記者だと思っていたが、それは犯人側が勝手に名乗っていただけだったらしい。正体は別にあったという。
「俺も詳しくは聞いていない」
「わかりました。帰りもワイバーンですの?」
「そうだ。リオルも一緒に、連れて帰ろう」
そう口にしてから、アドルフは少しバツの悪そうな表情を浮かべる。
「今、部屋の外にいるリオルを、どうしてもリオルだと思えない」
「アドルフにとっては、わたくしが扮するリオルがリオルですものね」
「そうなんだ。声は、魔法か何かで変えていたのか?」
「ええ、声変わりの飴で」
最初に作った飴は数時間しか効果を発揮しなかったが、二年もの間に改良を加え、最長で二十四時間声を変えられるものを作りだしたのだ。
そのおかげで、誘拐されたあとも女性の声に戻らなかった。
「徹底していたのだな」
「もちろんです」
なんて話している間に、王都へ戻る時間が迫っていた。
父の怒りが治まるまでグリンゼル地方にいたかったのだが、ロンリンギア公爵の呼び出しがあるので仕方がない。しぶしぶ家路に就く。
リオルは馬車で王都に戻るという。ワイバーンの飛行での移動は一度でお腹いっぱいだと言われてしまった。
「アドルフ・フォン・ロンリンギア、姉上の見張り、よろしく」
「ああ、任してほしい」
これ以上、私が何をするというのか。本当に信頼がない。
ワイバーン車に乗りこむ私達を、リオルは見送ってくれる。
アドルフは窓を開け、リオルに「王都に戻ったら、ゆっくり話そう」と叫んでいた。
それに対し、リオルは「気が向いたら」と返す。
アドルフは私を振り返り、抗議するような視線を向けた。
「とてつもなく生意気だ。魔法学校のリオルそっくりだな」
「姉弟ですので、仕方がありませんわ」
ワイバーンが翼を動かすと、車体が少しずつ浮いていく。
あっという間に高く飛びあがったのだった。
しばし、窓の外の雲を眺めていたアドルフが、私に話しかけてくる。
「リオニー、父上には、今日、本当のことを告げようと思っている」
「ええ」
「反対はしないのか?」
「なぜですの?」
「黙っていたら、未来の公爵夫人なのに」
「ああ、そういう意味でしたか」
別に公爵夫人になることに関して、別に何も思っていなかった。
そもそも私自身、淑女教育が徹底的に叩き込まれているわけではないし、多くの人に好かれるような性格でもない。最初から向いていなかったのだ。
「わたくしは別に、公爵夫人になりたかったわけではありませんでしたので。アドルフの妻になれるのであれば、立場や財産など、気になりません」
「立場や財産か……。そうだな。もしかしたら、着の身着のままで追い出される可能性だってある」
「そのときは、夫婦揃って一生懸命働いたらいいだけのことです」
幸いと言うべきか、リオルが魔法で収入を得る以前は、貧相な暮らしをしていた。
「食事がパンとスープだけだったという日も、珍しくなく――」
「そうだったのだな」
見栄っ張りな父が使用人だけは数名雇っていたので、私達家族の食費が削られていたのだという。
思い返してみると、育ち盛りの子ども達に酷い仕打ちをしてくれたと思ってしまう。
「この先、国王補佐はできないかもしれないが、仕事はたくさん身についている。どこに行っても、何かしらの職に就けるだろう」
「でしたら、グリンゼル地方で働くのはいかが?」
「なぜ?」
「自然が豊かですし、湖は美しいですし、のんびりしていて、よい場所だと思うのです。あと、アドルフのお母様もいらっしゃいますし」
ロンリンギア公爵夫人の容態が快方に向かったら、会いに行きたい。
会って、話をしたいと思っている。
「母はきつい性格の人だ。リオニーに対して、酷いことを言われるかもしれない」
「心配はご無用です。わたくし、負けず嫌いですので。舌戦になったら、本気を出します」
「それは……頼もしいな」
アドルフが笑ってくれたので、ホッとする。ずっと思い詰めた表情を浮かべていたので、心配していたのだ。
ここで、今思いついた計画を、アドルフにそっと耳打ちしてみる。
「それは――いい考えだな」
「実現できると思いますか?」
「俺も手伝おう」
「ありがとうございます」
強力な味方を得られたので、王都に到着するまで、計画について楽しく話し合った。
◇◇◇
アドルフと共に、ロンリンギア公爵の執務室へ向かう。
今日も不機嫌かつ重苦しい空気を背負ったロンリンギア公爵が、私達を迎えてくれた。
「父上、戻りました」
「ああ」
ロンリンギア公爵の執務机には前回以上に書類が山積みとなっていて、忙しい中での呼び出しだったようだ。
「小娘……いや、リオニー・フォン・ヴァイグブルグ、今回の事件では、迷惑をかけた」
ロンリンギア公爵が頭を下げて謝罪したので、驚いてしまう。アドルフも目を見張っていた。
事件について、ロンリンギア公爵は淡々と報告する。真犯人は信じがたい人物だった。
「この事件を計画したのは、隣国のミュリーヌ王女だった」
「父上、それは本当ですか!?」
「ああ、間違いない」
なんでも婚約を断られ、降誕祭パーティーで冷たくあしらわれたミュリーヌ王女は、アドルフに対して強い憎しみを抱くようになったらしい。
「ミュリーヌ王女が……なぜ?」
「大きな好意は、裏切られたと感じた瞬間、別の感情に移り変わりやすい。愛が憎しみになるのも、おかしな話ではないだろう」
アドルフに恥を掻かせてやろうと画策した結果、ある噂話を入手したらしい。
「お前が、婚約者以外の誰かに、薔薇の花束と恋文を熱心に届けている、と」
それだけでは醜聞として弱いが、それに関連したある疑いが、ミュリーヌ王女の耳に届いたようだ。
「それは、アドルフ、お前がロンリンギア公爵家の血を受け継いでいない、ということについてだ」
ロンリンギア公爵の追及するような視線に、アドルフは動揺を見せなかった。